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【短編】七日後の完全犯罪 十二話

 八月十二日午後四時。
 松栄屋は半壊で営業できる状態ではない報せが入った。
 晴子、源一、ヨネは、清月館の支配人の温情により別館の物置代わりの空き部屋を借りて数日住まわせて貰うことになった。今まで手を取り合った成果か、こういう窮地では助けられたのは今まで協力しあった賜物だろう。
 この繁忙期に手助けも出来ないもどかしさもあり、清月館の手伝いをしたいが、現場検証や予約客への連絡と忙しいからそうもいかなかった。
 憂志郎はさすがに泊まれないとあり、寺の住職へ無理言って泊めて貰うように願い出た。寝るだけで良いからと言ったが、災難に見舞われた憂志郎への情が働いた住職は居候のように気楽に使ってよいと許可した。
 倉庫のような部屋を借りるも、さすがに煙草は吸えないとあり、こっそりと外の水場近くで辛抱した。

 煙を吐き、昼間の考察の続きをする。

 もしヨネと源一の怒りが殺意へと変わるなら予約客への対応中だろう。無理やり予約をキャンセルされた沖島郷三郎が激怒して罵詈雑言を浴びせる。容易に殺意を抱くはずだ。
 鈴木市子、広田良江、富田昭三郎にしても同様に言える。源一とヨネは夫婦として協力し合い、どちらかが自制を効かせ合うかもしれないが、他の三名はそうもいかないだろう。特に富田昭三郎は過去の憎悪の炎も再燃するはずだ。
 怒りが止まない沖島郷三郎が清月館に当たり散らすとあらば、加山幸も気持ちが殺意へ転じる可能性は大いに高い。田中康三、広岡清太はとばっちりだろう。
 この放火事件を機に物事が一気に進む。今まで張り詰めていた気持ちがはち切れ、放火に巻き込まれた苛立ちが沖島郷三郎の暴言により凶刃を握らせ凶行へと至る。

 ゆっくりと煙草を吸うと、またもや疑問が浮かぶ。
 はたして、沖島郷三郎はそこまで非道な行いをするだろうか?
 確かに沖島郷三郎は悪い噂しか聞かない。罵詈雑言を浴びせ、恨みを買う可能性も大いにあるだろう。しかしこの町へ来た理由は多くの者達との会合。そして立場は会社を背負う社長だ。
 ただでさえ放火事件などと予想だにしない大きな事件が起きたのだ。まだ連続放火事件の線も捨てられないなら、警察や報道の人間が集まるのは容易に分かる。
 少しのスキャンダルでも取り上げられれば、そこを皮切りに身辺を調べられる可能性は大いにある。また、罵詈雑言を浴びせるとあるなら秘書や側近の身内周りだろう。それなら容疑者八名に加え、その者達が含まれる。ひと夏の数日しか滞在しない人物への怒りより、日々仕事として仕えている者達の恨み辛みのほうが高いと考えるのが自然だ。

 まだ何か、大事な何かを見落としている。

 呆然と釣り鐘を眺めて思考を止めた。行き詰まると何処かを眺めるようにしているのは、誰かが教えてくれた方法だった。しかしそれすらかなり昔で誰の助言かは忘れた。今では癖のようになっている。
 つくつくぼうしの鳴き声も混ざる、昼間より数が少ない蝉の声も、この時間だと騒音として思わずに聞ける。夏らしい風物詩として。
 欲を言えば、今のこの景観を眺めている時は蜩の鳴き声を聞きたい。

「いつまでおるか知らんが、ほれ、蚊取り線香」
 使いかけの残り二周分の渦の蚊取り線香を、住職は憂志郎の傍に置いてくれた。
「あ、すんません」
「素麺作るから食ってくか?」
「いいんですか?」
「御中元のが多くてな、丁度良い」
 と言い、住職は台所へ向かった。
 憂志郎は吸いかけの煙草を限界まで吸い、ゆっくりと煙を吐いた。
 煙草の臭いと蚊取り線香の匂いが混ざるも、やがて蚊取り線香の匂いだけになる。
 これも夏の風物詩として活かされる夏の薫り。
「あとは線香花火、風鈴、スイカ」
 昭和四十二年の景観、風情、空気は、『日本の夏』に相応しい部類を留めている。
 徐ろに立ち上がると立ちくらみし、しばらくして視界が戻りと同時に止まっていた思考が再び働きだした。

 八月十二日の火事があったから犯行が起きた。
 元々は別日か、別の場所か。漠然と計画があったかもしれない。なぜなら、沖島郷三郎は八月二十日まで滞在し、本来なら犯人は繁忙期で犯行に及ぶなんてことはなかった。この放火事件が犯行時期を早めたのだろう。
 犯行を早めなければならなかった可能性は沖島郷三郎の帰還時期が早まったからではないだろうか。だとしたら繁忙期に事件を起こす辻褄は合う。
 八月十四日、沖島郷三郎は人目を忍んで現場へ向かう。なぜなら、見つかってはいけないから。
 なぜ?
 その理由は、見つかってはいけないもので揺すられたから。それなら沖島郷三郎は動くだろう。

 憂志郎は強請ゆすりについて考えを巡らせた。
 強請とするなら表に出てはならない情報を見せられたから。ただの手紙では悪戯と思われて出てこない。確実な、明確な、記事にでも載ってはならない証拠。
 写真。
 そう、それを見せつけられたなら沖島郷三郎は出てくるだろう。証拠となる資料を記した紙も付いているなら確実だ。
 この推測を立証するなら、強請の材料は用意して殺害計画も立っているだろう。計画的犯行なら決行日は祭り終わりから八月十九日の間に起こそうと考えたはずだ。強請のネタを沖島郷三郎へ渡し、現場で殺害に至る。
 前もって強請のネタを送っていたなら、沖島郷三郎は光清町へ来てから気が気でない筈だ。そうなれば周りの噂も、違和感を覚える表現をしていたに違いない。しかしいつも通りの横柄な態度。さらには、そういった情報は内々で知れ渡り、影で動く連中でも使い犯人をあぶりだそうとする危険性がある。
 そうはならないよう、沖島郷三郎をすぐに動かす強請は青天の霹靂でなければならない。それなら他の者へ報せずすぐに動くだろう。
 強請文句は『明日、記者にバラす。今夜、旅館から出てすぐに裏路地へ来い』
 切迫させれば心身穏やかではない冷静さを欠いた標的が動く。
(なら、容疑者は絞られる)
 源一とヨネは松栄屋の対応で手一杯だ。突発的な放火事件により気もそぞろ。犯行は深夜で、強請の手紙も送れるが、実行するのは心身共に困難だろう。単独ではなく共犯だとしても尚更動きづらい。
 市子、良江、昭三郎も確実ではない。深夜の犯行に及ぶなら、いつ源一とヨネから用事を頼まれて時間配分に狂いが生じてしまう。確実に犯行に及ぶ時間が立てられない。
 あと三人。松栄屋従業員以外の三人なら、犯行は可能だろう。

「おーい、素麺出来たぞー」
 住職の声に返事し、考察を切り上げて蚊取り線香の灰皿を手に取る。途端、昼間の違和感を思い出す。
 何か、何かが忘れられている。それが今思い出され、視線が足下へと動く。
 昼間に打ち水でもしたのだろう、そこだけ靴跡が薄らといくつかある。子供達が走って点けた足跡、大人の足跡。
 呆然と眺めていると、「大丈夫か?」と住職に心配された。
 正気に戻り「すんません、立ちくらみです」と返して中へ入った。


「沖島郷三郎? お兄さん、有名つってもあんま良い有名人じゃない人に会ったな」
 記者見習としての情報収集術で住職に沖島郷三郎について聞いてみた。
「こんなこと、俺が言うのもなんだけど」小声で告げた。「女にだらしない」
「女?」
 返してから素麺を啜ると、住職も素麺を啜ってから答えた。
「ああ。噂だからはっきりしないが、借金苦の女を選別して弄んでるとかってな。中には殺されて海に沈められたか山に埋められたとかってのも」
「随分と物騒な噂ですね」
「ああ、金に汚い連中は大体そういった輩が多いぞ。ほら、前にニュースでもあったろ、女の変死体が海に浮いてたとか、山で骨が見つかったとか。悪い連中が絡むと殺された連中は普通の死に方しないからなぁ」
 あまりにも一方的すぎる偏見。
 それが全て犯罪と結び付くかは疑問だが、噂ならそう考える人も多いだろう。どの時代も同じだ。
 憂志郎は言及しなかった。
「けどまぁ、あんな連中と縁を結んじまう被害者も、どんな人生歩んだらああなるんだろうな。若気の至りでヤンチャした挙げ句ってんなら、よく考えにゃならん」
 素麺を啜り、十回ほど咀嚼して飲み込むと枝豆をつまみ、ビールを飲んだ。
「この町にも女がいるってもっぱらの噂だしな」
 酔いが回ったのか、饒舌になっている。

 酔うと口が軽くなる人物から根掘り葉掘りと聞きたいところだが、面倒なのは記憶力だ。酔った時の記憶が残る人間であるなら、聞きすぎた事が災いとなりかねない。
 今までそういった経験は無いが、面倒事に巻き込まれた人の話をよく聞いていた。
「女にだらしないって噂はどんな人にもありますねぇ。何処行っても聞きますよ。意外な人がだらしないって」
「んなもん、男ならそんなやつはたくさんいるだろ。女だってどんな男と逢い引きしてるか分かったもんじゃねぇや」
 いよいよ酔いがしっかり回った住職は小声ではなくべらべらと町で噂がある男女のいかがわしい恋愛話を語り出した。

 その中に一人の容疑者の名前と、お盆時期の動向も。

十三話


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