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【短編】七日後の完全犯罪 八話

 黄暁の通りが消えかかる頃に憂志郎が到着した。
「はぁはぁはぁ、はぁ、あぁ……やられたなぁ」
 行脚僧が憂志郎に気づいて方向を変え、ゆっくりと歩み寄る。
「羽柴さん!」
 ようやく追いついた晴子は状況がまるで分からないが、あからさまに陰りを纏う行脚僧に危機感を抱き、恐れ、すかさず憂志郎にしがみついた。すると、行脚僧が姿を消し、すぐ傍に現われた。
「きゃああ!!」
 あまりの恐さに晴子は憂志郎の背に顔をうずめた。
「其方も死者に?」
 行脚僧に聞かれるも、憂志郎は平然と返す。
「いんや、あんたなら見りゃ分かるだろ。用が済んだらかえってくれるか」
 返事とばかりに行脚僧が錫杖の金環をシャンシャンと鳴らし、ゆっくりと消えた。
 無事にやり過ごした憂志郎は深く溜息をつく。
(ありゃ、無理だ)
 何をしても手遅れだったと実感する。

 周囲の光景が平常時に戻ると晴子に終わったと告げた。
「……な、なにが?」
「今のが奇怪案件だ。奇妙な噂が現実に起こり、縁害に遭った者を連れていく。表向きは別の形で、今回は崖に落ちたとかかな。肉体面はそれで終わったが魂は良くない者達の所へと堕ちるんだ」
「怨霊ってことですか?」声が震える。
「まあ、その類いだな。樹海とか、気味の悪い暗がりとか、山奥の廃れた建物とか、人間が面白半分で近寄らない限りは安全な連中の所へな」
「あ、あれも、羽柴さんが謎を解かないといけないんですか?」
「謎解きぃ、もそうだが……説得が主だな。執着を解いたり相談に乗ったりして意識を逸らすのが定番なんだが、あの男は出会った頃から無理だった。強すぎる執着が既に奇怪に寄りすぎてたからな」
 奇怪現象が恐怖心を煽る出没ではなく、条件を設けて成り立つ現象となっていた。奇怪案件対象者が犯罪者であり執着気質であった場合、解決は困難を極める。
「じゃあ、沖島様もああなるの?」
「縁害案件は殺人の阻止が殆ど、沖島郷三郎はああはならないよ。なるとして容疑者八名の誰かかな」
 身内があのような怖い存在に連れて行かれる未来を晴子は恐れた。
「……ああなった魂って、どうなるんですか? 地獄とか?」
 聞くのも怖いがどうしても知りたい本心が質問させた。
「いんや、魂の行く先が違う方へ流れて循環が滞るんだ。本来の魂が流れる筋道がな。ようするに、汚い沼に入り浸ってあの世へ行けないって言えば分かりやすいかな」
 相づちは確かな理解ではなく、なんとなくといった曖昧な理解である。
「いずれは元の流れへと戻るがすぐじゃない、こういうのが積もり積もれば面倒な災害が起きるからな、要所要所で解決しろってのが奇怪案件」 
 恐怖体験の後だから寒気がまだ治まらないが、どういうわけか真夏なのに冷ややかな風が吹いた。
 もう緑山トンネルから離れたい気持ちの晴子は帰ろうと提案した。
 日暮れも差し掛かる帰り道、晴子は後ろから行脚僧が現われないか不安であった。
「晴子ちゃん、心配性だな。アレはもう出ないから」
「なんだったんですかあの人。死神?」
「良からぬ者達の側へ導く点で言えば死神かな。水先案内人みたいなもんだよ。アレから何かをする事は無いから、現われても無視すれば」
「怖いから現われてほしくないんですよ!」
「ははは。だったら誘いトンネルを見たいとか思わないことだ。それで二度と会うことはないから」
 この日、この時、晴子は誘いトンネルを望まなくなった。


 暮れなずむ頃合いに、憂志郎は旅館【清月館】の前に来た。そこで沖島郷三郎が部下と思しき人物と入っていくのが見える。
「沖島様だ。あの人、ほっといてもどこかで殺されるんじゃないですか? 悪い噂しか聞かないし」
「それがあるからこうやって調べてんの。なに、晴子ちゃんもなんかされた?」
「ずっと前、接客のときに、大きくなったら俺が贔屓してやるから女磨いとけよって。酒が入ってたし、お父さんとお母さんは気にするなって言ってくれたけど」
 ここぞとばかりに松栄屋従業員達が沖島郷三郎と何があったか訊いた。
 沢木夫妻は沖島郷三郎の知る食材のうんちくや他県、海外の料理についての情報を交えた自慢話を聞かされ指摘された。
 鈴木市子と広田良江は接客の指摘。一度だが酔った勢いで手と尻を触られた過去もある。その時はヨネが止めに入り注意して事なきを得た。
(晴子ちゃんが知らないだけで他にもあるとしても、殺害動機が一番強いのは富田昭三郎か……)

 郷三郎の悪行を聞く最中、清月館の脇から一人の女性が自転車を押して出てきた。
「あ、加山さん」
 相手も晴子に気づいた。
「晴ちゃん……どなた?」
 向かい合う憂志郎を見て幸は邪推を巡らせて怪訝な表情になる。
「まさか……」
 親指を立てた。年の離れた彼氏だと。
「ちがいます。お盆過ぎまでの居候さん。えっとぉ、知り合いの知り合い」
 そういう事で通してほしいと憂志郎は視線で合図された。
「初めまして、羽柴憂志郎です。記者見習いで光清町のことを色々調べたくて」
 記者と聞き、またも幸は邪推が働いた。
「あの、沖島様のこと、調べたらダメですよ。さすがに記者見習の人が立ち入っていい問題じゃないと思うんですけど」
「残念ながら俺の手に負えません。もし調べるとしたら上の人達が徒党を組んで勝手に動いてるでしょうから」
 安心した様子で幸は表情が和らいだ。
「私が言うのも何ですけど、沖島様って悪い噂ばかりだから偏見あるでしょうけど、そういった目で見すぎるのは違うと思いますよ。立場が立場だからそうなってるけど、他にも荒い男の人って大勢いるから。もっとちゃんと見ないとダメだと思う」
 説教染みた発言に憂志郎は苦笑いを浮かべる。
「俺、地方誌担当だから、関係無いですよ」
「あ、そうなの? なら大丈夫ね」
 話題を変えようと晴子は気を利かせた。
「加山さん、今日は上がりですか?」
「ええ。夏休み限定のバイトがよくやってくれるから人が多くて。この時期だけど早番と休みが。明後日からはさすがにお盆過ぎまで連勤だけど」
 不意に時間が気になったのか、腕時計を見て焦りの色が見えた。
「ごめんね、今日はもう帰らないと」
「あ、はい。お疲れ様です」
 お疲れ、の言葉と手振りが一緒に返された。
「……彼女、いつもあんな感じ?」
 第一印象は持論を聞いてもいないのに聞かせる女である。
「ちょっと説教臭いところはあるかな。でも正しいこと言ってるし」
「松栄屋の人達とか、どう思ってるの?」
「え、何か関係あるんですか?」
「容疑者に上がってるなら彼女のことも調べないとダメだからな」

 よい話が少ないので話そうかどうか晴子は迷う。躊躇いながら言葉を選ぶ。
「……今みたいに自分の意見、優先っぽい所が、ちょっと皆に嫌がられてるかなぁ」
(強い正論、思い込みで説教染みた話し方、気の強そうな印象。揉めたら厄介だろうな)
 何かを理由に沖島郷三郎と口論となり、感極まって殺害。推測だが在り在りと状況は浮かんだ。
「……加山さん、本当に容疑者なんですか?」
「そうなってる。何があってそうなったかは知らんが、沖島郷三郎への動機があるのかもな。旅館だったら鈴木市子と広田良江のようなことも考えられる」
 しかしそれを理由に加山幸が殺人事件を起こすとは考えにくい。その場で怒鳴りそうな雰囲気はあるが。
「……なんか嘘みたいですね、あと四日で本当に誰か殺人を」
 憂志郎が指を立てて鼻先へ当て、「しっ」と声を漏らして晴子を黙らせた。
「その話は帰ってから」
 他人に聞かれる事を危惧しての意見であった。

 松栄屋へ戻るとあまりの忙しさに晴子が手伝いに駆り出され、今は風呂屋へでも行った方が良いと判断した憂志郎は風呂屋へ向かった。
 あまりにも忙しかったのだろう。疲れ切った晴子は話を翌日に持ち越してほしいと提案し、憂志郎は了承した。

 八月十一日午前八時半。
 朝食を済ませた晴子が部屋へ入るや、すぐさま窓際まで進んだ。
「羽柴さん、煙草止めませんか! 身体に悪いんですよ、煙草って!」
 少しも慣れない晴子は、ついでとばかりに内輪で煙を煽って流した。
「晴子ちゃん、これはねぇ、たばこうって言ってね、煙が”怖いの”を寄せ付けないように」
「違いますよね。お客様の煙草と同じ臭いと煙だし。煙草です。お香みたいな良いもんじゃないです」
 仕方なく煙草を吸い殻入れの瓶へと押し込んだ。
「羽柴さん、昨日の話なんですけど、やっぱり皆には無理だと思うんです。だって、もうお盆時期の準備に忙しいですし、仕事入ってますし。それに、なんか……、殺したいほど憎いって、思ってるようには……」
「動機は俺や晴子ちゃんが意見するもんじゃないさ。誰だってそう、人間はそうやって本心隠して生きてるからな。知らないだけではらわたが煮えくりかえる以上の恨み辛みを抱えてるって場合もあるんだよ。それよりも他に気になることはある」
「何ですか?」
「沖島郷三郎がなぜ夜中に人気ひとけの無い通りへ行ったのか、なぜ容疑者八名が浮上したのか」
 容疑者八名は未来の事なので、晴子はそこを疑問視する理由が分からなかった。
「だって、未来なんですよね」
「ああ。だが晴子ちゃんが言ったとおり、繁忙期に誰かを殺しに行くのは至難の業だ。犯行日は十四日深夜。翌十五日はまだ忙しいから、精神面でも肉体面でも疲弊しきるとは思うがな」
「じゃあ、だったらどうして?」
 憂志郎は事件当日の資料を手に取る。そこには事件があった情報しかない。
「この日か、前日に何かあり、容疑者八名を怪しむに値する事態になったんだろうな」

九話


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