【長編】奇しき世界・七話 運命の見定め(中編)
1 命名
次に巽と会えるのは一月八日。そう岡部から報告を受けた。
誰であろうと例外無く、静奇界へ足を踏み入れたら次に踏み入れられるまで最低四日は日を置かなければならない。
これには個人差があり、四日以上置かなければならない人もおり、置き日数が三日の人間は未だにいない。
一月六日午前七時十五分。
「斐斗、何が一番食べたい?」
歯磨き中、平祐に訊かれた。
「へ?」
寝ぼけ眼に歯磨き剤の泡を口に含めた状態で、間の抜けた返事をしてしまった。
「いや、カミさんがクロスワードの懸賞当たって、五万円な。ちょっとしたボーナスが入ったんだわ。日頃から斐斗に世話んなってるから、何か恩返しでもって」
斐斗は、初めて懸賞に当たる人を(当てた人は美野里だが)見て驚きながら、口を濯(ゆす)いだ。
「凄い、当たる人いるんだ。そんな貴重なお金、貯金か子供に使うとか」
「チビ達にこれ以上モノ与えるのは教育上良くない。それに、懸賞で当てた銭は本来無い銭だ。奮発してしっかりがっつり使うのが礼儀であり、広沢家の家訓だ」
一体、何に対しての礼儀か分からない。そして、広沢家家訓を始めて聞き、存在自体も知らなかった。
『翻弄されないようにね』
運命を司る女の言葉が思い出された。
(これが何か試されてるのか?)
斐斗は悩む素振りを見せた。
「じゃあ……何でもいいんですよね」
「おう。陽葵ちゃんへのプレゼントでも何でもこいだ」
なぜ陽葵が出てくるのかと思った。
「高級肉のすき焼きで。五万円全部肉に当ててもらえたら」
「――は!? そんなんでいいのか?」
「だって、当てたのは美野里さんだし、俺一人で得した気になるより、皆一緒に良い思いした方がいいでしょ。俺ら全員で家族なんだから」
平祐は胸の内が温まるのを感じた。その思いが、力強く斐斗の背を撫でる行動に移らせた。
「お前は偉い!」
斐斗の行為も言動も噓偽りは無い。しかし、運命を司る女の言葉を気にしていないわけでもなかった。
(俺は何を試されてるんだ?)
内心、運命を司る女ともう一度会い、この試練の終わりを聞こうと心に決めた。
一月六日午前十時。
斐斗は運命を司る女を探しに街へ出た。
『次会う時に期待するわ』
女は名前を求めている事を思いだし、無理やり名前を考えるも、そもそも何かに名前を付ける事が苦手であり苦悩した。
「あ、千堂さん!」
前方、百メートル程離れた所から夏澄が手を振って近づいた。
斐斗は手を胸の位置まで上げて挨拶すると、夏澄の後ろの曲がり角から突如現れた存在に驚いた。
「千堂さん、久し――え?!」
傍まで寄った途端、斐斗の背後へ誘導された。
「あら、そこまで警戒する必要あるのかしら?」
夏澄は女を見て直感したのは、あまりの美しさから、斐斗の浮気を疑った。
「千堂さん、まさか浮気……」
「そんな訳ないだろ」
真剣に返され、表情から嘘をついてないと感じ、安堵した。
「あの女性は」
夏澄にもはっきりと見えている。本当に今までの奇跡の理が適わない状況と判断した。
「そいつは奇跡だ。人間の姿をしてるがな」
「え!? 私、はっきり見えますよ」
「状況が色々変わった。とりあえず説明は後だ」
女は微笑んだ。
「千堂斐斗君。私の名前、決まったかしら」
今の今まで苦悩した問題を突きつけられたが、咄嗟に問題解決の案が浮かび、夏澄に視線を向けた。
「な、なんですか……」
「君、あの女を見てどういう名前が浮かぶ?」
いきなりの質問に、夏澄は戸惑いと疑問を抱きつつも、斐斗が真剣に訊くので仕方なく女を眺めた。
「西洋っぽいけど、ハーフの日本人っぽくもあるし……。品のある感じ……。マリアやリンとかスズリ、カリンっていう感じかな」
岡部より、かなり現代でも使えるものである。
斐斗は女の方を向いた。
「スズリ。それでどうだ」
女は呟いて復唱すると、納得した。
「響きは綺麗ね。気に入ったわ」
漢字まで求められなくて斐斗は安心した。
「突然現れたのは名前を求めてか?」
「いいえ。まあ、それもあるけど本命は別。貴方が私と会う事を望んだのでしょ」
今朝の事を思い出し、自分の思考にも反応するのかと考えると、思考も慎重にしなければと、心労が嵩む。
「……それはいいとして」
呟いてスズリは夏澄を見た。
「ふーん。そういう事」さらに呟いた。
スズリの反応を斐斗は見逃さなかった。
「彼女に何か用か」
「いいえ。大した事じゃないわ。それより、私に訊きたい事って?」
深く求めても答えてくれないと思った。
「君の言った運命の試練は、何をどう達成すれば終了なんだ? もう始まってるのか」
「ええ。私と会ったその時から開始よ。そういう存在だから。そして、何をどうするかと訊かれても、決まった条件を満たすというのでもないの。ただただ貴方が遭遇する試練をどのような対処をして行くかを見守るしか。終わりは……そうね、この試練の先、どういう答えを見出したか次第かしら」
「答えを? その前に質問をはっきりさせてほしい。何を見出せというんだ」
「質問も貴方が見つけるのよ。まあ、ここまで私と関わってるのだから、ヒントは『運命』についてと分かるでしょ。質問文はこれからの出会い、会話などから導かれるわね。千堂斐斗君、貴方はどう導かれるのか観させてもらうわね」
スズリは霧に消えるよう姿を消した。
「千堂さん! 消えましたよ!」
初めて人型の奇跡が消える場面を見た夏澄は驚きを隠せない。
「ああ、問題ない」
斐斗は早く巽と話をしたいと思った。
「二人して何やってんの!?」
斐斗と夏澄の後ろから耀壱が足早に寄ってくると、夏澄を斐斗から離した。
「違うの耀壱君」
しかし耀壱は聞く耳持たず、不服を表情にした。
「どういう事だよ斐斗兄」
「何がだ」
「なんで夏澄ちゃんを」
「勘違いするな。たった今、面倒な奇跡がいたから彼女に危害が及ばないようにしてただけだ」
「千堂さんの言ってることは本当よ」
夏澄も加担するが、どうも耀壱は疑いの目を治めない。
「次、夏澄ちゃんに余計なことしたら斐斗兄でも許さないから」
耀壱は夏澄の腕を引っ張って斐斗から離れた。
(これも試練か? ……けど耀壱の反応)
同時にスズリの反応も思い出し、何か狂いが生じているのを感じた。
2 陽葵の家にて
一月六日午後三時。
「拘(こだわ)りの無い市販の紅茶ですけど」
どうぞ。と言わず、陽葵はティーカップを斐斗の前の座卓に置いた。
斐斗の家で入る紅茶は、専門店で購入したものであり、陽葵は自宅の紅茶が特別でないと告げて振舞った。
スズリに会い要件は済んだものの、家に耀壱がいると気まずく、斐斗は陽葵の家に訪れていた。
陽葵は斐斗の向かいに座った。
「珍しいね、耀壱君と喧嘩なんて」
「喧嘩じゃないよ。あいつの彼女と偶然一緒にいる所を見られて誤解されたんだ」
ふと、陽葵も同じような誤解を招いてると感じた。
「言っとくが、俺は浮気しないぞ」
紅茶を一口啜った陽葵は、熱すぎる紅茶を暫く冷ますために机へ置いた。
「私が誤解するとでも?」
「え……あ、いや……」
落ち着いた返しに、何も言えなかった。
「斐斗君が女性にだらしなかったら、とっくに所帯持ちでしょ。それに、奇跡に巻き込んでしまう事を心配する人だから、そう易々と浮気しないだろうし」
「断じて浮気はしない。に変えてくれ」紅茶を一口飲んだ。
「それで、耀壱君の誤解は解けそう?」
「さあな。どうしようか考え中。それより、今抱えてる問題がなおのこと面倒でな」
スズリの話、運命の試練について、陽葵には説明済みである。
「運命、徳、業。良縁や悪縁。絶対目に見えないし数値化も出来ないのに、不思議と私達人間に密接に関わってる。死んで神様に訊いたら分かるかもだけど、案外、こういった見えない力が人間の最大の超能力なのかもしれないよね」
「超能力と言うか」
「ええ。悪人には悪人、善人には善人が寄ってくる。悪い事をしてた人が改心して真っ当に生きようとしても、悪事のツケとばかりに災難が降りかかって、本当の意味での改心までの道のりは険しい。でも、やがては善行の積み重ねで良縁が結ばれる。行動した時に必ず生じる力が、未来を左右するんだから、まるで超能力の様じゃない? 何事も地道にコツコツと。だけど」
斐斗は考えた。
『運命』を漠然と一括りに考えていたから、”スズリの言う運命”が何を指すものか分からないままだ。
しかし運命とは、日ごろの行いで生じた善悪により、会う人、成果、評価などに左右され、別の行動が起きる未来。すぐに何かを示すものではない。
さらに何を指しているかが不明なままだ。
(スズリの指す運命ってなんだ?)
もし、指し示すモノが斐斗の行いだとするなら、起きている問題はあからさますぎる。
今朝から、平祐の質問、耀壱の一件に加え、陽葵の家へ来るまでに迷子に三度遭遇し、荷物を持って横断歩道を渡る妊婦の手助けを二回。一生のうちに遭遇する確率がかなり低いであろう、木の枝に風船が引っ掛かって泣く子供などもあった。
一日でこうまで不自然な困りごとが起こるなど無い。
試練だとするなら、分かり難いと思うのだが、見るからに助けなければと体が動く。
こんなに容易な行いから揚げ足取りのようにミスを観察しているのだろうか。
しかし、スズリの印象からそんな事をしないと感じる。
なら、測られているのは、人間には見えない”徳”なのだろうか。
『翻弄されないようにね』
スズリの言葉がどうも気になる。
(いや、俺を測った所で何も起きない。何に翻弄されるんだ?)
どれだけ考えようとも、未だに何一つとして進展がない。
「ところで」
斐斗は紅茶に落としていた視線を陽葵へ向けた。
「――え?」
不意に視界が捉えたのは、陽葵の左腕が薄れている事だ。だが、瞬きをした一瞬で戻った。
「どうしたの?」
「……え? いや、なんでもない」
本当にそう思っていいのか分からない。
陽葵は奇跡不干渉体質だから、奇跡が絡むなんてことはあり得ない。
斐斗は、面倒な案件を抱えているため、疲れと頭の混乱が目の錯覚を引き起こしたのだと考えた。
人間の眼は、一点を集中的に見ていると、必ず見えなくなる範囲が出る。また、注意の及ばない範囲などで、死角という言葉を使う。
斐斗は思った。今起きた事も死角に入ったためであると。
「今日はどうするの? 泊っていく?」
その言葉で別の解決しなければならない問題が浮上する。
いずれ、離れ離れの生活スタイルも変えなければならない。この問題も未だ進展はない。
斐斗の悩みは増える一方であった。
「……ああ。そうする」
泊る連絡を広沢夫妻と耀壱にLINEで送った。
3 複雑
一月七日。
陽葵の家から帰宅時、またもや迷子、道路を渡るのにもたついている幼児、買い物先でも自分が買った商品が無いからと駄々をこねる子供と、問題頻発の帰路につき、家に着いてからも耀壱と気まずい関係であった。
夏澄の説得のおかげで納得はしてくれたと、夏澄本人から連絡を受けていた。しかし、互いに初めて関係が悪化したので、どう話していいか分からない状態であった。
耀壱は度々目を逸らして逃げるように去ってく。
叶斗とは何度も喧嘩したが、自分から話しかけて何時しか元に戻っている。しかし、喧嘩を一度もしたこと無い相手だとどうも叶斗と同じように行動出来ない。
けどこのままでは駄目だと、斐斗は肚を括り話かけた。
叶斗程の勢いがまるでなく、耀壱は申し訳なさそうに謝った。
内心で、食ってかかる叶斗と同じ反応があると構えていたが、そうならずに済んだ。
肩透かしではあったものの、耀壱の方が気楽だと思えた。
一月八日。
面倒事が一つ解決した翌日の今日。
この四日間を永く感じつつも、ようやく巽の話が聞ける日を迎えた。
「また会うだろうとは思っていたが、まさか四日で来るとは思ってなかったぞ」
前回同様、斐斗はソファに、巽は自分の席へ腰かけた。
「それで、お伺いしたい事は」
巽は手の平を斐斗に向けて黙らせた。
「お前の知りたい事はおおよそ見当がつく。運命を司る女という存在、そして目的が漠然としている試練とやらだろ」
前もって岡部から聞いているのだと斐斗は推測した。
「前回言っただろ、現存する奇跡の理が適わない存在に会うと。運命を司る女とやらがその存在の一つだろうな」
「まだ出るって事ですか!?」
「誰が一体と言った? 大きな変化の波は遭遇する回数ではなく期間だ。既に今年に入って変化の兆しはチラホラ現れていた。年明け以降、波のうねりが増しただけだ」
昨年、遭遇した奇跡に変わった所は見受けられなかった。どこでそんな変化が起きたかが気になる。
「お前は気付いてないか遭遇してないのだろ」
表情から思考を読まれた。
「お前の近辺で言えば、レンギョウが一番絡んでいたな。何か聞いてなかったか?」
昨年、清川夏澄の友人である桃花の奇跡を解決した後、神社でレンギョウと話した時、面倒な事件をかけ持っていると告げていた。
「人間関連のなにかを……」
レンギョウの受け持っている奇跡がどういったものかを思い出そうとするが、既に忘れている。
「あちらの問題は大詰めだ。その流れがお前の住む街にも介入しているから、今まで大仰な変化を見せていない奇跡も活性化されつつある」
「けど奇跡の問題という点では変わらない。今ある問題はどう解決すればいいんですか」
巽は首を傾げ、眉間に皺を少し寄せた。
「なぜリバースライターを使わない?」
不意の質問に、斐斗は「え?」と返して黙った。
「お前のリバースライターは奇跡の在り方を書き換える事が出来るのだろ? なぜ使わないんだ?」
斐斗はまともに返答が出来なくなった。
確かにリバースライターは、書き換えるまでの工程として奇跡の性質を知る必要がある。しかし、スズリの性質は本人が暴露しており、どういった奇跡が起きるかもその身で体験している。
自分にストッパーをかけているのは、陽葵に化けたカノンの言葉か、スズリがそうさせない雰囲気を醸しているからなのか。
不意に、陽葵の左腕が薄らいだ記憶が思い出された。なぜ浮かんだかは不明である。
返答に戸惑う斐斗の様子を巽は観察するように眺めた。
「何か躊躇う印象をその女から受けたのか?」
「それは……上手く説明できません」
かなり考察に困難していると巽は感じた。
「やれやれ、質問を変えよう」
呟いて立ち上がった。
「たとえ話だ千堂斐斗」
巽が指を鳴らすと、斐斗の前に小さな円卓と、上にチェス盤と白と黒の駒が一つずつ現れた。黒い駒は横たわっている。
「目の前で同年代の人間が死んだとしよう。その人物は数日前、死にかけていた所をお前が助けた相手だったとしたら、自分の救助は無駄だったと思うか?」
「いきなりなんですか、その質問」
「いいから答えろ。端的でも長文回答でも構わん。お前が遭遇した場合の心情をだ」
未だかつてそんな場面に遭遇していないので考えにくいが、昔見たドラマを思い出した。主人公が助けた相手が次の回で死ぬドラマを。
「……虚しいでしょうね。折角助けたのに、すぐに死んだ場面に遭遇したら、『あの時助けたのは何だったんだ』とか、こんな事言うのは駄目だろうけど『助けた意味があったのか』とか」
「いいだろう。大体の人間はそう思うだろう。そして同じ場面に遭遇しても誰かを助けようとするのも事実だ」
斐斗は質問の意図を求めた。
「なら、助けた側の損得よりも死んだ人間の一生について考えてみればどうだ? お前と同年代と設定しているなら、三十一歳でその人間は死んだ事になる。その人間は助けられる前の約三十年間、他に色々な貢献をしただろう。人間は産まれてから何かに貢献、変化、感動などを起こす生き物だからな」
女性の腹に存在してから、その女性に母としての自覚を芽生えさせ、さらに愛情を促進させた。
産まれて以降、多くの親族を喜ばせる。
子どもの頃は迷惑をかけながらもすくすく育ち、親族に将来の期待や、いる事の安心感、存在の有難さを与えた。
成長し、働くと、収入の為の働きであれ、誰かの役にたつ働きでもある。それで誰かが助かっている。
やがて恋人ができ、子供が出来ると、当時の自分の親族同様の喜びと愛情が産まれ、活力が奮い立ち、意欲が沸いて活動し、誰かの助けになる。
何時しか、チェス盤には黒い駒が増えている。それも、倒れた駒側に。
「死んだ人間は、死に至るまで誰かを助け続けた可能性は大いに高い。助けて以降の数日間も、誰かの助けか大きな変革の切っ掛けを作ったかもしれない。そう考えると、一度助けた事は間接的にだが意味を成している事になるぞ」
「でもその理論だと犯罪者はどうなんですか? 助けてから人を殺めたかもしれないし、ずっと誰かに迷惑をかけ続けた可能性も考えられます。それに、何もしてこなければどうです? ずっと家に引きこもって社会から断絶したような生活を送っていたなら。美談で括るには無理がありすぎる」
斐斗の語りに合わせて、黒い駒全てが倒れた。
巽は興奮して語る斐斗を見て、笑みが零れた。
「何ですか、その笑みは」
「いや、こうも見事に望み通りの意見を語ってくれると、喜ばずにはおれんだろ」
どこで巽の罠にかかったかを考えるも、どこか、まるで分からない。
「お前の言った通り、この質問において死んだ人間の生涯を美談で括るのは無意味だ。それを説明するのは複雑であり、死んだ人間と関わった人間達の心情も表立って考察してもらう必要があるからな」
再び指を鳴らしてチェス盤と円卓を消した。
「何が言いたいんですか」
「この問においての教訓は、命と存在、可能性と運命をテーマにした話はどうしても複雑を極める。こんな質問事態、ただただ複雑なだけで深堀して考えなくていいという事だ」
「複雑って、貴方がややこしくして」
「今の問は、実際に起きた出来事を使い、お前の心情から切り込んで考察を広げた。複雑を理解するには良い質問だろ」
しかし、この質問をした意図が読み取れない。スズリの奇跡とこの質問はどう結びつくのかと。
「本題に戻すぞ。お前は運命を司る女にリバースライターは使えない選択をした。理由は誰かに何かを吹き込まれたか、今までの経験上の判断なのかもしれん。もしかすると、その女に未来で役に立つ何かを見出したのかもしれないな。つまり、答えが出せない」
「……どういう……」
理解が追い付かない。
「人間の世界において、明確な答えを望む反面、全ての答えは明確なものではないだろ。
全てが白か黒で示せない。これをすれば必ず幸せになれる、なんて選択肢は存在しない。それ程あらゆる問題も答えも複雑だ。
奇跡においても同様。才能型、現象型、土着型と大きく分けられているが、全てをお前がリバースライターで書き換えれるはずもない。土着型とは言え、触れられるもの、触れられないものとがある。
さらにこの変化の波において、存在そのものが現象型であれ、起こしている現象が土着型に匹敵する場合もザラではない」
「結局、何を言いたいんですか」
「私はお前に、なぜリバースライターを使わなかった? と訊いた。お前の答えは漠然でも答えを言えばいいモノを、『上手く説明できない』だった。つまり、お前は運命やその女を重点的に考えてしまい、単純な返答すらも出来なくなった。今話したろ、複雑なモノは考えても仕方ないと」
しかし解決しなければならない問題を前に、そんな事を言ってられない。
「そんな事を言われても、俺はスズリの存在について考えなければならない」
運命を司る女をスズリと呼んだことに言及はしなかった。
前回同様、話の流れでその二つが同一であると巽は悟った。
「視点を変えればいいだけの事だ。お前は複雑な者に対し、延々と存在意義や意図を求めてるに過ぎない。お前の欲しい答えを求めるなら、与えられた情報にのみ考察を巡らし答えを探せ」
巽の部屋が歪み始めた。
「今日はこれまでだ。健闘を祈ろう」
風景が暗転し、間もなく現世へ戻った。
4 解決の糸口
斐斗は頭を痛めていた。
(複雑ってなんだ? そんなのとうから分かってるんだよ! ずっと複雑で訳が分からん! なんであんなにややこしい説明なんだ? 普通に複雑って言えばいいだろ)
「お前、大丈夫か?」
向かいの席に座る岡部が珈琲を飲みながら心配する。
「だから言ったんだ、巽と会うのは止めとけって。あいつの言葉は毒蛇のようなんだって。だって蛇だろあいつ」
毒の話だけに毒舌は大したものであった。
(スズリの存在を考えるなってなると、後は何が残る? 運命の試練か。訳が分からんぞ、運命ってそもそもなんだ? 俺がここ最近遭遇する面倒事と何か関係あるのか? ただの他愛ない人助けだろ)
そもそも、何が質問かすらもよく分からない。
スズリに与えられた運命の試練。
翻弄されないようにとの助言。
ここ最近の人助け。
耀壱の変化。
陽葵の薄れる左腕。
頭を悩ますものばかりである。
『視点を変えればいいだけの事だ』
巽の言葉が思い出された。
(あの口ぶり、絶対答えを知ってる口ぶりだ。なんで教えてくれないんだあのへそ曲がりが)
どうやら岡部の毒舌が斐斗にも移りつつある。
「けどあのベッピンの姉ちゃん、何型なんだろうな」
斐斗は愚痴る考察を止め、岡部の言葉を聞いた。
「姿形は人間で、夏澄ちゃんにも見えたんなら、人間らしい生活を送れそうな存在だろ。変わった現象型とも思えるが、やってることは土着型か? 叶斗のヘブンの大元みたいにって言ったんなら、やっぱ才能型か」
全てが混合した存在。恐らくまともな型に当てはまらないと考えられる。
「それが巽さんの言ってた変化の兆し…………」
斐斗は何か違和感が浮かんだ。
(なんだ。今、何か……)
思考を巡らせ、今まで得た情報を思い出した。
「どうした斐斗」
声を掛ける岡部に向かって左手の平を向けて黙らせた。
(なんだ……何か……)
先日の夏澄との再会、耀壱の誤解。続いて、一連の人助け。しかも子供ばかり。陽葵の家に泊った事。
またも一連の子供ばかりの人助け。帰宅後の事。
巽との話。
スズリについて。
ここ最近の出来事を思い出すと、何か、カギとなる言葉がすぐそこまで浮かんでいる。
(なんだ……何かが引っ掛かる)
『ただただ貴方が遭遇する試練をどのような対処をして行くかを見守るしか』
スズリの言葉を思い出すと、何か、複雑に絡んだ糸が解ける感覚に囚われた。
「……そうか……確かに……スズリについては関係なかった。いや、あるにはあるか……」
「ん? 何か分かったのか?」
ようやく解決の糸口を見つけ、今までの疲れがどっと押し寄せたように、斐斗は背伸びをしながら深々とソファに凭れた。
「ああ~……。ようっやく。ようやくだ。……ようやく」
何度も同じ言葉を、天井を眺めながら呟く姿に、岡部はいよいよ巽の毒が回ったってしまったのだと悟った。
毒と表現するが、身体に害を及ぼしもしないし、ただの岡部の偏見なのだが。