【短編】 ヒメノと伯父の持論
1 ついてこい、ヒメ!
「これは世紀の大発明だ。実践するからついてこい」
発明好きの伯父の一言が始まりであった。
その日は雨天――午前十時半現在。
降雨量はまだ小雨よりやや強め程度。しかし天気予報では昼過ぎから土砂降りになると報じられている。
そんな悪天候の中、ヒメノは六階建ての某廃ビルへ、半ば強引に連れてこられた。
ヒメノは両親を早くに亡くしており、現在父方の伯父・ヒロシゲの家に預けられている。
余談だが、ヒロシゲの名前の由来は両親が絵画好きであり歌川広重のようになってほしいとばかりにこの名前が付いた。しかし、ヒロシゲの興味は別の方向へ進んでしまい、絵画には“か”の字も興味がなく、機械、電子などの工学系とスピリチュアル系に興味が向いてしまった。
ヒロシゲの名前の由来はさておき、彼の趣味によりヒメノはよくあちこちへ連れて行かれる。けして観光でも遊びでもない。
「伯父さん、せっかくの連休なのに、急に連れ出すの止めてよぉ。あたしだって、用事が」
「無いだろ」
図星を突かれ、ヒメノは視線を逸らせて傘で顔を見えないように隠した。
「ヒメは」ヒロシゲはヒメノを”ヒメ”と呼ぶ。「予定がある前の晩はスマホいじり、出かける準備に大忙しだからな。それがないという事は……“無い”」断言される。
「じゃ、じゃあ、学校の宿題とか……」
「しないだろ三連休の初日に。それに俺の仕事以上に重要な宿題などこの世に存在せん! いや、最優先事項は俺の仕事、次いで宿題だ。ヒメは利口に育てたから明日明後日の二日でどんな宿題も終わらせられる!」
自信過剰、そして買い被り。
ヒロシゲの性格は昔から治らず、反論した所で亭主関白のような迫力と理攻めにより高校二年生のヒメノは負けてしまう。
理攻めの伯父VS女子高生ヒメノ。勝てない組み合わせであった。
「分かった。っで? 今日はどんな仕事なの? そんなアタッシュケースまで持って」
連行される際、遠出する訳でもないのにヒロシゲが持っているアタッシュケースがずっと気になっていた。
「あの建物の事を知っているか?」
廃ビルは、ヒメノの高校でも噂が立っている。
噂を知っているヒメノは両手で傘を握り、顔が引きつった。
「え……マジ?」
「マジだ」
何をするかは分かっていないが、そのビルでは悪霊が出ると噂されている。噂を明確にする事件が現実に存在する。
他校の男子高校生数名が肝試しをしにビルへ侵入して帰ってこなかった事件があった。
行方不明翌日、男子高校生の親達が行方不明届けを出し、夕方、ビルにいる情報が入いる。そして大人数で捜索して一時間後、行方不明の男子高校生全員が気を失った状態で発見された。
男子高校生達が見たものは別々だが、とにかく”女に襲われた”と、口々に訴えたのだという。
「色々詳細を調べた結果、三人の女があそこに居座っているらしい」
「そんな、不審人物がいるみたいな言い方してるけど、悪霊だよね! 一般人が見えるほど恐い悪霊だよね! そんな危険な所に姪を連れて来る!? 普通!」
ヒロシゲは鼻で笑った。
「こんな機会滅多に拝めるものではないぞ。悪霊は基本恐い。それは誰もが知っている事だ。脳内で定着したジャパニーズホラーのイメージが張り付いたせいであのような化物に怯えるようになった。しかしガチで見える霊媒師、見えて生活している連中はどうだ? 結構平然としているし、幽霊達は何かを伝えたがってるとか言ってるだろ?」
「ま、まあ、言ってるかな?」
ヒメノは怖がりながらも、怖いもの見たさの心情からか、夏のホラー特番は好きで毎年欠かさず見ている。
「ようは見え方の問題だ。固定された恐怖心を煽るスタイルのせいで、確実に殺されると思い込みが働き、相手を悪霊に見せている。なら、そんな固定観念など俺の発明品で一発解消すればいいだけの話だ」
アタッシュケースが発明品だと分かるも、嫌な予感が増幅する。
「え、じゃあ……伯父さん一人で行けば?」
「駄目だ。可愛い子には旅をさせろというだろ。こんな事で逃げるような軟弱者に育てたとなれば、天国の”タイカン”に申し訳がたたん」
横山大観がヒメノの父親の名前の由来である。
またも余談だが、生前の父の職は普通のサラリーマンだ。
ヒメノは言い訳しようと口を開くも、”そんな隙すら与えず”と言わんばかりにヒロシゲは告げた。
「これが終わったら好きなスイーツを奢ってやる!」
流行のスイーツが頭に浮かんだヒメノは、それを食べたい欲望が、恐怖の感情よりも勝った。
スイーツ如き、小遣いで買えそうなものだが、現役女子高生には他に欲しいものを優先してしまいスイーツまで手が伸びない。
アルバイトという選択肢もあるが、過去、ヒロシゲに『伯父の手伝い以外を学生時分に優先するなど、言語道断だ!』と念押されてしまい、選択肢すら存在しない。
ヒメノの恐怖心は一時的に払拭され、スイーツ目当てで伯父の仕事の手伝いをする事となった。
2 車椅子の女
建物に入ると、早速ヒロシゲはアタッシュケースを開き、中から焦げ茶色のベルトを編みこんようなモノを二つ取り出した。
ヒメノに一つ手渡し、「着ろ」と命令する。
編みこんで、ごちゃごちゃになっているソレを、どう着るか分からず、ヒロシゲがシャツの上から着終わったのを見ると、その風貌にヒメノの羞恥心が爆発した。
中肉中背の中年オヤジが、いかがわしい遊びと称し、紐で縛られ、鞭で叩かれて喜ぶ、まるでSMプレイの際に縛り上げられたスタイル。
ベルトの隙間から肉が漏れているのが尚の事嫌だった。
「嫌よ絶対!! ってか、思春期の女の子になんて格好させる気よ!」
「ふん。このベルト状のほうが全体に効果を発揮しやすいのだ。一見恥ずかしいようでも上着を羽織れば……ほら、どうってことは無い。恐いよりいいだろ」
だからシャツ姿の上から着たのだと納得するも、かといってこんな場所で下着姿も嫌であった。
上の服を脱いだらブラジャーしか着けていないから尚更だ。
「嫌よ。こんな所でブラ姿になれって、はしたない姿の姪、見たいの!?」
「馬鹿者、親が娘の裸に興味を持つなど言語道断だ。気持ち悪い。嫌ならいいが、後で後悔しても知らんぞ」
ヒロシゲはサクサクと階段まで向かった。
「あ、ちょっと待ってよ!」
ヒメノはベルト服を握ったままヒロシゲの元へ駆け寄った。
三階へ上がって、いよいよその変化の兆しが起きた。
――パンッ、パンッ。
音に反応し、ヒメノはヒロシゲの腕にしがみ付いた。
「な、なに?!」
「ラップ音ってやつだろう。いよいよ悪霊とご対面らしいぞ」
「悪霊って、どんな姿なの?」声が震えている。「女の霊って聞いたけど……」腕を握る力も増している。
怯えるヒメノの力加減に構わずヒロシゲは説明した。
「情報では三体の女の霊らしい。一人は車椅子。一人は白服で徘徊。一人は窓際を離れないとか」
ヒメノの脳内はホラー映画さながらの怨霊姿が甦り、それが定着した。
――キィ、キィ、キィ……。
突然、何かが擦れるような音が響いた。
三階のある一室に入った時、その音が治まり、ヒメノはやや安堵した。
「おい、震えてるぞ」
「あ、当たり前じゃない。誰だって――」言葉が途切れた。
ヒメノの眼前をヒロシゲも見ると、そこには車椅子に乗った患者服姿の髪の長い女性がこっちを見て笑っていた。
肌の部分はまるでゾンビとばかりに腐敗している印象を与え、両目は白目、歯を出して笑っている口元は干からび、歯はボロボロ。
ヒメノが悲鳴を上げようとするとヒロシゲに口を押えられた。
「落ち着け、相手は俺達を殺す気は無い」
言われても、車椅子の女が首を傾げて近寄ってくる様を見ると、まさしく襲われる事しか頭になかった。
気を失えない程胆力が備わっているのか、ヒメノはその体質を少し恨めしく思う。
「だから言っただろ、恥ずかしいからと言って、俺の発明を着ないからそうなるんだ」
ヒメノはヒロシゲの背に顔を預け、震えていた。
先ほどまで鳴っていたのが車椅子の音だと分かり、その音が急にしなくなったという事は傍にいる証拠。
その連想をヒメノは導き、ヒロシゲの背に顔を埋めた。
「――ん? ああ、まあ、年頃の娘だからそんな悩みもあるんだそうだ」
まさか、ヒロシゲが車椅子の女と話していると分かったヒメノは、本気で驚いた。
恐くないのか? 発明の成果か?
どちらにせよヒロシゲは凄いという結論である。
「――んな事を言われても……はい……はい。ああ、そうですか……」
なにやら注意されている様子である。
「――分かりました。では○○○○さんですね」
名前を聞いたらしい。
「――そうです。ああ、そうですか。ではお願いします。あっちで説明はしてくれるでしょ。神様のいる世界だから。……はい。じゃあお願いします」
ヒロシゲの会話が終わると、言葉をヒメノに向けた。
「終わったぞ」
揶揄われていると思い、そっと背から部屋へ視線を戻すと、そこには誰もいなかった。
「……さっきの女は?」
「成仏したよ。近くの病院で亡くなったらしいが、ずっと病院内を進んで娘に会いに行ったらしい。自覚が無くて十年以上もそのままだったそうだ。いや、それよりも説教された」
「なんて?」
「年頃の娘にそんなもの着せるなってな。いや、なにより着せてないがな」
あの見た目で乙女心が分かるなど考えられないとヒメノは思うも、生前は普通の人間なのだから、真っ当な意見が言えるのは当然である。
「でも伯父さん、どうして普通なの?」
「俺の発明だぞ。固定観念など払拭して当然だ。俺から見たら今の方は穏やかな顔の老婆だった」視線を雨が降る外へ向けた。「この雨空の色合いが良い感じにしっとりさせた雰囲気を老婆に与えていたぞ」
どう考えてもホラー指数を上げる環境だが、ヒロシゲは自分の発明に関し嘘をつかないことは知っている。
ようやくヒメノは、本当に発明の成果なのだと信じた。
「どうする? 着るか、着ないか」
勿論答えは分かっている。
「伯父さん、覗いたら絶対許さないから!」
隣の個室に向かい、壁に隠れて着替え始めた。
3 ワンピースの女
四階へ上がるとヒメノはその女の存在に気付いた。そして、恐怖が先ほどと同じように増幅し、ヒロシゲにしがみついた。
「どうした。ヒメ」
「伯父さんの嘘つき」小声で震えている。「これ着ても全然怖いじゃん」
離れているが、その女は汚れと血に塗れ、元の色合いすら不明瞭なワンピース姿をしている。
露出している肌はすべてが汚れてくすんだ青白さを醸し出している。生きてる人間には出せない色合いである。
目を見開き、首を傾げ、こちらに気づき、迫ってきた。
「――き、来たぁぁ!」
恐怖するヒメノに反し、平然と事態を分析しているヒロシゲはあることに気づいた。
「ああ、そういう事か」
いきなりヒメノの後ろに回り、しゃがみ込んだ。
「ちょ、伯父さん! 嫌だぁぁ!」
ヒメノは迫り来る女の怨霊の向かいに立っていた。
「ええい、お前が周波数いじるからこんな事になるんだろうが! ちょっとは我慢して待ってろ。ってか、片手じゃやりづらいから裾を持ってっろ!」
丁度周波数を調整する部分が腰にあるらしく、ヒロシゲはヒメノのシャツを捲し上げた状態で調整していた。
早くこの恐怖から解放されたいヒメノは胸すれすれまで服の裾をを捲し上げ、近づく怨霊の顔に恐怖し、ぎゅっと目を瞑った。
まるで迫る距離を示しているかの如く、ラップ音が次第に多くなり、迫ってきている。
急激に増すラップ音。
目をつぶっても感じる気配。
治まらない寒気と鳥肌。
恐怖で気がおかしくなりそうなヒメノは、女の霊がすぐ、目の前にいると分かる。
見られている。だけど恐すぎて目が開けられない。
「――ヒィッ!」
ヒメノは脇腹に冷たい何かが触れるのを感じた。怨霊が触れている。ホラー映画のイメージが脳内を支配した。
「はい、完了」
ヒロシゲの言葉を聞き、彼の手が肩に乗せられても、ヒメノは目を開けれなかった。
「あー羨ましい。なにこの肌、チョー綺麗なんですけどぉ。ってか、初対面にへそ見せとか、マジ何考えてんの?」
いきなり現場に不似合いなギャル語が聞こえた。
先ほどまでの寒気は残るものの、ヒメノはゆっくりと目を開けた。すると、そこには怨霊と同じ服装をして全身青白いままだが、人間らしい雰囲気の女がいた。
ギャルが怨霊の仮装をしている。という印象を女に抱いてしまい、まるで怖くなかった。
「こちとらようやく人に会えたってんでぇ、テンションアゲアゲで話しようとか思ったのにぃ、人見てビビるとか、マジあり得なくない」
「……ご、ごめんなさい」
女はまじまじとヒメノを見て、ヒロシゲに目を向けた。
「この子、おじさんの子? 似てないね」
「俺の弟の娘だ。両親とも事故で死んで俺が預かってる」
女はいたたまれない気持ちになり、両手を腰に当てて強気な姿勢をとるも、急に右手を軽く握りこぶしを作って口元に当て、左手で右手を包んだ。
「ご、ごめん。あたしそんなつもりで言ったんじゃ……」
怨霊の恐怖、突然の気の強い系ギャル、そして乙女。
女の変化にヒメノは戸惑った。
「あ、いえ、お気になさらず。亡くなったの小さい時だし、今楽しいので……」
「あ、あたし、成人してテンション上がって酒飲んで遊び倒して、自分の限界分かんなくなって死んじゃったんだ。急性アルコール中毒ってやつ? で、生きてる皆が羨ましくって。現世にいればいるほど想い募っちゃって……」
「それで人を襲ってるのか?」ヒロシゲが訊いた。
「違うよぉ。友達になろうって思ったんだけどぉ……」
自分の容姿がどうなっているか分からないまま他人に迫ったら気を失われてしまう。
女の想いに反し、起こる事象は報われないものとなった。
「とは言え、こんなとこにいても解決しないぞ。自分でできるなら成仏する。無理なら俺の腰のキーホルダーに憑いてろ。後で供養してやる」
「えー、おじさんすごく優しい。ずっとこのままで困ってたんだぁ。じゃあ、遠慮なく憑いてもいい?」
「ああ。話はできなくなるが、次は酒飲み加減の判る人間に生まれ変われよ」
女は、警察の敬礼のように右手を額に当てて、了解。と返した。
「あ、さっきは驚かせてごめんね。ここにいたらあんな感じが定着した。みたいな感じだったから」
「いえ、こっちこそごめんなさい」
女はヒメノに向かって手を振ると、薄っすら消えていった。
どことなく切ない雰囲気だけを残し、窓に打ち付ける強めの雨が、その感情を少し引き立てた。
4 三人目には説得を。ヒメには持論を。
五階に上がると、窓の外を眺める長髪の女がいた。
周波数を下げて怨霊状態を確認する度胸のないヒメノは、しんみりとした雰囲気の女を見ている状態でヒロシゲについていった。
その女は恋人をほかの女性に取られ、失意のうちに死んだという。なかなかやまない雨の日に女は亡くなったらしく、こんな日はずっと外を眺める習性がついてしまったらしい。
四階のギャル同様、成仏の仕方が分からない女にヒロシゲは先ほどと同じ方法を提案した。しかし女はこのままでもいいと言って外を眺めている。
『そんなことを続けても何も解決せず、心も晴れやかにならない。いっそ違う世界を見に行く勇気も必要だ』とヒロシゲは諭し、説得を続け、女はようやく同意した。
三体の女の怨霊問題を解決すると、二人はいよいよ強まった雨が治まるまで五階に居座った。
一件落着し、ヒメノはヒロシゲの発明品と理解力と行動力に感服した。
「つーか伯父さん、実は霊媒師とか何かだったりすんの?」
「んな訳あるか。俺はいろんな発明品を作るのが好きなだけだ」
「でも、怨霊見えるとか、話せるとか、あたし霊感とかないと思ってたのにあるようになったし、これって伯父さんのおかげだったりすんじゃないの?」
「ヒメはアニメの見すぎか? んなもんなくても科学の力でどうとでもなるだろ」
(いや絶対違う)と思った。
なにより、ヒメノがアニメの見すぎなら、ヒロシゲは科学に没頭しすぎだ。
「すべては周波数の問題だ。怨霊だ悪霊だっていうがな、全ては磁気やら電磁波が影響するものが大半だ。地球は巨大な磁石だと前提し、でも普通の磁石とは別の、もう少し異質な磁石だと仮定して物事を考察していけば、ほとんどがそういった気力の問題だ。気力っていっても気功とは別のものだ。でも、それでも解決できないときはスピリチュアルの分野。大半は人間の念が関係している。こっちは気功が影響して念に深く関係していく、怨霊なんてのは著しくどこかに偏ったエネルギーが地球の気力に干渉し、見えない力となって燻り留まった存在だ。どう見えるかは捉え手の思い方次第。こんな薄暗い環境では怨霊めいたモノになってしまう。要は周波数を変えればあんな感じに見えるだけの話だ」
大層な理論なのだろうが、ヒメノにはさっぱり分からない。いや、誰にも伝わらない理論だろう。
説明に細かな説明が足りない。おそらくヒロシゲなりの理論が常識として説明いるのだろうが。
なにはどうあれ、まず女子高生に理解できるはずもない。
ヒメノは途中から話を聞き流し、少しだけ弱まったと思われる雨降る光景を眺めていた。
「……雨、全然やまないね」
「おいヒメ、ここからが大事なところだぞ」
急にヒメノは大事な事を思い出し、両手を叩いて合わせた。
「スイーツ! 早く食べに行こうよ!」
ヒロシゲは熱弁する気力が著しく下がり、何気ない雰囲気のまま外を眺めた。
「雨、全然やまねぇな。こんな時に菓子食って美味いのか?」
「チョー美味い! 知らないの、今流行りの――」
今度はヒメノのスイーツ熱弁が始まった。到底ヒロシゲに理解はできない。
子は、生みの親だろうが育ての親だろうが、親に似るらしい。