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【二十四節気短編・夏至】 夏至の目隠し老爺

1 目隠しの老爺


 三日間降り続いた雨も嘘のように晴れた日の事。気に求めなければ知らぬ者が多いだろう本日は夏至である。一年の内、もっとも昼の時間が長いとされる今日こんにち、港町に住む多吉たきちは小高い山を越えた先にある町へ魚の干物や乾物を売りに行っていた。
 まだ日も登らぬうちに港町を出て、昼前に問屋へ品を売り、儲けた銭を丈夫な巾着袋へ入れると寄り道することなく帰路についた。

 一見して真面目に見える多吉だが、それは本日だけの事であり、普段は『土産』と称して高い菓子や必要のない置物などを買ってしまう浪費癖が沁みついていた。
 そんな多吉が寄り道しないのは、先日、浪費癖を妻と父母、更には齢八つになる娘にまで叱責されてしまった。これだけならいつものことだから大して効果はないのだが、その日ばかりは皆の怒りが尋常ではなかった。
 怒りが増したのは、多吉が愛用していたズタボロの巾着袋のせいで銭が零れ落ちてしまったのだ。その巾着袋も前々から変えろ変えろと忠告されていたのだから、もう多吉は頭が上がらなかった。
 失った金額は微々たるものなのに、普段の生活態度も相まってか、だらしない所を寄せ集めて家族中から非難の的となった。
 さすがに多吉も猛省し、寄り道などできようもなかった。

 山の中腹辺りの通路沿いに、休憩するには丁度良い窪みのような洞穴がある。誰が置いたのか、もしくは自然にあるのか、まるで座ってくださいと言わんばかりの横に長い岩も。
 この通路を通る時は多くの者がここで休憩するのに利用するが、傍らに地蔵が置かれているのは、誰かがこの休憩場所を御仏の加護と思い拵えたのだという。
 そんな情報は多吉にとってどうでもよく、ここで昼飯の干し肉と煮干しを食した。丁度米を切らせているらしく、近所からのお裾分けである干し肉と煮干しで我慢するように、と妻に言われている。

「ほ、ほう……。あんさん、身体が大きいのにそれじゃあ物足りんだろ」
 いつから居たのか分からないが、突如奇妙な老爺の声がして、多吉は全身をビクリと僅かに跳ねる程驚いた。
「な、なんだ!? 爺さん、いつから居たんだよ。脅かすな」
 普通の人間ならここまで驚かないが、その老爺は薄汚れた草色の布で目隠しをしており、衣装も黒ずんでいるのが不気味さを増長させた。何より奇妙なのは、目隠ししているのにどうやってここへたどり着き、多吉を身体の大きい男と分かっているのか、だ。
「爺さん、目が見えねぇのか? なんでこんなとこいんだよ」

 来るときには誰も居なかったのを覚えている。もしや、傍の地蔵に宿る仏の類かもと、多吉の勘が働いた。

「ひゃはは、もうかなり前に目を怪我してこの様だ。目の見た目を毛嫌いする奴が多いんでこうやって布で隠しちゃいるが……見るかい?」
 老爺が布に手をやると、多吉は必死に止めた。不気味だとか気持ち悪いといった感情で見たくない一心だ。
「目は確かに見えんよ。けど耳や鼻や身体が色々感じんのよ。それらが周りの風景を見せてくれてな。……あんさんが今、音を殺して干物を包んでる竹皮をしまおうとしてるのも見えとるぞ」
 顔は多吉へ向けられていないのに行動が読まれている。ますます気味悪がった多吉だが、大きく呼吸して向き合う覚悟を決めた。”いざとなったら全速力で逃げればいい”、そんな意識も働いている。
「……なんでぇ、爺さん話がしてぇのかよ」
 老爺はニンマリと口を広げて笑んだ。
「おお。若者との話は元気が出るからなぁ。話しはしたいぞ。出来るなら、奇妙な話しとかの方が面白おかしいんだがなぁ。あんさんの夜這い話でもいいが、くだらん話し方はせんでくれよ。事細かに語ってくれんと冷めちまう」
「なんだよスケベェか? その歳で頑張っと死んじまうぞ爺さん。奇譚が好きなんか?」
「面白いだろ? 普通の奴がああしただこうしただの与太話を聞いて何が面白い? 誰もが頭を悩ませるもんだから面白いんだろ? 幽霊か、人か、将又はたまた狐狸が化けたか。あんさんは嫌いか」
 多吉もそういった話は好きな類である。
「うーん……、爺さんが好むか知らんが……、俺が品を売りに行った町で妙な女の話は聞いたぞ」
 老爺は早速詳細を求めた。

 話しは、宿屋で働いていたある女中の話である。
 その女中は、ある日崖から身投げして死んだという。自殺と思われるその死の原因が宿の主や奥方の虐め、女中界隈での嫌がらせ、両親の死、客と男女の関係になったが酷い捨てられ方をしたなど、様々であった。
 女中は何かをやり残したのか、それとも怨みを晴らす為か、梅雨時期からお盆明けまで現れては、宿のモノを漁ったり入れ替えたりと迷惑ばかりをかけている。
「んでよ、死んだ女中が『キヨ』って名前だからよ、何かあったら、おキヨが現れたって言われてるそうだ」
「ほうほう……。死んだおキヨさんの幽霊とは……。この時期に打ってつけの奇譚じゃなぁ。いや怪談だな、幽霊云々ってのは。是非とも会ってみたいわ」
「おいおい爺さん、幽霊なんぞに会いたいのかよ」
「見ての通りワシも先が短いし目も見えん。何を怖がる必要があろうか。それよりもなぜ現れるか、その心意を確かめるほうが楽しいだろ?」
「所詮噂だぜ。おっと、長話が過ぎると家のモンから寄ってたかって大目玉だ」
「そっちの話も面白そうだなぁ」
「何が面白れぇよ。どんだけ俺が嫌な目に遭ったか。縁がありゃ、また話してやるよ。じゃあな」
 多吉はいそいそと帰っていった。姿が見えなくなると老爺は立ち上がり、懐から鈴の付いた数珠を取り出した。それを振って鳴らすと、初めは音が響くが、次第に聴こえ方が鈍くなった。
「ほっほっほ。では、おキヨさんとやら、確かめさせてもらうとするかな」

 老爺は町へと向かった。

2 帰路の鈴


 町で一番大きい宿屋にて、今日も女中たちが女将の眼を盗んで仕事の合間に噂話で油を売っていた。いつもは質が悪い客人の情報交換と女将、親方への愚痴が多く、女中たちの組み合わせで嫌いな女中の悪口。と、コロコロと話しは変わっている。しかし七月も近いこの時期には、どういう訳か”おキヨの話”も組み込まれる。

「ちょいと、雪の間で、またおキヨが出ちまったかも」
 宿で八年も働く女中・しず代は、気の合う女中と後輩に声をかけた。
「客が持って帰ったんじゃないのかい? こないだも持って帰られたのがあったから」
「あ、でも、雪の間のお客様って……」
 泊り客は、妻に内緒で愛人と宿泊した裕福な家の跡取り息子である。わざわざ愛人と泊った証拠を持ち帰る必要がなく、女も女で銭を貰っているのに取り皿を持って帰る意味が無い。
「あの女、隣町のあたしの親戚の近所に住んでる女で、いい生活してんのよ。皿一枚持って帰る必要ある?」
 つまり、おキヨの幽霊が持ち去った可能性が高くなった。とはいえ、しず代はこういった怪談も、世間話も、何かに着けては他人の粗を引っ張り出しては話を盛り上げ、そこから他人の知られたくない話等を主題として悪口に花を咲かせる。
 これが故意にしているのも質は悪いのだが、日常茶飯事で悪口に結び付けてしまうのだから、もうしず代の性根でしかない。

 おキヨの話から愛人と客の話に切り替わろうとした矢先であった。
「あんた達、なに話してんだい?」
 宿の女将・ツル子が一喝すれば、女中たちは黙って全員逆らえない。
 過去に激しい罵声が飛び交うまでに言い合った女がいたのだが、言い合いに負け、さらには悔し泣きを露にして暴力に打って出た。しかしツル子も負けじと、叩かれたら叩かれた分だけ顔や頭を引っ叩き、説教まで浴びせ続けた。敢え無くその女中は負けて宿を辞める羽目となった。
 このような経歴もあり、長年働く者はその事を知っているからツル子には逆らえない。だが、ツル子が間違った事を言っているわけでもなく、更にはいつも怒っている訳でもない。女中たちへの気遣い、中々褒めないが褒める時もあるため、根っからの鬼ではない。
 女将として宿を支えるべき責任を真剣に全うしているだけである。

「しず代、あんた下の者の手本にならないといけないんじゃないの。手抜きと喋りに感けるのがあんたの教わった仕事かい」
「……すいません」
「謝るぐらいなら初めからするんじゃないよ。ったく、何年働いてんだい。何度も何度も注意して治んないんだったら辞めてもらうからね」
「それだけは勘弁して下さい」
 ツル子はしず代の様子をじっと見た。しず代は何度も頭を下げるのを見ると、鼻を鳴らして溜息を吐いた。
「あんた達もあんた達だ。こんなお客様が通る所でいつまで喋りに感けてんだい。遊びでやってんじゃないんだよ」
 他の二人も必死に頭を下げると、ツル子は仕事を与えて行こうとしてた客間へ向かった。

 仕事終わり、しず代の怒りは治まらず、帰路で後輩の女中・トメ子に愚痴をまき散らしていた。
「あんのクソババァ! 本当に大っ嫌い!」
 怒鳴ってはいるが声は抑えている。
「大体、あのババァがおキヨを海に身投げするまで追いやったのが悪いんじゃない!」
「ええ!? おキヨさん……女将に……」
「ババァでいいのよあんな奴。それに、これは結構有名な話よ。後、向板むこういたの平蔵と男女の仲って言うしさ」
 向板とは、調理場の刺身担当を指す。
 トメ子は口を押さえて驚いた。
「驚いた? あのババァには黒い噂がいーっぱいあんのよ。あんなんの傍にいるとこっちの女としての質が落ちるから、さっさと辞めたいんだけどねぇ。ウチもウチで色々あって居なきゃいけないから仕方なく居続けてやってるの。誰があのババァのとこに居たいと思うか」
 トメ子は誰かに聞かれるの恐れ、周囲を警戒していた。
「ちょ、姐さん、声が」

 チリリーン……。
 何処からともなく鈴の音がした。
 しず代が立ち止まって周囲を見回すも、誰もいない。
「あんた今、鈴鳴らした?」
 訊くも、見るからにトメ子は両手に荷物を抱えているので鈴があっても鳴らせない。
「鈴の音なんてしました? 虫とか、民家の声とかはしますけど」
 チリリーン……。
 また鳴った。
「ほら、鈴が二つくらい鳴ったような」
 必死に告げられるも、やはりしず代にしか聴こえていない。
「姐さん、疲れてるんじゃないですか?」
 鈴の音はそれっきりで、幻聴が聴こえる程疲れているのだとしず代は思った。
「絶対あのババァのせいで変な幻聴までしだした」
 誰かのせいにしなければ気が治まらないでいる。

3 老爺の眼


 二人は橋で別れ、しず代は家まであと少しの所まで来た。

「お前さん、どす黒いのぉ……」
 突然声が後ろから聞こえ、しず代が振り向くと、月明かりに照らされる目隠しをした不気味な様相の老爺が立っていた。
「――ひぃぃっ!」
 しず代は腰を抜かしてしまった。
「おお、案ずるな。何もお前さんを取って食おうともせんし、辻斬りでもない」
 とはいえ、常人とは思えない奇怪な老爺に気など治まりはしなかった。
「だだだ、誰だい。あたしゃ金はないよ」
 尻を擦ってでも遠退くしず代だが、老爺は一歩も近づかない。
「盗人でもないわい。おキヨという幽霊に会えると思って来たんだがな、どうやら噓偽りで残念だったのだ」
 不思議と声は遠退かない。
 老爺は懐から鈴付きの数珠を取り出して鳴らした。
「そ、その音……さっきの」
「これが綺麗に聴こえる者は、魂が黒く染まった証拠。おキヨさんはおらんかったが、いい者に会えて嬉しいわい」
「な、なに言ってんだい。あたしが何したってんだ」
 またも鈴を鳴らすと、しず代は動けなくなった。
「え!?」
(動けない)
 しず代の焦りは、徐々に近寄る老爺を見てさらに増した。

「取って食う訳でないと言っただろ? お前さんは殺すより生かす方がワシとしては都合がいい」
「あ、あたしが、何を」
「聞いておったぞ。おキヨという女中のせいにして皿を盗んだだろ? 裏の奴に売ればいい金になるしのぉ」
 しず代が口答えしようとするも、老爺が鈴を鳴らして声が出ない。
「また、事あるごとに誰かの汚点や秘め事を話のネタにするわ、何でもかんでも悪口ばかり吐き散らかし話に花を咲かせていただろ? 口も頭も悪辣ではないか」
 しず代は頭を何度も振った。必死の様子から、やはり老爺は何かしらの罪人に見えていると分かる。
「だから勘違いするな」
 嬉しそうに老爺は近づく。しず代の恐怖などどうでもいいらしい。
「ちょいとワシの話になるんだがな。若い頃、手を出してはならんもんに手を出して以降、目が見えんようになった。で、それだけにとどまらず食うモンも変わっちまったんだ。いやぁ苦労したぞ。若気の至りで一生癒えぬ傷を負ったようで、食いモンについて知るのも難儀したわ。運よくあの方と会わんかったらどうなってたことか」
 何を話しているか分からない。ただ、老人にしず代の心の声が聞こえていた。
「ああ、不思議だろ? けど常人には知らんだけで、世の中には表には出ん不思議な事を生業としてる輩がそこかしこにいるんだ。だってそうだろ? 常人とは縁遠い連中やら怪奇やらを相手にしても、一銭の特にもならんからな」
 けらけらと笑う老爺がすぐ傍に立つと、目隠しを手に取った。
「どうあれ、ワシはお前さんの縁にありつけた」

 目隠しが取られると、しず代は恐怖で全身が冷え固まったようになった。
 老人の見開かれた目は真っ黒で、瞳はこんな暗がりでも真っ赤に光って見えた。
悪口雑言あっこうぞうごんに悪因悪果。悪道を歩み続けたツケ払いだ。いつ終わるかしらんが、苦の道を歩め」
 不気味に老人が笑うと、しず代は悲鳴を上げて気を失った。


 翌朝、宿ではしず代が働きに来ない事にツル子が心配していた。朝から女中達に事情を聞いて回ったが、誰も真剣に意見する者がいない。普段からしず代の悪口三昧に嫌気が差していた者が多く、心配する様子もない。
「そういや……昨晩帰る時に鈴の音がしたとか」
 トメ子が言うも、だからといってしず代が来ない理由にはならないとして相手にされなかった。

「女将、平さんの事ですが」
 トメ子から見て別の先輩女中が割って入った。
「ああ、先方さんとは話を付けて来たから安心をし」
 平さんというのが向板の平蔵である。
 ツル子は口が堅いから聞いても教えてくれないと思い、ツル子のいない所でトメ子は先輩の女中に事情を求めた。
「平蔵さん、なんかあったんですか?」
 その女中は平蔵の親戚であり、平蔵の兄が博打で借金を拵えて借金取りが平蔵に金の請求に来たという。
 平蔵は少しずつ返済したが、いわれのない利子を理由に借金が無くならないのに悩んでいた。
 事情を聞いたツル子は、お役所の方々の協力を得て借金問題を解決したのだという。

「しず代には内緒だよ。あの人、女将の事になると根も葉もない嘘と悪口で盛り上がるだろ。気が悪いったらありゃしない。あんたもあんたで悪口覚えるより仕事覚えなよ」
 別に悪口を覚えたいわけではないが、しず代の傍にいるだけでそんな風に思われているのはトメ子には良い気がしなかった。しかし、しず代が来れば、また悪口の渦中に入るのだと考えると気が滅入った。
 トメ子の気苦労は、後に解消されると、彼女は知る由もなかった。


 夕方、ツル子がしず代の家へ向かうと、昨晩から何かに怯え、布団にしず代が潜って出ない状態であったと家族に告げられた。
 ツル子が部屋へ入り、何度も声を掛けるも返事が嚙み合わなくて話にならず、致し方なく布団を引っぺがすと、ツル子は言葉を失う程に驚いた。
 しず代の髪は白髪が増え、表情も一気に老け込んだ様子で目も焦点が合っていない。何度もツル子が声を掛けても、しず代にはツル子が見えていない様子であり、うわ言で何かを呟いては謝り、時に涙を流していた。

4 老爺との再会


 七月一日。
 多吉が隣町へ品を運び終え帰る途中、あの場所で老爺と再会した。不気味ではあるものの、初めの頃より怖くはない。

「んで、小遣いもらえて昼飯を買えるって訳だ」
 老爺は多吉の苦労話を微笑んで聞いていた。
「爺さん、まだ怪談話聞きてぇのか? 町に行きゃあ、噺家が怖いの話すだろ」
 時期としては怪談話で盛り上がりを見せる頃だ。
「んやぁ、アレはあれで面白いが、なんしか他人ひとが多いから気が乗らん。こうやって誰かと対面で、ひと気のない所でする奇譚や怪談を聞くから面白いのよ」

 多吉は町で噂された話を思い出した。
「怖い話っつーと、隣町の宿の女中が何者かに襲われて気が狂ったってのがある。なんでも、鈴の音がしたとかどうとかって。口の悪い女だったらしく、罰が当たったとかって話だ」
「ほう。その類なら聞いた事があるぞ。その鈴の音が聴こえると、今まで溜めた悪行のツケ払いのように、悪夢や幻覚に苛まれるとか」
「おっかねぇ。死ぬまでそうなんのか? その鈴の持ち主はなんだ?」
「ツケ払いと言っただろ。清算されるまでだそうだ。無理やり悪縁を結び付け、償いが済むまで本来得るであろう悪縁以外の縁を喰らうとか。まあ、聞いて分かるように訳が分からん話だ。面白くも怖くも無いわ」

 多吉は頭が痛くなり興が冷め、立ち上がった。

「じゃあな爺さん。またいつか会えたらさっきの話より怖い話を用意しとくわ」
「おお、すまんかった。達者でな」

 老爺は、多吉とは反対の道を歩いた。

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