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【長編】怪廊の剣士 三話
町長の屋敷へ到着すると、屋敷で働く者達も町長もラオにお辞儀し、あらかじめ用意していた部屋へと案内する。誰が見てもラオが地位ある者だと一目で分かる。
高級料亭の個室と思しき荘厳な作りの部屋へ案内されたルシュは、しばらくして提供された緑茶と饅頭に感心の息を漏らす。
「とりあえず、かなり高貴な出なのは分かりました。私みたいに野蛮な奴よりもっと品の良い、導師や術師に頼ればいいんじゃないか?」
「手段を変えなければならない事態でしてね。誰もが思いつく方法では危険と判断したのですよ」
ルシュは右手の平を向けて出した。
「敬語も止めて貰えますか。慣れないし、位で言えばそちらが上ですので」
ラオも敬語無しを要望した。話合いの末、ルシュが敬語を使う場は畏まった場、大勢の人の目にさらされる時となった。
「そもそも、なぜ怪廊にこだわる?」
「それは、妹のシャレイと我がクオ家の血筋が関係しているからだ」
西南西に位置する小国。皇国を守護する十一小国、八の国・イザ。この区域の統括を負かされている一族がクオ家である。
イザを任されたのはおよそ二百年前に遡る。皇帝を一族総出で怪廊の邪鬼から護った功績であった。
クオ家は繁栄とイザと皇国の安泰に貢献してきたが、およそ百五十年前から安泰に陰りを見せ始めた。邪鬼の呪いと後に称される、クオ家に産まれる女が怪廊に囚われてしまう現象が起き始めた。
「それこそ導師、いや、術師達のほうがいいだろ。結界で護れば、“怪廊に迷う”なんて事態は免れる」
ラオは目を瞑り、頭をゆっくりと左右に振った。
「昔からその手段は何度も行われた。それでも明確な打開策には至らないのが現状だ」
「じゃあ、クオ家の女はすべて怪廊に?」
「神隠しか行方不明と表だっては伝えている。怪廊に関係するなんてのが公になると民達に不審がられ、あらぬ噂を広められるだろうからな。けど元々、女がよく産まれる血筋だから隠すのも大変なんだよ」
とりわけクオ家は過去の功績が関係し、怪廊の良からぬ存在に呪われていると吹聴される危険が強い。それはクオ家の威信に関わる問題にも繋がる事態である。
「難儀だねぇ。数少ない男が余所から娶って今まで子孫を残してきたってんだね」
静かに頷くとラオは茶を一口、口を湿らせる程度に啜った。
「手段は無いが、歴代のお抱え術師達が過去の文献からシャレイを護る手を考えている。だがきっと無理だろうな」
「なぜ?」
「前回の異変から日が空きすぎている。術師達も公務を優先し、まだ本腰になってないんだ。ケツに火がついてようやく真剣になるだろうな」
内情を知るラオの意見。ルシュは大凡の事情を把握した。
「前回というが、クオの血を引く者はどれだけいるんだ? 由緒正しい一族ならけっこう多いだろうに」
「昔は三十か四十の家族がいたそうだが、今は二家族のみだ。現将軍で俺の父・ワドウ=クオの子である俺とシャレイ。伯父上の子・五歳の男児と二歳になる双子の女児。今はシャレイに気が向いているが、シャレイが怪廊に飲まれでもしたら次は伯父上の双子だ」
百五十年前から続く女ばかりが狙われる呪い。呪いが解消されないのは深刻すぎる問題だ。導師や術師達の真剣さが薄れていったのは、クオ家の勢力が弱まった証とも捉えられる。
未だ解決に至らない問題を抱える一族。それを皇帝が助けない点を鑑みても、今まで手は尽くしたが為す術無しか、他の問題を抱えているか。もし後者ならクオ家の血を絶やし、汚れある一族を正当な理由で抹消して別の一族をイザに据え置くだろう。皇帝の息がかかり扱い安い一族を。
邪推はいかほども浮かぶ。
クオ家は見放されつつある一族なのかもしれない。
怪廊の化け物で苦労する姿に同情してしまうのは、ルシュの生い立ちを照らし合わせて見てしまうからかもしれない。
ルシュは緑茶を一口飲み、湯飲みを置く。一呼吸ほどの間をおいて口を開いた。
「……条件がある。私なりの方法で行動するけど口出ししても聞かないよ」
「構わない。どこまで通用するか分からないがクオ家の術師達が何か言っても俺が遇う」
「もう一つ、どんな窮地であってもラオはシャレイを優先して助けな」
「ああ。その」
「私が死にかけてもだよ」
発言を遮ってまで告げた言葉にラオは返事が遅れる。ルシュのまっすぐで力強い眼差しはラオへ真剣さを伝えた。腹を括った武人の目。身内周りで何度も見てきた意思のブレない覚悟の目だ。
「……ああ、分かった」
怪廊に関わってきた者の力強さに、何処となく今まで感じたことの無い底知れぬ強さがあった。
「さて、依頼を引き受ける上で確認しておきたい。何か異変が起きるとして、明確な日時なんかは決まってるのか?」
「多くの文献では、十六を迎えた歳の秋にはっきりとした異変が起きるとあった。シャレイはこの春の終わりで十六になる」
「聞いててなんだが、随分と親切な呪いだね。日取りまで決まってるなんて」
「先祖が邪鬼を倒した日だそうだからな」
納得のいく答え。ルシュの口から「なるほど」と言葉が漏れる。
「起きる異変は様々だが、前回は六年前、神隠しが起きたとしか教えられなかった」
長丁場になる依頼。しかし猶予はおよそ半年。
明確な情報が少なく怪廊絡みの案件。
昨日の妖鬼と怪廊で見た巨大な化け物を思い出し、宜惹が何かを知る様子はあった。
嫌な事ばかりが重なる。ルシュは改めて気を引き締めた。
◇
イザへは町から馬を借りて向かった。途中、小川沿いに休憩で立ち寄った。
「ルシュは国を渡って旅をしているなら、玖陸の地にも手を貸してくれる者はいないのか?」
水筒(竹筒)の水を飲むルシュは心当たりを思い出す。
「いるにはいるが、シャレイの助け目当てで頼らないほうがいい」
「すまん。そういう意味で聞いたんじゃ。……ただの興味だ。話さなくても構わん」
「別にいいよ。玖陸では身を寄せる為に世話になってる人達が三人だけど、それぞれが玖陸の北部だし離れすぎてるから世話にならないだろうね。イザの国からだったら、バルガナの国境に一人」
突如浮かぶ、嫌な男の顔に説明が切り替わる。
「協力とは程遠いけど、ならず者が一人いるな」
「ならず者?」
「ああ。どこから嗅ぎつけたか知らないが私と偶然を装って会い、首を突っ込んでくる割に、こっちが手を借りたらちゃっかり報酬をぶんどっていくどうしようもない奴だ」
「無視すればいいんじゃないか? 放っておけば嫌でも余所へ行くだろ」
「そうしたいのは山々なんだけどね、妙に頭がいいからこっちが問題に直面してる時に解決に至る知恵を強引に貸してくれるのさ。なんとも言えない奴だ」
それはシャレイの問題解決に至る人物だと、心の片隅にラオは情報を忍ばせた。
「大事なことを言い忘れた」
「なんだ?」
「私の近くにいれば怪廊が現われる時があるけど、通り雨みたいなもんだからジッとしてくれるかい。いつの間にか元に戻るから」
「すごいな。怪廊から寄ってくるのか?」
「危険だから迷惑でしかないよ」
話の途中、何かを企む笑みを浮かべる宜寂を思い出す。
「けど大事なのはその怪廊じゃなく、そこから現われる導師だよ」
「怪廊に住む導師と知り合いなのか?!」
ラオの驚きは、心強い味方が現われているという思い込みだった。しかしルシュの怪訝な表情からは様子が違った。
「あれはさっき話したならず者よりタチが悪い。詐欺師か……いや、悪鬼の類いと心したほうが身のためだ」
「ずいぶんな言いようだな」
「奴は言葉巧みに人を誘導する。正しい意見を織り交ぜて口にするから味方のようにも思えてしまう。けど怪廊へ引きずりこむ向こう側の住人だ」
怪廊の住人、知恵のあるならず者。これだけでも妹を救う期待が持てる。平静を装いながらもラオの心の奥底では熱い想いが燻る。
「そっちの事情も聞いていいかい?」
ルシュが水を飲む馬の首を撫でながら訊く。
「皇帝からイザを任された名家なら、今もシャレイを護ろうと動きはあるはずだ。あんたの依頼は、集められた大勢と一緒に力を合わせて化け物と戦うのかい? もしそうなら、私としては抜けたいんだが」
「どうして?」
「下手をすれば私の体質が皆を怪廊へ巻き込む恐れがある。団体行動なら私は足手まといでしかないんだよ。ついでに言い訳させてもらうと、団体行動も苦手なんだが」
「なら安心していい。親父が躍起にはなっているが、俺は独断でシャレイを護ろうと動いてる側だから」
それは、父と対峙する可能性が示唆される。
「親子喧嘩か争いが起きるんじゃないか?」
「親子の仲違いならまだ可愛いほうだ」
神妙な雰囲気を微かに表情に混ぜたラオから、複雑な事情が考えられる。
「言える範囲で教えてくれるか?」
いくつかの仮説が浮かぶも、事情を求めた。
「親父とお袋は昔のやり方にこだわり導師や術師達を頼ってる。しかし今まで解決に至らなかった。まだ何かあるとしか思えない。それに皇帝が一切手を貸さない理由が気になる」
「一切? 少しも?」
「ああ。邪鬼の呪いが俺等クオ家にかかってるなら、悪化すれば皇帝への脅威になるはずだ。百五十年も呪いをかけ続けてる化け物だぞ。そう考えないほうが不自然じゃないか?」
「だろうね。怪廊の化け物なんてのは、人間風情がすべてを理解するのは無理な話だ」
長年、怪廊に住む存在を見てきたルシュですら、大物の化け物は一体も正確に把握出来ていない。
「なぜ皇帝が動かないか。確証はないが、クオ家を滅ぼす事を望んでいるんじゃないかと俺は睨んでる」
クオ家滅亡を望むとして、ルシュには二つの可能性が浮かぶ。
一つはクオ家が裏で悪事を働き、目障りだから真っ当な理由を付けて滅ぼす。もう一つは重要な秘密を握ってしまった為の抹消。
かつて別の国でそういった黒い諍いに巻き込まれたことがあるからだ。
理由はどうあれ邪鬼の呪いは良い口実になる。
「よそ者の私がどうこう言える立場じゃないけど、要はシャレイが皇帝からも狙われる危険があるから護らなくちゃならないってのか?」
返事は頷いて返された。
事態は想像していた以上に複雑な問題と考えられる。
不意に知恵を貸してくれるならず者の顔が浮かぶも、すぐに頼ってしまう自分の弱さに気づき、溜息を吐いて内心で戒めた。求めてはならない、と。
「行こう。もっと情報を知りたい」
二人は再び馬を走らせてイザへと向かった。
イザまで目と鼻の先という所で、ルシュはまたも冷たい空気を感じた。
「またか!」
馬を止めるとルシュは降りて警戒する。
ラオも馬を止めて降りるが、怖れも戸惑いもない。日常生活の一環のように剣と短刀を抜く。二刀流の構え。
「来るぞ」
またも狼の妖鬼と思っていたルシュの前に現われたのは、腰が異様に曲がった老婆のような妖鬼、九赦梨の悪鬼に近い。
(また異変か?!)
妖鬼がのっそりと八体現われて二人を囲う。やがて猿のように飛びかかってきた。狼の妖鬼と違い、動きは遅く連携も取れていない。近い者から飛びかかっている。
ルシュは躊躇うことなく胴を寸断し、続けざまに飛びかかってくる妖鬼を斜めに斬った。
ラオは素早く動いて懐へ潜り込むと妖鬼の胸部をひと突きしてすぐに短刀を抜き、蹴飛ばして背後から迫る妖鬼へぶつける。倒れざまにためらいなく顔面へと剣を突き刺して抜く。そして攻めてくる別の妖鬼を斬って仕留める。
それぞれ一撃で確実に仕留める動きにルシュは感心した。まだ無駄な動きが散見されるも俊敏で強い。頼もしくある。
妖鬼を仕留め終えると空気が元へ戻る。
「ここへ来る前、狼の妖鬼に襲われた。イザでは頻繁に現われるのか?」
妖鬼の遺体は溶けて紫色の液体へとなると、蒸発して消えた。
「今年に入って増えている。おそらくはシャレイが関係してるはずだ」
すべての妖鬼が消えた後、道路に薄紫色の煙が漂った。
「これは?」
ルシュが気にする方に目を向けたラオには何も見えない。妖鬼が消えた後に、シミが残っているが。
「妖鬼のシミか? すぐに消えるものだ、他では違うのか?」
薄紫色の煙が見えていない。
またも異変が起きた。これも宜寂の仕業か、それともクオ家に憑くものの仕業か。
妙な胸騒ぎを覚える。