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【長編】怪廊の剣士 五話

 命がけの交渉に打って出るシャレイを、説き伏せる言葉をルシュは考える。言葉で治まるなら良し、無理なら一瞬でも出来る隙を突いて短刀を手放させる心構えだ。
「お待ちなさい!」
 最中、女の声が大広間に響いた。引き戸より入ってきたのは、ラオとシャレイの母・トキである。
 縁取りを薄緑に、艶のある白色を基調とする曲裾深衣。模様とされる目立ち過ぎない鳥の絵柄は、気品を引き立てるものである。
 ワドウとルシュ達の間に立つトキは、静かに座し、ワドウへ提言する。
「将軍様の苦悩、痛いほどに存じております。状況から見ても尚のこと。ですが憤るままに言葉を発しても、それは真の解決には至りません。静かなお心で考えられますれば、いつもの聡明さがお戻りになられます。どうかこの場は、私めに一任を」
「すべてを知るなら、相応の考えを持ち合わせてのこと。そう考えて良いのだな」
 言葉に憤りは消えていた。
「はい。それでも無理と判断した際には、将軍様のご意向を第一に分からせますゆえ」
 このままではシャレイの横暴が通ってしまう。将軍としての示しがつかない事態を避けるべく、トキに任せるのは無難であった。
「よかろう。策ができ次第我に報告しろ」
 深々とトキは頭を下げ、ワドウは部屋を出た。

 引き戸が閉まり、ラオとヤンザの緊張の糸が切れるも、トキは静かに立ち上がりシャレイの方へと歩く。
「あ、お母様……、私」
 戸惑うシャレイの傍までトキが寄り、左手を差し伸べた。
「分かってます。ですから、そのような凶器を手放して」
 素直にシャレイは従う。鞘へ収め、トキへと手渡した。
 短刀を受け取ったトキは流れるように次の行動を、右手を振り上げ、シャレイの左頬へ。
 ――バチンッ!
 力強い平手打ちの音が小さいながらも響き渡る。
 態勢を崩したシャレイは頬を押さえ、叩かれた痛みとじわじわ押し寄せる熱さを感じた。
「命を盾に交渉するとはどういう了見か!」
 シャレイは口をつぐんで視線を落とす。
「貴女の呪いの恐ろしさは誰もが知っております。私たちよりも呪いについて多くを知る将軍様も、それを承知で術師達に頼るしかないのです。我が娘が死ぬかもしれない恐怖に苦しみ悩み、それでも尚、将軍として厳格にしていなければならない御方に対し、我が命を縮めようとする行い。これまで貴女を想い尽力してきた者達への侮辱に他なりません!」
 自らの愚行が恐ろしくなったシャレイの目から涙が零れる。それでも顔を泣き顔で崩さずに耐えていた。
 腰を下ろし、シャレイと向かい合うトキは口調を穏やかにする。
「よろしいですかシャレイ。命を交渉の場に出すのは暴力でありもっとも愚かな行為です。そして、命を盾に己が意を通した後、必ずや報いが与えられます。品格も地に落ちます。この苦難を乗り越えた先、そのような人でいたいですか?」
 頭を左右に振られた。
 トキは短刀を前に出した。
「コレは貴女の身を護るもの、貴女の命を奪うものではありません。次は扱いを間違えぬように」
「……はい。……御母様」
 いよいよ堪えきれず、短刀を握りしめてシャレイは泣き出した。
 トキはシャレイの頭を優しく撫でると、振り返りヤンザとラオを見た。
「御義父様、ラオとシャレイをおまかせして宜しいですか。わたくしはルシュ殿とお話が御座いますゆえ」
「待ってくれお袋」
「ラオ」
 鋭い目を向けられると、ラオは畏まった。
「母上。……ルシュは俺が」
「委細承知しております。ですので、今後について」
 ヤンザはラオに退くよう告げ、シャレイと揃って大広間を後にした。
 向き直ったトキは、部屋を変えるとルシュに告げ、揃って別室へと向かった。

 ◇

 トキの部屋へと案内されたルシュは、しばらくして侍女が運んできたお茶と、小皿に乗せた小さな菓子に目が行った。ちょっとした菓子にも、小皿の上に懐紙を乗せる品位、高級に見える湯呑み、手をつけるのに気が引けてしまう。
「お口に合うと宜しいのですが」
 勧められ、緊張気味に畏まりながらルシュはお茶を啜った。苦みがなく、喉を通った後に仄かな風味が押し寄せた。
 感動の想いが不意に顔に表われてしまう。
「喜んで頂けて何よりです」
 湯呑みを戻し、改めて姿勢を正した。
「ルシュ様。お噂では怪廊を行き交うことが出来ると」
 ラオに説明したように、ルシュは自らと怪廊との関係を説明した。
「……そうですか。私もラオ同様、怪廊に詳しい貴女様に頼りたい気持ちは御座います。しかし、シャレイに憑いた呪いは……」
「表には出せない、クオ家、ひいては玖陸の歴史に大きく関係しているもの。詳細は分かりかねますが、それほど深い関係があると心得ております」
「それを承知で将軍様へのお目通り、何か手はありましたのでしょうか?」
「確実な手段とは言い切れませんが宜しいでしょうか?」
 トキは説明を求めた。
「私の知る限り、面倒な怪廊の化け物が人に憑くには理由が三つあります。一つは多大な利益、一つは怨恨、一つは習性。そのどれかを探り、大元を叩くという手段です」
 トキは三つの詳細を求めた。
 利益は、怪廊に住まうモノが益を得るための行為。条件を満たせば憑いた人間の為になることを行うモノや、喰らうモノがいる。
「条件というのは?」
「様々です。贄となる動物、人間も含めですが。それらが一定数揃えば力を貸してくれるといった類い。他には、決められた行いを成せなければ罰が下るというものも。ようするに生活が困難となる枷です」
 怨恨は、人間の世界において溜りに溜まった怨恨の念が怪廊へ流れ、住まうモノ達の餌となる。恨み辛みの念を求める化け物達が姿を変え、人間をあらゆる手段で襲う。
「妖鬼のようなものですか?」
「大きい化け物がこの類いに属します。コレを成敗するには、いくつかの方法が。一番身近で簡単なのは、怨恨の元を潰します。ですが事情が複雑なモノばかりですので、そう易々とはいきません」
 最後の習性は、怪廊に住まうモノ達のまさしく習性。獲物を見つけて襲うといったのが多数存在する。
「先ほど仰いました妖鬼の小さいモノ、一般の武器でも退治が可能な存在がコレに属します。上げればキリが無いほど多くの存在がいますので、習性の内容を一括りにはできませんが、この類いはただ仕留めれば終わりですので、手段は簡単です」
 説明を終え、トキは怪廊に住まうモノが面倒な存在ばかりだと痛感し、表情も怪訝となる。
 ルシュは自らが行おうとしていた事を正直に話した。
「私は知り合いの術師に頼り、知恵を賜ろうと考えました。そして憑きものの正体を暴くというものです」
「それは歴代の術師達が何度も行ってきたこと。それでも見つかりませんでした」
「私が会うのは偏屈な術師です。方法が高貴なお立場の術師とは違うかもしれません。それでも意見が同じなら打つ手無し。その時が来るまで頭を悩ませるだけです」
「その術師とういのは、他国ですか?」
「本国の隣国、バルガナの国境付近の山奥に住まう老婆です」
 バルガナに住まう偏屈な術師の老婆。トキは心当たりがあった。
「もしや、アザキ様で?」
「御存知でしたか」
 トキは悩む表情を浮かばせる。
「……確かに希代の術師ではありますが……、御義父様の代に頼みに行かれた筈です。ですが断られてしまったと」
「元々が人嫌いな性分です。位が上の者に対してはさらに嫌悪しておりますから。私が頼めば何か力添えしてくれると考えました」
 トキは目を逸らして暫し考え、入り口へと目を向けた。
「ハルジュ」
 名を呼ぶと一人の男が入室してきた。
 入室作法を守る男は、目元口元の皺が目立つ中年男性。しかし動きがルシュには気になった。従者の衣服を纏うも一挙手一投足に無駄の無さが窺える。
 トキの傍でハルジュは跪いた。
「動ける者を三名ばかり呼びなさい」
「ですがトキ様」
「異論は聞きません。事態は深刻ですので」
 ワドウの許可を得ない命令。恐らく嘘をつき通すか、後で報告すると読めるが、もしワドウの怒りを買うなら事態は悪化しかねない。しかしハルジュに拒む権利は与えられなかった。
「畏まりました」
 ハルジュが部屋を出ると、再びトキはルシュと向き合う。
「期限を設け、貴女にシャレイの一件を任せます」
「宜しいので? 私の方法は明確な解決法とは程遠いものですが」
「ですが手を拱いても仕方ないこと。人見知りながら、初対面の貴女を信じた娘の意思を信じます」
「失礼ながら、些か不用心では? 私は怪廊に憑かれております。ご息女をみすみす戦場へ送り出すようなものですよ」
「ええ、本来でしたらこのような事は致しませんが……理由は帰ってきたらお話します。それと、こちらから三名の付き人を同行させてもらいます」
 大切な娘を連れて行くのだから同行者は覚悟していた。しかし人数が多いとアザキに追い払われる危険がある。
「……三名、ですか」
 ルシュの不安をトキは読んだ。
「隠密を生業としております。監視、報告、援護、戦、あらゆる面で使える武人達です。アザキ様の噂はこちらも承知しております。旅の最中、皆と話し合って頂けましたら。それに、一人でシャレイを護るよりかは気が休むかと」
 確かにその通りである。
 ここへ来る前に遭遇した妖鬼達はなかなかに手強かった。運良く宜惹が現われ助かったが、あの事態に再び陥ればシャレイは殺される。またも宜惹が動くとあれば、それは危険を意味する。
 宜惹が援護するのは思惑があってのこと。それは一見してルシュのためであっても、最後には宜惹の利益でありルシュを苦しめる顛末を迎える。できればこの件が終わるまで会いたくはない。
 護衛を引き受け、ルシュは本格的にシャレイの呪いを解く任を授かった。

 ◇

 ワドウの部屋にトキは訪れた。
 ルシュがアザキを頼り、シャレイと付き人を同行させる経緯を報せると、ワドウは唸って悩んだ。
「なぜそのようなことを。クオ家の呪いは」
「お気持ちは重々承知しております。貴方様がどれほど文献を調べているか、ミュレンの犠牲を無下にせんと働いていることも」
「ではなぜ」
「多方面からの意見を仕入れたい思いからです。我がクオ家は、主観でしか物事をみておりません。俯瞰した際の知識、知恵を取り入れれば、長年解決しなかった呪いを解けるやもと」
「しかしそれは」
「これは、クオ家代々の因縁ではありますが、私達の娘を救うための戦いです」
 自らの血を引く娘が生け贄。この事実を前にワドウは何も言い返せない。眉間に皺を寄せて息をついた。
「これは歴代の犠牲となった先祖達が与えてくださったえにしだと、私は考えております。成功する保証は御座いません。しかし、貴方様が多くを抱え、今まで通り術師達の意見や過去の文献を読み漁ればいいというのを……私は、どうしても違うと思えてならないのです」
 ワドウは考えすぎて疲れた自らの顔を右手でさすった。
「どうしても許せぬと申すのでしたら、ルシュ様より先に私を斬り捨ててくださいませ」
 トキの覚悟は真剣な眼差しから読み取れる。腹を決めた女の覚悟が。
 九赦梨出身の武家の娘。出会った当時から強い意志を貫く力があった。その誠実で凜々しい様にワドウは惚れたのである。
 この意思は崩せない。全員を救いたい気持ちが、考えを巡らせて至った結論なのだから。
「……分かった。秋が来るまで好きにしろ。どうあれシャレイは秋までは無事で済む・・・・・・・・・。だがラオはどうする」
「心配しても詮無きこと。あの子が私達の言うことを聞くとお思いですか?」
 無理だと分かり何も言い返せない。
「ルシュを雇ったのもラオの独断。部屋に閉じ込めたとて外へ出て暴れたい盛りの歳頃」
「妖鬼共に襲われでもしたらどうする」
「あの子を信じましょう。ルシュ様を含め護衛の配下と行動を共にすれば、妖鬼の群れにも対応出来ます。それにラオは弱くありません。クオの血を引くのですから柔では御座いませんよ」
 トキは見事にワドウを説得して同意を得た。


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