【二十四節気短編・立冬】 檻の楽園と旅人クオ

1 檻の外のクオ


 クオは檻の外の人間だ。
 檻の中のトマはクオと仲良くなった。

 広大な平地に巨大な円形の鉄格子を設けた世界・檻。檻の中では百人に満たない人間が生活していた。
 檻の世界では、あらゆる果実や木の実の生る木々がそこかしこにある。それらになる実は様々で、一つの実を採って数日待つと、全く別の実が同じ所に生る。そんな不思議な木である。
 野菜、野草も歩けばどこかに何かがある。
 水も綺麗な湧き水が絶えずあふれる巨大な湖があり、川や沢が出来ている。

 常春のような気候。暑くも寒くもならない。
 天気も主に晴れだが、時々雨が降る程度で大雨や嵐はない。
 人間に害をなす動物はおらず、人間に害をなさない小動物しかいない。

 まさに楽園のような世界。それが檻の世界である。

 檻の中の人間は外に出ることは出来るが、一度出てしまうと二度と戻れなくなる。これは檻内で生きる人間の鉄則である。
 守っても良いし守らなくてもいい。ただ、大人であれ子供であれ自己責任である。

 十四歳になるトマは南西の鉄格子まで訪れた。そこはトマにとって最近お気に入りの場所であった。鉄格子から向こうには海岸は広がり、陽が水平線に沈むのを眺められる場所である。

 ある日、いつものように同じ時間に沈む夕日を眺める場所へ訪れると、旅人の男と出会った。
 男の名はクオ。鉄格子に凭れ、トマと同じように夕日が沈むのを眺めていた。

 トマがクオに話しかけると、初めて檻の世界の人間に話しかけられた事にクオは驚きを隠せなかった。余談だが、後にクオのほうが六歳上だと分かる。

 互いに自己紹介を済ませると、自分達がどういった世界で過ごしているかの話が始まった。しかし、トマは話す内容が少ないので、殆どクオが旅先で見てきた光景の話ばかりである。

 険しい山岳に住む山羊や大鷲の話。
 天井に大穴が開いて空が見える地底湖に潜む巨大魚の話。
 灼熱のような溶岩地帯の話
 岩のように硬い皮膚の猿のような獣の話。

 話の数は少ないが、それだけでもトマの好奇心はかき立てられ、もっと聞きたい一新でしかない。ただ、話に没頭して夕日が沈むのを見逃してしまった。
 クオはここで野宿すると言い出してたき火を起こし、トマも一晩そこで過ごすことにした。

2 外の世界


 翌朝、クオは「旅立つから」と、寝ぼけ眼のトマに別れを告げた。

 “次はいつ会えるか分からない”

 別れ際の言葉に、トマは寂しい気持ちになった。

 それからというもの、トマはクオとまた会える事を願い、いつもの鉄格子を隔てた海岸を眺められる地へと訪れた。
 檻の外側では暴風が吹き荒れていても、豪雨であろうとも、雪が降り積もろうとも、檻の中では暖かな気候は変わらない。だから、悪天候時の環境は人間が行動するに困難だという事を知らないトマにとって、クオが来ないのはただただ不安でしかなかった。
 それでもトマは、来る日も来る日もクオを待ち続けた。
 『いっそ、檻の外へ出れば会えるのかもしれない』と、そんな思いすら過る。

 九ヶ月後。
 檻の外では暖かい春の陽気となった。トマはいつも通りクオがいると思い、いつもの場所へ訪れると、鉄格子に凭れて海を眺める人物がいた。
 クオであった。さすがに九ヶ月も経つと、少し大人に見えた。

 トマ同様、クオもトマに会えた事がとても嬉しくあった。
 二人は以前同様に自分たちが見たもの、経験したことの話で盛り上がり、夜になるとクオは以前のようにたき火に当たり、毛布をかぶった。

「外ってそんなに寒いの?」
 トマの素朴な疑問であった。檻内は常春の気候なため、薄手生地の長袖服で夜も快適に過ごせる。
「こっちは気候変動が激しいから。オイラは慣れてるけど、普通の人間達は家に入って暖を取ったりしてるからなぁ。トマは家で暖を取ったことないんだっけ?」

 ”暖を取る”の意味が分からず、クオに訊く。
 このような言葉がトマに通じない所が多々あり、その都度クオが説明する。

「うん。ずっと同じ気候だから」
「外に出たいと思ったことないの?」
「昔から言われてるんだ。檻の外に出たら戻れないって」
「それが迷信とかって、誰か思ったりしないのか?」
「それはあった。ボクが幼い時に、「出たら戻れないのは迷信だ」って言って外に出て行った人とか、なんか……夢のお告げで行ったって人もいたよ」

 お告げというものにクオは反応を示す。

「どんなお告げ?」
「分かんない。ただ、ここにいることがあまり良くないみたいな言い方だって聞いた。どういう事だろう? ここはずっと安全で気持ちいいし、平和で豊かで和やかなのに……。クオはどう思う?」
「ん? う~ん……」

 真剣にクオは悩んだ。

「オイラはこの生活が好きだから、冒険出来ない生活なんて考えられないんだ。確かに檻の中の世界ってのは見てみたくはあるけど……飽き性もあるかな。多分、ひとしきり堪能したらすぐに旅に出るだろうな」
「ボクと一緒に暮らしても?」
「ああ、変わんない」

 即答され、トマは少し寂しくなった。

「落ち込むなよ。オイラがそういう性分なだけだって。トマだって一度変わった生活送って、慣れたらそうなるかもしれない。けど、檻から出て冒険したり新しい生活を送る事が正しいとは言い切れないよ」
「どうして? 楽しそうに聞こえるけど」
 クオは腕を組み、悩ましい表情で頭を左右に振った。
「いやいや、オイラもこうなるまでかなりオヤジに仕込まれたし、一人立ちしても苦労の連続だし、今も大変だし」
「じゃあ、どうして続けるのさぁ」
「言ったろ、性分だって。檻の外にいる人間だって、誰しもがオイラみたいに生きていけるかっていったらそうでもねぇよ。むしろ、オイラが珍しい側の人間だぜ」
「そうなの?」
「ああ。他はいろんな仕事してるのが多いよ」

 漁業、林業、農業、畜産業。
 飲食業、製造業、獣討伐業。
 建築や工業など、仕事に関する事を語った。

「そういった仕事をしてる人間達がいるから街が出来て国が出来て、オイラも旅疲れを癒やしたり道具や食材を買って次の旅への備えを整えたり。オイラがただ単にそこら中を歩き回ってるだけだったら人間として役立たずだから、一回の旅で街や国の約立つ情報や素材とか色々提供してるのさ」
 クオは腰に下げた布袋を取り出し、中に入っている金貨や銀貨を見せた。
「お金って分かるか?」

 当然トマは『お金』というもの事態を知らず、素直に頭を左右に振った。

「これでいろんなモノと交換出来るんだ」
「これ、食べれるの?」
 一枚渡してもらい、堅さを確かめた。食べるのは無理だと理解した。
「例えば、オイラの鞄ほどのモノを五つ買いたいとしよう。こんな大きいモノを五つが等価値だった場合、用意するのは大変だろ? そういったいろんなモノの価値基準をこの小っさい硬貨で決めるんだ。持ち運びしやすいだろ?」

 クオの話は何を訊いても面白い。
 トマは檻の外へ出たい気持ちだけが高まった。

 その夜、トマは外の世界を見たい想いが強くなり、興奮からなかなか寝付けなかった。

3 危険な世界

 翌朝。
 前回と違い、クオは明朝に旅立たず、目覚めたトマに檻の外へ出た場合、まずどこへ向かえば良いかを丁寧に教えた。

 クオが教えた町はとても長閑のどかで住民の性格も温和だという。しかしトマが居る檻から町へ向かうには、森と突っ切ればすぐに到着するのだが、小さい崖があり、沼があり、危険な獣も徘徊しているらしく、森沿いに遠回りで行く事を教わった。
 途中、食べても大丈夫な木の実や野草の事、檻から出てすぐある川で水を汲むか飲むようにする事など。
 まるでトマが檻から出る前提のようにクオは説明に熱がこもった。

「クオは一緒じゃないの?」
「ん? オイラは旅ばかりだし、トマが”外に出るぞ!”って決めた日にいるか分かんねぇだろ?」
「ボクが今、外に出てクオと一緒に旅するって言ったらダメ?」
「それはダメだ」

 即答された。

「どうして?」
「トマがいる所は外の人間から見たら天国なんだ。オイラから見たら退屈だって言っても、見る人が見りゃ一生住みたいと思えるような楽園なのさ。トマはずっと居るからこの気持ちは分かんねぇだろうけど、天国に住み続ける権利を捨ててでも外に出ることが良いなんて、オイラは絶対言えねぇよ」
「でも、クオは言っただろ? 外は楽しいって」
「つっても毎日じゃねぇし、ずっとでもない。トマもここから太陽が水平線に沈む光景が綺麗だと思っただろ?」

 トマは頷いた。

「空の星が綺麗に見えたり、花が綺麗に咲いて気持ちいいとか。檻の中だとずっと幸せで、その中で見るから心地いいんだよ。外だとその後に苦労ばかりだぞ。その日の晩飯にありつけるか分かんねぇし、野獣に襲われるかもしれねぇ。場所が違ったら悪い人間に襲われたり傷つけられるかもしれねぇ。幸せは短い間で、つらいのは結構長いんだ。オイラだってこの先の旅でどうなるか分からねぇし、トマともこれで最後ってなるかもしれねぇ」
「え……嫌だ。クオとはもっと話したい」
「こっからはトマが決めることだ。オイラが出来るのはちょっとした助言まで。どっちがいいかってのも言えねぇ。オイラは檻の中が楽園ってしか聞いてねぇし、トマの話でもきっと住み心地がいいんだろうけどさ。外は外で過ごしやすいって思える奴もいるから、その環境に身を置いてる奴がどう思えるか次第なんだ。けど檻から出たら二度と戻れないんだろ? だったら、強すぎる好奇心で出るのはダメだ。そこからトマが地獄みたいな生活を送るってなったらオイラは嫌だからな」
「じゃあ、やっぱり出ないほうがいいって事?」
「言ったろ、分からねぇって。トマ自身の想いと覚悟で、外で生きるか中で生きるかを決めるんだ」

 トマは難しい表情になるも、クオは立ち上がり荷物を抱えた。

「じゃあ行くわ。またこんな感じでも、お互い外の世界でも、また会えたらいいな」
 クオは明るい笑顔で去って行った。

 その日から、トマの意識にブレが生じた。

4 老爺の助言

 夢を見た。
 最初に見たのは鉄格子が崩れ、檻の世界がぐちゃぐちゃになるものだった。

 二度目、外の世界で獰猛な獣に追いかけ回される夢だった。
 三度目、ずっと一人で平原を歩いている夢だった。

 トマは見たこともない外の世界、見たこともない獣たち、そして檻の世界が崩れていく。そんな夢ばかりを見た。

 同じ檻の中に住む者達に相談すると、口々に似たようなことを返される。

“外の人間と話すからだめなんだよ”
“外の人間の言葉はボク達を惑わすんだ”
“外は危険がいっぱいだよ。そんなところにいる人間も嘘ばっかだよ”
“私達を外に出して食べようとしてるんだよ”

 外の世界を悪いようにしか言わない。つまり、クオに対しても悪い印象を抱かせるものばかり。

 トマは檻の世界で住むのに疑問を抱きだした。

 このままここで住むことが正解なのか?
 本当にクオは良い人間ではないのか?
 外に出たら食べられる運命しかないのか?
 本当に檻の世界は崩壊しないのか?
 自分の住む世界はずっと楽園のままなのか?

 トマは苦悩し、悪夢に苛まれる日々を過ごした。


 ある日、夢の中に白いローブ姿の老爺が現われた。

「う~む。おぬし……迷っておるな?」
 表情豊かで雰囲気も良く、トマは老爺に対する警戒心はない。
「おじいさん、誰?」
「ワシのはしがない爺さんとしてくれ。それはさておき、どうして檻の外へ出たいと思っておる?」

 まるで心を見透かされているかのように聞かれ、トマは恥ずかしくもあり驚いた。

「気にするな気にするな。別にやましいことではないからな」
 “疚しい”の意味を知らないトマではあったが、意味を聞く気は起きなかった。
「外の世界の友達と話をしたんだ。けど、友達は外の世界で旅をするのが好きで、”もし檻の中へ来てもすぐに旅に出る”って言ったんです。ボクもクオのように外に出たいって言ったら、外は危険で檻の中は楽園だから、しっかり考えないとダメだって」
「ほう、友達はクオというのか」
「おじいさん、クオを知ってるの?」
「いんや。名前を確認しただけだ。なるほど、おぬしは縁者・・との繋がりに触れたのか」

 何か意味あり気な事を老爺が呟くも、先ほど同様にトマに理由を聞く気は無かった。

「檻の中にいる人達に聞くと、外は危険がいっぱいで、外にいる人間は檻の人間に悪さを働いたり食べたりするって。けど、クオはそんな悪い人間に見えないし、ボクも外が気になるんだ」
 老爺は腕を組み、深いため息をついて空を仰ぎ見た。
「確かに……知らない世界へ行くと言うことは不安でしかたない。他の者に聞いて情報を集めようとするも、その情報が正しいかどうか分からん。求める世界の事を噂でしか知らん者に聞いても不確実だからな。けど、その不確実な情報が多数を占めるとそれが正しく思えてしまう」
「おじいさんもクオが悪い人間だと思う?」
「さあな。会ったことも話をしたことも無い奴を評価は出来んよ。けど、おぬしの悩みにクオは関係ないだろ? 『楽園に居たい』か『冒険をしたい』か、その二択だ。どうしてここに居続けたく無いんだね?」
「居続けたく無い……じゃなくて、ただ知りたいだけなんだ。けど、檻の外へ出ると戻ってこれないから、外で生きていけるか不安なんだ」
「なるほど。けど、おぬしはクオと会う前のおぬしと違うだろ? 外への好奇心が生まれ、クオへの好意を抱き、外へ出たくて疼いておる。このまま悩んでいてもスッキリせんだけだぞ」

 老爺の言うとおりであり、トマは膝を抱えて身体を揺らした。

「まあ、ワシから言えることは、だ。おぬしの本心に従って動くしかない」
「え……でも、外は危険だって」
「そうだな。けど行ってみたいと思うから迷っておるんだろ? なら思い切って動くのも手ではある」
「けど、そうしたら檻の中に戻れない」
「そうだ。何事も思い切った行動をするには覚悟がいる。これは誰であってもだ。”二度と戻れない”。その覚悟で動くしかないというなら、おぬしは覚悟を決めて選ぶしかない。二度と外に出たいと思わず生きるか、楽園で過ごす事を諦めて外で生きるか。どちらかで生きるにしろ、いずれ人間は死に至るんだ。自分の意思を大事にするといい。……だがな、檻の外に出た者は何人もおるから、おぬしが出ても”初めての人間じゃない”とだけは言っておこう」
「どういう事ですか?」
「単なる気休めだ。外へ出るのに、「おぬしが初めての人間だ」と言われれば、不安と緊張が高まるだろ? けど、「何人も出ている」と言われれば、妙に安心はするだろ?」

 トマが頷くと「そういうことだ」と、笑顔で返された。

 トマはクオが檻の外へ出たときの説明を思い出した。
 言葉を思い出し、クオを思い出すと、外への興味が再び湧いた。その感情が表情にも滲み出て、老爺は何かを悟った。

「何か掴めたものがあるようだな」
 老爺は立ち上がり、来た道を帰っていった。
「おじいさん。どこへ?」
「次の迷い人の所。おぬしには伝える事は終えた。後はおぬし次第だ」

 老爺は手を振り去って行く。
 突如霧が濃くなり、瞬く間に辺り一面が霧で覆れ、全てが白く染まった。

 老爺との出来事が夢だと分かったのは、目覚めた時だった。

5 外へ

「旅立つなら収穫祭が終わった後……って言っても分かんないか。そうだなぁ……檻の正門があるだろ? そこから見える林の木々。あれはイチョウの木で、その葉っぱが黄色くなるぐらいがちょうど良いかもしれない」

 クオの言葉を思い出し、外へ出る決心を固めたトマは正門の前に立った。

 外に出てすぐに死ぬかもしれない。
 悪い人間に痛めつけられるかもしれない。
 獣に襲われて喰われるかもしれない。

 檻の中の人間達が口々にする言葉を信じていない訳ではないが、自分の意思を信じる事にした。

 外を知りたい。
 クオに会いたい。
 クオが話した世界を見たい。
 いろんなモノを感じたい。

 外への好奇心が止むことは無かった。
 クオの説明を思い出し、近くの町へ向かうと心に誓った。

 トマは、檻の外へ一歩を踏み出した。すると、空から光が降り注ぎ、目を覆ってしまう程に眩しい光に包まれた。



 その年、七歳になる少年・クオは、昨年産まれた弟・トマを抱き上げ、台所で食器を洗う母に近づいた。

「あらクオ、どうしたの?」
「トマと冒険。大きくなったら父ちゃんに、オイラが先に冒険のやり方教わって、オイラがトマに教えてやんの」
「クオはいいお兄ちゃんだこと。けど母ちゃんは今仕事中だから、じいちゃんがいる庭で冒険ごっこしてくれるかい?」
「うん!」

 クオはトマを抱えたまま、家庭菜園で仕事をする祖父の元へ向かった。

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