【二十四節気短編・大寒】 気の合う二人
1 独身を貫き通す理由
空には濃い灰色が混ざる雲があちこちに漂い、風は吹いているが強すぎる程ではない。“寒空”の言葉が正しく当てはまる一月の終わり。寒さは吐く息の白さが物語っている。
慎也はコンビニで買ったホットコーヒーを飲みながら海を眺めていた。場所は砂浜ではなく防波堤の傍らで。サンセットラインを眺める事を目的に設けられた歩道である。
隣には女友達の灯が、同じくコンビニで購入したホットカフェラテを飲みながら、こちらはガードレールに座るように寄りかかっている。
二人は『友達同士』という関係性を崩さない。共に独身で恋人はいない。それでもこうやって月に二度か三度会い、何処かしらドライブへ行ってしまえる関係性を築いている。
過去、お互い共通の知人が、「なぜ付き合わない?」と訊いた事が幾度かあったものの、二人は恋人になる関係に違和感を抱いている。
二人の考えでは、同性同士がドライブをすれば友人同士だが、独身の、同い年の男女がドライブをすれば恋人同士という解釈はおかしいと決め、酷く拒んでいる。こういう男女の友情があってもいいと、二人はこの関係を貫き通している。
慎也の性格は、クールと言えば聞こえは良いが、趣味というものがあまりなく、流行のものに飛びついたり騒がしいのが嫌いである。『見ていて品が無い』、それが一番の理由で、どこか客観的立ち位置を崩さずにあらゆる面において生活している。
大人数、とはいっても少なく見積もって六人程でも男同士で群がるのを嫌う。もしその空間が目上の人間に気を遣い続ける空間であるならば、気が変になりそうに思っている。
地元は田舎で、地域活動と称して青年団などに入る仕来りが今も続いている。そんな空間が嫌悪対象としか見ていない慎也は、都会に出てきて田舎へ戻る気など更々ない。
”どうせ目上の言うことを聞かなければならない男の世界”
その認識が際立って強く、女関連の下世話な話で揶揄われるのが目に見えている。事実、地元の数少ない友人からはそういった話を聞いているので、尚更田舎は余所の世界と見ている。
好きなことは人のいない自然を眺める時間、ドライブ、聴いてて心地の良い曲を聴く、である。
灯も性格はクールと言えるのだが、こちらはただ溶け込む気が薄いだけである。女であり、女の集団・組織に入ればどういった汚い会話で塗れているかを中学の時から知っている。
学校、母の友人同士の会話。多くの悪口が飛び交い、汚らしい面を存分に晒したと思えば、すぐに良く見せる面へと変貌させ、意中の男性へ色目を使う者も見てきた。
”吐き気がする化け物の巣窟のような世界”という認識が著しく強く、そういった環境とは離れ、一人で生きる生活を決心して今に至る。
結婚願望は薄い。絶対無いと言い切れないのは、子供はいてもいいと思う母性本能がそうさせているのかもしれない。ただ、薄くさせた原因は、家族という枠を作れば、今度はどの母親達も当たり前の様に入らなければならない『ママ友』と呼ばれるコミュニティ。うんざりする程の、確証のない悪い噂や悪口、いじめ。大人になって、愚かな未成年のような事で喜ぶ集団。ドラマやドキュメンタリー番組で強固なものとなった偏見により、属したくない思いは強い。
女の集団が“醜い温床”と同義と捉えてしまっている思考。何においても『女の世界』を前提に考えてしまう。
誰であれ、「そんなことは無い」と良いように説得しようとも灯の偏見は改善されない。
共に三十一歳の二人は、この先もこのままで居続けてもいいと心に決めている。
2 短い会話、長い会話
ドライブをする日は決まって慎也の車で行くことになっている。運転は主に慎也だが、時々、気まぐれに慎也が代わって欲しいと願った際、灯が運転を代わる。
行く理由は特にない。『飯行かない?』のメールをどちらかが送ると、予定次第で行く事になる。その日にメールを送り一時間後にはドライブ、ということもある。
冬の海は定番の寛ぎスポットで、寒すぎるが空気が澄んでいて気分は良いと感じている。風が強すぎれば車の中から海を眺めるのだが、駐車場からは海が見えないので、この時期に風の無い気候は運が良い方だ。
今まで訪れた二人の『寛ぎスポット』では、くだらない会話は早く終わってしまう。
「なあ、死後の世界ってあると思うか?」
「……あたしは“無”だと思う」
「ん? む?」
「そう、無。なーんにも無くなる」
「そう思うよなぁ」
こういった具合に話が広がらない。
二人は明るく弾む会話、雰囲気とは長年距離を置いてきた為か、いざという時の話がまるで出てこない。とはいえ、短い会話は二人に安定を保つ程度で零れる。ただ、他愛の無いものや、くだらない時事ネタしかない。
だからといって短い会話ばかりでは無い。
現在二人は、珍しく長い会話をしている。
「今、キラキラネームってのが流行ってるだろ?」慎也が訊いた。
「ん?」
「親が子供を思って付けたんだろうけど、読み仮名だけ見たらアニメとかゲームの影響すごいなって」
「そんなキャラが頭にこびり付いてんでしょうね。バトルものキャラみたいに強くて逞しい大人になって欲しいって願ってだろうけどさ、この日本にアニメやゲームのモンスターとか敵キャラとかいないだろって思うわ」
「将来、カタカナ表記が流行って、そんな名前ばっか広まったら、そっちが当たり前みたいになって、終いには日本風の名前が珍しい扱いになるんだろうな」
「世も末ってか」
言いつつホットカフェラテを一口のみ、ため息と同時に海を眺める。一息の間を作り、話は続く。
「慎也君ってさ、『慎む也』って書くけど、経緯とか訊いた? 親から」
「俺の名前ははっきりした理由が曖昧だぞ」
「なんで?」
「父親は、慎む事を重んじる男になるようにって慎也を付けたって言うけど、母親は当時好きだった俳優の名前から付けたと言い張って、どっちが正解かは不明。そんな状態で両親ともに他界したから迷宮入り」
慎也が二十歳の時に母親はがんを患い、闘病に励むも二年後に死亡。父親は三年前に心筋梗塞で亡くなった。一向に改善しない不摂生な食生活と飲酒が祟ったとされた。
「灯は?」
慎也は灯を呼び捨てで呼ぶ。
「灯台のように、迷った人を導けるようにって、母さんが」
「良い名前で良い経緯だな」
「どうだか。色々雑で、これを聞いたの小学校の宿題。面倒くさそうに言ってたから、こっちもはっきりした理由なんてないよ。それに、人々を導く。で、灯台の灯ってなんだ? 暗闇に迷った船の目印からどうやってソレに結びつくよ」
話としてはたいした盛り上がりは見せないまでも、二人にはこれ位がちょうど良いと感じている。
3 告白
一月三十一日、時間は午前五時。
この日は灯の誕生日でもあり、前もって慎也は誕生日プレゼントとばかりに行きたいところを告げられていた。それは町を一望出来る見晴がいい山の中腹。けして有名な山ではないが、薄暗い中でその時が来るのを車の中で曲をかけて待ち構えていた。
クラッシックの音量を抑えて流し、ヒーターは付けずに二人は持参している毛布にくるまっている。
「ほんとに寒くない?」
「これで上等。来る時のヒーターの熱、まだ残ってるし。慎也君が無理だったら点けていいよ」
言いつつも、車内の空気は冷ややかである。それでもヒーターを慎也が点けないのは、灯と考えが同じだからである。
二人は共通したところが多くある。
無駄に多い音が嫌い。
不必要なヒーターや夏ならクーラーの使用は控える。
人の多いところが嫌い。
損得勘定で何もかもを考えようとしない。
無駄すぎるのは好まないが、無駄であったと思える選択にいつまでも悩もうとしない。
退屈かもしれず、友人や恋人が出来ないかもしれない生き方だが、慎也には合っているのだから仕方ないと割り切っている。一時でも同じ時間を共有したいというなら拒まないし、すぐにでも離れたいというなら追わない。その性格は、慎也の記憶する限りでは高校二年生ぐらいで出来上がっていた。
「一応聞いときたいんだけど、いつもは”飯奢って”だったのに、今日は? 日の出の絶景スポットでもないし」
持参したインスタントのコーンスープが入った大人用水筒と白い紙コップを後部座席から取った。
コップ一つにスープを入れると灯へ渡し、自分用のコップにスープを入れると、蓋をしっかり閉めた水筒を二人の間に置いた。
“飲みたかったら飲むように”と、言わなくても灯には通じる。
息を吹きかけて少し冷めると、灯は少量だけ啜った。
ヒーターの熱もかなり薄れ、さらにはスープの熱で吐く息が暖められたせいもあり、車内でも吐息は白くなる。
「……町の一日が始まる景色、見てなかったなぁって」
何かがはっきりしない灯の返事。
すぐに何かあると慎也が気づけるのは長年友達でいた事によるものである。
「……何かあっただろ」
灯はスープを半分まで飲んだ。
「…………あたしに彼氏出来るって言ったら驚く?」
慎也はどう返して良いか分からず、静かに気付かれない程にゆっくりと大きく一息吐いた。
「……好きな人が出来たって事?」
「半ば強引なお見合い……みたいな? 親戚に会ってみてって言われて。断っても強引だから、家の親戚」
「じゃあ、まだ彼氏じゃない?」
灯は頷いた。
どうやらスープも一気に飲める程に温くなっていたのか、灯は飲み干した。
「嫌なのは嫌だけどさ。親身になってくれる親戚の意向はできるだけ応えたい、かな。どうなるか分かんないけど、慎也君とこうしてどっか行くのは今日で最後かも」
あまりの事に慎也は静かに動揺している。誰が見ても分からないほど平静は保てているし、今日は休日だが仕事に行こうと思えば行ける。それほど些細な動揺だが、なんとも言えない虚しさか切なさか。とにかく、胸に何か空間が突然出来たような想い。”行くな”というのは違う気がするし、他に代わる止めの言葉が浮かばない。灯の進行を止めることが間違いだと意思が働いてしまう。
「…………この場合、おめでとう。か?」
言うまでに時間がかかり、気付けば空が暗闇から藍色よりも青みがかっている。
「……うーん……ご愁傷様、が合ってるかも」
「葬式じゃないんだからさ」
しばらく、ぼんやりと二人は町の風景を眺めていると、灯が自分のコップにスープを注ぎ、慎也のコップにもスープを注いだ。すると、毛布を剥ぎ、コップを持って外へ出た。
慎也も同じようにコップを持って外へ出た。
風は穏やかに吹くも、季節的にジャンパーを着ていても顔から寒さが浸透していく。スープの温かさは気休め程度の保温だろうが、今はソレで良かった。
「やっぱ寒いわ」
じゃあなぜ車を出た? と、言いたくもあった。しかし、少し離れた位置から、これから望んでいない道を進もうとする灯の姿を、慎也は眺めた。
なぜだろうか、不謹慎かもしれないし、灯に言えば不快を表した目で見られるだろうが、慎也の目には今の灯が美しい人間に見えた。容姿や顔立ちなどの外見ではなく、二人で過ごした時に見てきた灯を知っているからなのかもしれない。それでも灯の全てを見てきた訳ではないし、二人で過ごした時が灯という人間の、薄っぺらい外皮程度かもしれない。それでも、過去と今の灯を知る慎也には、望まない道を、腹を括って進もうとする灯の姿が美しく見えた。
「コンビニで朝飯奢ってよ。誕生日なんだし」
不意にいつもの灯に戻った。
「仕方ねぇなぁ……。もう行く?」
満面といえる程強くなく、微笑みと言えるほど弱くない、そんな些細で嬉しそうな笑顔を向けた灯は少し身体を揺らしてから頷いた。
まだ完全に日は昇っていない時間である。
4 四年後の海
三年経った。
慎也は三十四歳になるも未だに独身を貫き通している。
灯と別れて今まで、ドライブは一人か、職場の気心知れている人達としているが、やはり灯と過ごした時の穏やかさはない。世間一般の、”知りたがり”に属する人種がするように質問が多く、風情や情緒を静かに堪能できない。嫌ではないが、一人か大勢かと聞かれれば一人を選んでしまう慎也の性格は健在だ。
灯が腹を括って進んだ後、慎也も変わらなければならない想いが芽生えた。とはいうものの大した変化は無い。こうして灯以外の誰かとどこかへ行く機会が少しばかり増えた程度。しかし馬が合わないのか退屈なのか、どうも慎也は一人で移動するほうへ戻ってしまった。
さらに一年が経過した一月三十一日。灯の誕生日。
突然灯から”飯を奢って欲しい”とメールが届いた。誕生日だからと付け加えられて。
どこか嬉しい想いをひた隠し、慎也は灯と待ち合わせしていた個室のある居酒屋へと向かった。
久しぶりの再会を烏龍茶で祝杯し、二人は料理に手をつける。
話を聞くと、どうやら相手とは上手くいかなかったらしい。将来の考えも趣味も合わず、何より熱量に差がありすぎたらしい。
相手の詳細を聞く限り、多くの人間と楽しく賑やかに過ごすのを好む相手だという。物静かな空間を堪能し、騒がしい場所を嫌う灯とは正反対だから、共に過ごすにはどちらかの妥協が大事だろうが、それはなかなかに難しく険しい道だ。
数日後、久しぶりに灯と海へ来た。
二月の当然寒い時期。この日はかなり寒いものの風がないのが救いであった。
今まで二人で過ごしていた時同様、慎也はホットコーヒー、灯はホットカフェラテを飲みながら防波堤越しに海を眺める。
「やっぱいいねぇ。冬の海」
「風がないのは有り難い」
四年ぶり。懐かしいが、一分ほどしていつも通りの空気を感じる。長期間この状況から離れていた気がしなかった。
ただ、”色々あった”としか言わなかった灯の雰囲気は、そんな単調な言葉では括れない程に辛い想いがあったのだと思われる。その証明のしようがない印象の変化は、これから先、ゆっくり馴染んで、気にもならないようになるまで待たなければならない。
四年前から何かが少し変わった友人と、これからもこうして付き合いたい想いを、慎也は四年前同様、口にすることはない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?