202040。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今回は「2020年」について。
いよいよ始まった2020年。オリンピックイヤーということで待ち望んでいた今年の到来を、世間では例年以上に歓喜しながら盛り上がっているような印象だけど、それ以上に1980年生まれの僕は、別な理由でも2020年を待ち構えていた。
1980年という、少しだけきりのいい西暦に生まれたもんだから、計算しやすく、2000年に20歳になった。世界が終わるはずだった1999年を何事も無く越し、当たり前に2000年になった時、僕はまだ大学生。その頃から「ということは、2020年で40歳か…」と、何となく思っていた。だから、そのしばらく後になって2013年に東京でのオリンピック開催が決まり「あと7年」とカウントダウンが始まるずっと前から「40歳になる」という2020年へのそれが、僕の中ではとっくに始まっていた。
何年か前から、誕生日を迎えるたびに40歳になることへの漠然とした不安をこのブログに書いていたけど、現時点でそれを払拭できたかというと、決してそういうわけではない。何となくイメージはできつつあるけど、まだ具体的な40歳以降の理想像をはっきりとは描けていないままだ(誕生日の6月まであと半年しかないけども)。ただ、30代後半になったここ数年で「覚悟だけはした」というような感覚が一番近い。だから、ようやく迎えた今年2020年は、東京オリンピック以前に「40」という節目の年でもあるので、年が明けたからには、具体的な抱負でも高々と掲げてみたいところではあったけど、やはりそうも行かなかった。
大晦日には仕事を少し早めに切り上げて、愛車の軽トラを洗車するというルーティンで仕事納め。「紅白歌合戦」を見ながら年越しそばを食べた。「Superfly」の歌声に胸打たれた。これもここ最近は毎年そう。毎年紅白を見て「Superflyすごい!」と言っている(とりわけ今回の「フレア」は本当に素晴らしかった)。そのまま「ゆく年くる年」を静かに見ていたいのだけど、チャンネルを奪われ、甘んじてジャニーズコンサートでカウントダウン。Eテレで「たなくじ」だけ見て就寝。これが年末。
そして年始。今年の新年は、奥さんの実家に帰る日程をずらしたので、数年ぶりに自宅で過ごしたけども、場所は違えど、やることは同じだった。餅食って、漫才見て、駅伝見て、初売り覗いて、初詣。こんな風に、気が付いたときにはいつも通りの年末年始をぬるっと過ごしてしまっていた…。
そんな中、唯一違ったことといえば、移動が無かったのでその時間を「読書」に久々にたっぷりと費やせたこと。小説以外にも、読めずに積み重ねられていた農業に関する専門書や雑誌、漫画もたくさん読めた。移動の新幹線だと1冊をじっくりと、になるけど、家だとあっちこっちをつまみながら読めるのがよくて、例年以上に読書が捗った正月になった。
読書といっても漫画が多め。昨年から続いている「バガボンド」はようやく武蔵と小次郎が出会ったかと思いきやまたもすれ違いでやきもき。「デデデ」最新刊のパラレルワールドな展開と帰結に度肝を抜かれつつ、「コジコジ」のこっちもこっちでパラレルでありながらめちゃくちゃな世界に翻弄されたりと、カオスな組み合わせになってしまったけど、どれも面白くて堪能できた。
そして久々に仕事がらみの本も読んでみたら、これがまたいい勉強になった。どういう農業をやっていくか、どういう農家になっていくか、変わりつつある世の中の岐路に立っているような気もしてる昨今。それがこの節目の2020年に、いよいよ決断を迫られる!というのは恐らく、ない話ではない。本に正解が書いてあるわけではないけれど、自分の条件を当てはめながら考えてみるといろいろ見えてきて面白い。「法人化」や「スマート農業」は否定はしないし、乗り遅れたくはないけど、“それありき”にならないように気を付けていかないととは思う。そして、20代30代が元気で革新的にITだコンサルだインバウンドだと動いているこの業界において、そこからはじかれたような気がしちゃってる(次期)40代としては「若手」と呼ばれ続けるのもなかなか微妙なもんで、上は減ったといえ現役でまだまだ詰まってるし、言うほど若い人みたいにバイタリティーもこちとら残っちゃいないよ…というどっちつかずの人も多いと思う。それなのに、いつの間にか主戦場に放り出されてしまうパターンが一番怖いので、勉強して準備しておかねばなーともしみじみ思った。
…という感じで、新年早々、混沌と焦燥感にまみれてしまったわけだけど、それにも関わらず、意外と曲作りは出来たりもした。先日の東京旅行からのインスピレーションで試みた「東京(仮)」が思いのほか、すんなり形になった。ここからもう少し練り上げたいところ。そして仕事もまた始まった。例年よりスタートが遅れたこともあり、進捗がちょっと滞り気味の剪定では、迷った時のちょっとしたひらめきがいつになく冴えた日もあった。結局、いつも通りではありつつも、そこにわずかばかりの成長も垣間見れた、この新年始まってからの10日ほどだった。そう考えたら、実は幸先いいのかも…?とひそかに思っている。とにかく、今年は曲作りと仕事は例年以上に頑張っていきたい。それが、待ちに待ったこの「2020年」を充実させて、自分が納得のいく「40歳」の姿へと、つながっていくような気がした。
30代の半ばを過ぎてきた辺りから、「四十にして惑わず」という有名な故事が何度となくよぎり、同時に「四十だってまだまだ惑うに決まってんじゃん!あははー」という声も何度となく耳にした。(まず「三十にして立つ」もどうだったかは置いておいて)願わくば、僕も四十をカッコよく「不惑」でまかり通りたいところではあったけども、相変わらずうだうだ言いながら、惑いながら、今のまんまで暮らしていく四十も、それはそれで悪くはないのかもしれないと思った。そういえば自分は、昔からずっと優柔不断だったじゃないかとも気付く。これまでの39年半の“優柔不断人生”を、残りの人生で覆すのか全うするのかと言われれば、そりゃ惑うだろうよと思う。だったら、惑えどもと楽しい方がいい。そのためにはやはり、無理はせずに元気に働き、歌を歌っていく。曲作ってライブに繰り出す。この辺は揺るがない。たとえ思いっきり惑おうとも。いい40になって、いい2020年を暮らしていきたい。
ひとまず今回はこの辺で。そして、このブログは今年もこんな感じでやっていきたいと思いますので、よかったらお付き合いください。それではまたそのうち。
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