あなたがここにいてほしい
5月の23日に誕生日を迎え、ついに50歳になった。いやあ、自分でもびっくり。半世紀も生きてしまった。取り敢えずここまで大病しない身体に生んでくれた両親に感謝する。
こんなコロナ禍の中なので誰にも会わずささやかに過ごしていたが、知人デザイナーからピンク・フロイドの名作『原子心母』のCDをプレゼントされた。僕の生まれ年1970年にリリースされたアルバムということで選んでくれたらしい。ちょー嬉しかったよ、杉本くん。それから「おめでとうございます!」のメッセージと共にThe Whoの、これまた70年の傑作アルバム『ライヴ・アット・リーズ』のライヴ動画をTwitter で送ってくださったリットーミュージックの尾藤さん、選曲のセンスに痺れました。ありがとうございます。粋な人が周りにいてくれて嬉しい。
ピンク・フロイドと言えばプログレッシブ・ロックの代表と言われるが、個人的にはプログレと言っていいのはシド・バレット在籍時までではないかと思う。シドが脱退しデヴィッド・ギルモアが加入してからのフロイドの音楽はギルモアのブルージーなギターが前面に出た、壮大なブルース・ロックだ。マニアックなフロイド好きには賛否あるみたいだが、僕はギルモア加入後のフロイドが好きで好きでたまらない。ブルース最高。
しかし、シドの残した音楽、佇まいにはえもいえぬ魅力がある。サイケデリック・ロックを具現化しているというか、一目見て「この人は尋常じゃない」と思わせる雰囲気を漂わせている。実際に1967年にピンク・フロイドに加入したものの、心を病んでしまいミュージシャン活動をやめてしまう。彼が残したソロアルバム『帽子が笑う…不気味に』と『その名はバレット』はいまだ僕の愛聴盤だ。
ピンク・フロイドを聞き出した20代前半のころ、当時勤めていた会社の上司で筋金入りのプログレファンであった音楽編集者・プロデューサーのK.I.さんとフロイドについて話していた際、
僕「シドかっこいいですよね。」
K.I.さん「最高だよ。ギターもかっこいいしね。」
僕「惜しい人を亡くしましたね。」
K.I.さん「バカなこと言うな、まだ生きてるよ!」
僕「えっ!」
活動期間たった5年という、あまりにも刹那的なミュージシャンだったので、てっきり死んだと思っていたのだが90年代当時シドは健在だった。K.Iさんにはいろいろ教えてもらったな。そういえば年末の忘年会の時、みんなで渋谷円山町のカラオケに行ったはいいけど泥酔した僕は隣にいたK.Iさんの膝におもいっきりリバースしてしまった。完全に潰れた僕はそのまま担がれ、丸山町のラブホテルに一人放り込まれた。一人ラブホで朝を迎えたのは後にも先にもあの時だけだな。朝起きたらテーブルに手紙とコンドームが一箱おいてあった。今から26年前。みなさんお元気だろうか。
閑話休題。そう、シドはひっそりと静かにケンブリッジで過ごしていた。治療の副作用か、体重が増え、髪の毛も薄くなりかつての美しさが失われた変わり果てた姿だったけど、生きているのを知った時は僕は嬉しかった。しかし、2006年にシドは60歳の若さでこの世を去った。
ピンク・フロイドはシドが脱退した後、彼にささげた『Shine On You Crazy Diamond』をリリースする。
Remember when you were young, you shone like the sun.
Shine on you crazy diamond.
若かった頃君は太陽の様だったことを覚えているかい?
輝け、クレイジー・ダイヤモンド。
Now there's a look in your eyes, like black holes in the sky.
Shine on you crazy diamond.
今は空のブラックホールのようなものが君の瞳の中に宿る。
輝け、クレイジー・ダイヤモンド。
「君は僕たちの手のどどかないところに行ってしまったけれど、クレイジー・ダイヤモンドとして輝いていてくれ」と歌う彼らの友情はシンプルにいいなと思う。
シドがこの世を去ったのは2006年7月7日。イギリス人には関係ないけど七夕というのが彼らしい(余談だけど僕の母の誕生日でもある)。今年の七夕はWish You Were Hereを聴きまくろう。
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