ベルリン・ミッテ区の〈平和の少女像〉を撤去させるな!(その2)
1,〈平和の少女像〉撤去を前にして高まる反対の動き
先月の水曜デモのアピールでもお伝えしたように、ドイツのベルリン市ミッテ区に設置された〈平和の少女像〉が撤去の危機にあります。ミッテ区のレムリンガー区長は、設置期限である9月28日、つまり今週の土曜日までに〈平和の少女像〉を撤去させるよう、設置団体であるコリア協議会に伝えています。ミッテ区が自ら撤去に乗り出すことはなさそうですが、守らないと過料が課せられるのだそうです。
設置期限を前にして、情勢は大きく動いています。
9月19日、ミッテ区議会は〈平和の少女像〉を守るための決議を可決しました。内容はミッテ区が少女像を撤去せず、長期的にその場にとどめられるよう代案を設け、ベルリン市との協議に乗り出すべきというものです。決議案を賛成27票、反対15票、棄権7票で可決したということですが、注目すべきはこの決議がドイツ左派党と緑の党、社会民主党によって発議されたということです。レムリンガー区長は緑の党出身であり、自身の所属政党が〈平和の少女像〉の存続を改めて支持することになったからです。
併せて〈平和の少女像〉を現在の場所に永久に残してほしいという住民請願も賛成27票、反対16票で採択されました。これはコリア協議会がミッテ区住民3000人余りの請願を集め、区議会に提出したことに対する決定です。
区議会が開かれている間、コリア協議会をはじめとする市民団体やミッテ区住民、地域政治家約150人余りで、ミッテ区庁前で少女像を守るための集会が開かれていました。その集会ではレムリンガー区長が〈平和の少女像〉撤去の対案として示した「すべての戦時性暴力の被害者のためのシンボル」に対する批判が多かったといいます。それは当然のことです。〈平和の少女像〉撤去の対案が「すべての戦時性暴力の被害者のためのシンボル」であれば、〈平和の少女像〉は「すべての戦時性暴力被害者のためのシンボル」たり得ないと言っているのも同然です。しかし現実として、〈平和の少女像〉は「すべての戦時性暴力被害者のためのシンボル」として世界中から受け入れられています。「すべての戦時性暴力の被害者のためのシンボル」が、
〈平和の少女像〉撤去に変わる解決策にならないことは明らかです。
2,私有地移設は解決策になりえるか
これに対してミッテ区のレムリンガー区長は、〈平和の少女像〉を私有地に移す案を新たに提示しました。「結論的に私も少女像を保全したい。簡単にアクセスできる私有地なら(移転も)可能だ」「コリア協議会が望むなら、地域内の私有地の中で少女像を設置できる他の土地を探してみる」と述べたそうです。報道を見る限りですが、コリア協議会も移転について話し合う用意はありそうです。
私有地であれば、というのはレムリンガー区長の「善意」の表れかもしれません。私有地に設置されたものに対して、日本政府は口出しできません。これまで日本政府が問題にし、撤去させてきた〈平和の少女像〉、あるいは日本軍「慰安婦」被害者を記憶するモニュメントは、すべて公共の空間に設置されたものでした。私有地であれば日本政府は口出しできず、国際問題にもならない。それはその通りかもしれません。
けれども、公共の空間に設置されるからそこ、意味があるのです。戦時性暴力被害者を記憶するということを、ある個人や団体ではなく、社会全体の意志にするということが、公共の空間に設置する意味です。
私の家にだって小さな〈平和の少女像〉はあります。それは私個人の意志であって、それでは社会的には何の意味も持ちません。例えばここ、新長田駅前の広場に〈平和の少女像〉があれば、日本軍「慰安婦」被害者のことを記憶し、戦時性暴力を根絶しようという住民意志、共同体としての意志を示すことのなります。これが公共の空間に設置される意味です。
そういう意味では、レムリンガー区長の「善意」はこの問題の最良の解決策と受け止めることはできません。けれどそれを判断するのはコリア協議会でありベルリン市民です。
なによりもアクセスのいい私有地への移転を、日本政府はよしとしないでしょう。日本政府の目的は日本軍「慰安婦」問題を忘却し語られないようにすることであって、公用地はだめだが私有地ならいいとか、そういった類のことではありません。日本政府がよしとせず、けれども口出しのできない解決策は、私たちにとっても意味があるともいえます。
けれども問題は残り続けるでしょう。〈平和の少女像〉をなぜ公共の空間に設置できないのかと。
3,日本政府は〈平和の少女像〉撤去への圧力をやめろ
ミッテ区のレムリンガー区長は左派政党である緑の党出身の女性政治家です。就任当初は〈平和の少女像〉の継続設置に積極的な姿勢を取っていました。彼女が「結論的に私も少女像を保全したい」と述べたのは、おそらく本心からでしょう。
そんな区長がなぜ〈平和の少女像〉撤去の姿勢に転じたかといえば、それは日本政府の強い圧力があったからです。ドイツ現地の報道によれば、日本大使館は東京都とベルリン市との姉妹都市関係を終了しうると圧力をかけたのだそうです。それだけでなく、可能な限りの圧力をかけられたことでしょう。
今月4~7日に韓国の野党議員団がレムリンガー区長を訪ね、〈平和の少女像〉を撤去させないように申し入れました。これについてレムリンガー区長は「外国の外交官と国会議員から圧力が加えられるのは不適切。この問題を議論してほしい」と述べたそうです。この発言からも、日本政府からも相当のある力がかかっていたことは想像に難くありません。
韓国の野党議員団は「少女像は韓日両国の過去の歴史の論争の種を作ることが目的ではない」と主張したそうですが、まったくその通りです。〈平和の少女像〉は日本軍「慰安婦」被害者を記憶するためのモニュメントであり、いまや戦時性暴力根絶のメッセージとして世界中に受け取られています。日本の評判を貶めるために作られたものではありません。
日本政府は日本軍「慰安婦」問題を「歴史の教訓として直視していきたい」と、1993年の河野談話で述べています。安倍首相ですら、2015年の日韓合意で「日本政府は責任を痛感している」としています。本当に責任を痛感しているのであれば、〈平和の少女像〉へ花を手向け「二度とこのような過ちは繰り返しません」と誓って当然です。そうなれば〈平和の少女像〉は反日どころか、日本の平和主義を象徴するモニュメントになるのです。
それをなぜ日本政府がこれほどまでに敵視するのかといえば、その言葉とは裏腹に、日本軍「慰安婦」問題を認めていないからです。被害者の存在を、心の底では認めていないからです。だから口先では「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であるといいながら、〈平和の少女像〉の存在を敵視し、撤去のために最大限の圧力をかけるのです。
レムリンガー区長は「日韓が折り合える妥協案を望みます」と言いましたが、問題の本質を分かっていないようです。日本は植民地支配した国であり、韓国は支配された国です。植民地支配を容認するのではなく許されないとの批判的な態度をとるのであれば、求められるのは妥協案ではなく日本政府の真摯な反省です。そして被害に遭ったのか韓国という国家ではなく、女性たちです。求められるのは日韓の政治解決などではなく、被害者の人権救済です。人権尊重の立場に立つのであれば、これは日韓の対立ではなく、日本政府の被害者に対する二次加害であると気づくはずです。
日本政府は日本軍「慰安婦」問題をなかったことにするな!
日本軍「慰安婦」以外者の存在を認めろ!
この問題の本質は、そういうことなのです。
4,9月28日の撤去期限までに、私たちにできること
期限の9月28日まで私たちにできることはまだまだあります。
ひとつは国際署名に協力することです。その署名とは《ベルリンの「平和の少女像『アリ』」を守ろう!》というものです。change.orgを使ったこの署名はコリア協議会によって提起され、レムリンガー区長とベルリン市長に届けられます。「ベルリン アリ 署名」で検索するとすぐヒットするかと思いますので、ぜひとも試してください。目標5万筆のところ、現在4万人が署名に賛同しています。
https://www.change.org/p/ベルリンの-平和の少女像-アリ-を守ろう
ここで「アリ」という耳慣れない固有名詞に首をかしげる人もいるかもしれません。
ベルリン・ミッテ区の〈平和の少女像〉は、ドイツ現地では「アリ」という愛称で市民に愛されてきました。アリは「勇気ある女性」を意味するアルメニア語で、アルメニア虐殺のサバイバーで勇気を奮って声をあげた女性を、尊敬を込めてアリと呼びます。平和の少女像「アリ」は、戦時性暴力の被害を乗り越えて平和を訴えた女性たちの勇気の象徴として、ドイツで支持と理解の輪を拡げてきました。
繰り返しになりますが、ドイツでは〈平和の少女像〉は戦時性暴力の被害を乗り越えて平和を訴えた女性たちの勇気の象徴として認知されています。そのように認知できない日本社会のほうがおかしいのです。
情勢は依然として厳しいものがありますが、先月の水曜デモで報告した時よりは、確実にいい方向に向かっています。
なによりも、日本政府の撤去に向けた妨害工作を、私たち日本の市民は私たちの責任として、許すわけにはいきません。
戦地に連れて行かれ性奴隷とされた女性たちの人権回復を願い、このような歴史を二度と繰り返さないと誓うのであれば、私たちにこそ〈平和の少女像〉が必要です。それを示すためにも、〈平和の少女像〉を守るために、できることをやりましょう!
【2024年9月25日 第188回神戸水曜デモアピール原稿】