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「群馬の森朝鮮人追悼碑」撤去の暴挙を糾弾する

 1月29日、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に建てられている、強制連行の犠牲となった朝鮮人を追悼するモニュメントが、群馬県知事の行政代執行によって撤去されました。代執行は非公開で行われ、ショベルで暴力的に破壊しました。あとはコンクリートのがれきが残るばかりでした。
 私たちはこの野蛮な撤去を実行した山本一太群馬県政に強く抗議します。 

1,安倍政権への忖度で追悼碑の撤去は決まった

 群馬県立「群馬の森公園」は陸軍の火薬製造所の跡地にあります。戦争遺跡でもある公園に、市民が賛同金を集め、県議会の承認を得て追悼碑が建てられたのは2004年のことでした。以来、「追悼碑を守る会」が毎年追悼式典を開いてきましたが、2012年の式典の中で「強制連行」という言葉を用いたことが右翼の攻撃の的になりました。みなさん思い出してください。当時は安倍政権の絶頂期で、歴史修正主義が横行しました。ネトウヨたちは「反日」と騒ぎ立て、ヘイトスピーチを繰り返したのです。
 2014年、県はヘイト団体の圧力を口実に、朝鮮人追悼碑の設置許可を不更新としました。ヘイト団体の圧力に「負けて」という見方もありますが、私は「口実」だと思っています。
 「守る会」は不許可取り消しを求めて裁判闘争を闘いました。前橋地裁では裁量権の逸脱を認めて原告勝訴としました。しかし東京高裁では、安倍政権を忖度したのか、県の主張を認め、県の不許可処分を追認しました。

 この高裁の判断について、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。東京高裁の判断はこうです。
 「政治的行事は行わない」という設置条件に違反したという県の主張は正しい。「追悼碑自体が政治的な紛争の原因」である。だから設置許可不更新は正しい。
 市民団体は政治的行事を行っていたのでしょうか? そうではありません。強制連行によって亡くなられた方たちを追悼する式典です。その式典の中で「強制連行」という言葉を参加者が用いたから、「政治的」であり、モニュメントも「中立的性格を失った」とされたのです。
 「強制連行」という言葉を用いたから「政治的」?! 東京地裁はいったい何を言っているのでしょうか?
 強制連行は確かにありました。戦時中、多くの朝鮮人が日本に連れてこられ、過酷な労働を強いられたということは歴史の事実です。その被害を適切に表す言葉として最近は「強制連行」という言葉を使ずに「強制動員」という言葉に言い換えられて来ていますが、朝鮮人たちの悲惨な状況やその本質についてはなんら変わりません。
 繰り返して言いますが、強制連行は、歴史の事実です。私たちの祖父母の世代なら誰でも知っていた、公然の事実です。
 それをなぜ東京高裁は「政治的」と認定したのでしょうか。その理由ははっきりと判決に書かれています。
《「強制連行」は日本政府が認知しない文言であり、「労務動員」を「強制連行」とすることは日本政府の見解に反する》
 つまり、日本政府の見解に反するから「政治的」とみなされたのです。日本政府の言うことに大人しく従い、黒いものでも白と言わないと、「政治的」になる。こんなバカな話はありません。
 いまロシアでは「平和」を訴えたら拘束されるのだそうです。「平和」という言葉を用いたら政府に「政治的」とみなされるのです。いま起こっていることは、これと同じです。
 歴史を認定するのは歴史学者の仕事であって、政府の仕事ではありません。政府が認めなかったから、強制連行はなかったことになるのですか? 日本政府が認めなかったら日本軍「慰安婦」はいなかったことになってしまうのですか? 日本政府が認めなかったら、関東大震災における朝鮮人虐殺はなかったことになってしまうのですか?
 冗談ではありません。
 山本一太群馬県政、そして裁判所がやったことは、安倍政権におもねり、政府見解と違うから政治的存在。だから撤去した。なきものにした。
 政府見解と違うから、撤去できるのですか?日本はどんなファシスト国家、全体主義国家なんですか?
 こんなこと、歴史の審判に耐えられるわけがありません。

2,強制連行の事実は消せない

 群馬の森公園朝鮮人追悼碑には「強制連行」という文字が用いられていません。だから「政府見解と違うから」という理由は、碑の存在そのものを否定する根拠とはなりえないのですが、いまはそのことには触れないでおきましょう。政府見解と違うから撤去できるということそのものが、おかしいのですから。
 このモニュメントは正式には「記憶、反省 そして友好」という名称です。その碑文には何と書かれているのか、記憶にとどめておくために全文を読み上げたいと思います。

”「記憶、反省 そして友好」の追悼碑を建てる会 2004年4月24日
追悼碑建立にあたって“

 20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦の最中、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。
 21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである。

 私はとても気高い文章だと思います。私たちの国が過去におかした過ちに対してどういう姿勢を取るべきか考えた時に、「友好を深めていきたい」という決意は、私はとても真摯に受け止められます。日本政府の姿勢とまったく逆ですよね。
 群馬でどのような強制連行があったのでしょうか。群馬県内の朝鮮人労働者は鉱山や発電ダム建設、軍事工場を避難させるための地下トンネル建設工事などに従事させられ、県内で6000人以上が労務動員されました。動員された朝鮮人の数が約1000人に達したという岩本発電所の工事現場は、請け負った間組の社史によれば、慢性的な飢餓と過酷な作業で死者が続出、逃亡者も相次いだのだそうです。会社が認めるほどの、劣悪な労働条件であったということです。
 逃げ出せいない状況で人を使役することをなんと呼ぶが、皆さん知っていますか?それは奴隷労働です。「強制連行」という言葉は、日本に連れてきた時の強制を表す言葉ですから、確かに適切ではないかもしれません。だから最近は「強制動員」という言葉を用いているのですが、実態からすれば「奴隷労働」という言葉が最も適切でしょう。

 歴史修正主義者も日本政府も「強制連行」という言葉を否定しますが、だったら「強制動員」という言葉なら容認するかといえば、絶対に容認しません。ましてや「奴隷労働」などと認めるわけがありません。
 日本政府が認めている言葉は「労務動員」です。法に従って動員されたのだから違法ではなく、適法であったというのがその主張の根幹です。しかし私たちは声を大にして訴えたい。合法だったからなお悪いのです。
 例えばハンセン病者に対する隔離は1931年の「らい予防法」に基づいて行われました。法律に基づいて隔離政策を行い、重大な人権侵害を引き起こしたのです。現在では「らい予防法」は誤りであったと誰もが知っています。国も過ちを認め、国家賠償も認められました。
 「当時は合法だったから」という言説は、何の意味もありません。それが人権侵害であったか否かが問題なのです。多くの人が植民地朝鮮から日本に連れてこられ、過酷な労働を強いられました。これが重大な人権侵害でなくて、何なのでしょうか?

3,公共の空間に追悼碑を建てる意味

 こういったモニュメントが次々と公共の場から撤去されているという現実があります。
 この近辺では、奈良県桜井市にあった看板が撤去されました。桜井にあった軍用飛行場は、朝鮮人強制連行によって作られました。強制連行という言葉があったから右翼の攻撃の対象になり、それに押された行政が撤去を決めたのです。今回と同じケースです。
 公共の場所だからいけない、私有地に立てたらいいじゃないか。そんな議論もあるかもしれません。しかし公共の空間にこのようなモニュメントがあるということが、非常に重要なのです。

 「つますきの石」をご存知でしょうか。ユダヤ人ホロコースト犠牲者の名前、生まれた年、死亡した場所などが刻まれている10cm四方の真ちゅうのプレートのことです。ドイツ人アーティストのグンター・デムニヒが1997年前にベルリンの道中に埋めたのがはじまりでした。ナチスによって死に追いやられた人々や迫害から逃れた人々がかつて自分たちが生きていた場所であった証として刻まれています。
 人々はこの石にあえてつまずくことで、ナチスの迫害にあった人々を記憶する取り組みを日々行っています。2023年5月の時点で、ヨーロッパの2千以上の地域に10万個も敷設されているそうです。
 もしこの石が撤去されるとしたら、今生きているユダヤ人がどのような思いを抱くか、想像することは難しくありません。その理由が「政府の見解と違うから」というものだったら? たちまち国際問題発展することでしょう。ドイツはナチスが起こした過ちを真摯に反省することで、ユダヤ人や被害国の信用を得てきたのですから。

 なぜ日本では同じことにならないのでしょうか? 韓国には強制連行被害者とその子や孫がたくさんいます。日本にだって多くの在日朝鮮人が暮らしています。在日一世のハルモニハラボジたちがどんな苦労をしてきたのか、どんな差別を受けてきたのか、知っています。
 群馬の森朝鮮人追悼碑が撤去されたと聞いて、被害者たちがどのような思いをを抱くのか、なぜ多くの日本人たちは想起できないのでしょうか?
 韓国の済州道知事が、群馬県と推進中の友好交流に関する実務協議を見合わせるべきか悩んでいると明らかにしました。韓国国家記録院の名簿によると、済州島出身の徴用者は1万人に上ります。もちろん群馬県にもたくさん連れてこられていることでしょう。だから済州道知事の悩みは当然のことです。
 強制連行で連れてこられた朝鮮人犠牲者を追悼するモニュメントが公共の空間にあるから、重要なのです。私たち多くの日本人の総意が示されているわけですから。
 ところがモニュメントを撤去した。これは、日本人が、記憶もせず、反省もせず、友好さえかなぐり捨てるのだと表明したのと同じです。重機のあとは、暴力的な手段を用いても撤去させるという、日本国家の強い意志です。このような暴力が許されてよいわけがありません。

 歴史を指定し続けた安倍政権は終わり、安倍派は解体の危機にあります。今こそ、歴史認識を正すチャンスです。安倍政権の歴史否定はとりも直さず勝ち組負け組の分断を拡げる新自由主義政策そのままでした。人の優しさよりも金が物を言う世の中にしてきたのは歴代自民党政権です。
 社会的弱者を優遇する社会を作りましょう。そういう営みが、過去の戦争と植民地支配で朝鮮人をはじめ、アジアの人々を苦しめてきた反省を生み出す機運につながるものと信じたいです。

[2024年2月28日 第181回神戸水曜デモアピール原稿]


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