夕暮れのプロポーズ
パートの帰り道、どこをどう間違ったのか、気がついたら小さな浜辺に辿り着いていた。
何処かで見たような‥。そう思いながら浜辺を歩いていると、少し離れた所に若い男性が立っているのが見えた。すると、
遅くなってごめーん。
と、若い女性が大声で叫びながら、男性に駆け寄って来る。何処かで聞いたことのある声‥。私の声だ!
大丈夫だよ。オレの方こそ、忙しい時間に呼び出してごめんね。
この声は主人の声だ。風の吹く音や、波の音が絶え間なく聞こえているのに、何故か彼らの声ははっきりと聞こえてくる。
そうだ!思い出した。ここは主人が当時勤めていた会社の近くの浜辺だ。付き合いはじめの頃、この浜辺から見える夕陽が凄くきれいだからと言って、良く連れて来てくれた場所だった。
ところで、大事な話しって何?
う、うん。あのさ、これ。
若者だった頃の主人は、同じく若者の私に何か
差し出した。私はそれを見てハッとした。
彼が差し出したのは婚約指輪だ。主人は私を夕陽が一番きれいな時間に呼び出して、ここでプロポーズしてくれたのだった。若者の主人は
若者の私に
結婚してください。絶対君を悲しませないし、
不自由な思いもさせない。世界一大事にする。
と真剣な面持ちで語りかける。
ちッ!嘘ばっか!新婚の頃から、ほぼ毎日遅くまで飲み歩いててさ。そのせいで、生活もカツカツ。だから私がこうしてパートに出ることになっちゃってさ。家事にパートでホント大変。こんなヤツのプロポーズなんて断れ!過去の私。断れ!断れ!
私は過去の私に念を送った。しかし、彼女は
ありがとうございます。
と、小さな声で恥ずかしそうに返事し、指輪を受け取っていた。
指輪の箱をギュッと胸に抱きしめて、沈む夕陽をみつめる彼女の顔は幸せで満ち溢れ、自分史上最高の美しさを放っていた。私はその横顔を眺めながら、
あんたの選んだ男は碌でもない奴だけど、頑張れ、私!幸せになれ!
と、心の中でエールを送った。
(了)