鼓動
酔っ払っております。
Covidのおかげで外に出ることもなくなり、もともと少なかった友人との飲み会がなくなっておりましたところ、赤ワインの瓶を見つけてしまったのです。
もとより、一人でぼうっとしながらカプカプ飲む時間が好きですので、いつの間にか3分の2ほどお腹の方に流し入れてしまいました。
一人で飲む時には言葉を発しない主義ですので、だんだん早くなる臓器の鼓動に耳を澄ませ、高速で行き来する血の流れに身をまかせています。トクントクン・・・トクトクトクトク・・・
せっかく心の臓に思いを馳せているわけですから、生死について考えることにしました。ただ考えるだけですと忘れてしまいますので、noteに綴りながらやってみようと思うのです。(まあ、酔っぱらうと6割型忘れてしまうのもありますが。)
私は昔から感受性というものが豊かな人間でして、心を許した人の死せる瞬間を想像するとあっという間に号泣です。そんな時は何かしら、映画や小説、ドキュメンタリーがトリガーになっているのですが、まあ厄介なものです。
たまには自分の死について妄想するのも楽しいでしょう。今、自分が死ぬ瞬間を想像しようとしていますが、これがなかなかうまくいかない。
眠る感じなのか、痛みを伴うのか、水中にふわふわと浮くような感覚なのか、少し宗教チックに光が差してきて暖かい風にふうと連れ去られるのか。個人的には宗教チックなパターンだと嬉しいですね。ロマンがあります。痛いのも嫌ですしあんまり呆気ないのもつまらない。
それとも、幽霊のように第三者となって自分を見下ろしているのか。私は子供も産みたいですし、できればパートナーも欲しい、贅沢ですが友人にも最後を看取って欲しいです。病に伏せているとして、願えば3人ほどの人間に私の床を囲っていて欲しい。第三者となればその三名の涙を見るのは心が痛いです。(泣いている前提としましょう)もらい泣きしてしまいます。ぐすぐす泣いている幽霊なんてなんだか滑稽ですから、これは一番避けたいところ。
暖かな風に乗るパターンにしましょうか。
丁度のび太くんみたいに重力に逆らって平行に飛んで、一旦雲の上まで行きます。現実的に言えば大気圏があってその先には宇宙空間がありますが、今は無視です。さて雲の上には絶世の美女軍団。漢服に身を包む美しい天女に迎えられます。ベタですね。私は昔からシナズムのファンなのです。あれは美しい。
中でも褐色の肌が美しい天女様に案内され、閻魔様のもとへ。閻魔様は威厳があって、リーダーシップの頂点のようなお方です。私のありとあらゆる経歴を洗い出し、1か10か、善か悪か、色一つ変えず冷静沈着そのもののお顔で考察なさるのです。私は死んで生命活動はとうに停止しているはずですが、気のせいでしょうか。だんだんと血の巡りが活発になっていくのを感じます。中心から指の先まで真っ赤な鼓動が波を打ち、静かに閻魔様のお言葉を受け止めるのを待っているのです。
とまあ、今からシナリオを考えてしまうのはナンセンスな気がしますので、妄想はここまで。
個人的には生きることにさほど価値はないと思っております。どんな人間の一生もそこまで差はありません。皆、同じような悩みと葛藤と戦い、同じような喜びに乱舞し、同じような情熱に頬を赤らめる。時には諦め、時には狂おしいほど怒り、時には感動に身を震わせる。似たり寄ったりです。
しかし、死ぬ瞬間から死んだ直後、ここで人間の価値は一番鮮やかに色づくと思います。まさに赤いカーテンを下ろすように、豪華なものでありたい。
もちろん良く死ぬためには、良く生きねばなりません。
うん、そろそろ酔いが覚めてまいりました。脈よりもキーボードの音の方が心地よく部屋に響いております。
明日死んでもいいように後悔せずに生きようなどという綺麗事はあまり好きではないので、締め括りの言葉には困りました。まあ、いいか。このnoteを綺麗に使うことは目指していないですし。たまには死のことをポジティブにポップにビューティフルに考えてみるのもいいかもしれません。
いい晩酌でした。