失恋ピートモンスター

もっと性格のいい人のこと好きになりなよ、って言われたからやっぱりあなたが好きだなぁと思ったりした。

初めて声をかけたのもこの薄暗い喫煙所だった。正直なところ、顔が綺麗だったからっていう1点なんだけど、あなたがソフトテニスのラケットを肩からかけていたから、私も混ぜてくれませんかって思わず言っちゃった。下心満載だったけれどあなたはそんなことに気が付かない程度に私に全く興味がないから、快くLINEを交換してくれる。今見返してみたけれど、あれ去年の6月だったよ。夏が近くて、初めてテニスを一緒にした日は汗だくになってタオル忘れたの後悔したこと覚えてる。もっと、最近だと思ってた。

あなたの悪いところ、いっぱいある。

ものをすぐに無くすところ。鍵だったり、イヤホンだったり、小さいものがなくなると「ねえ聞いて」って言ってくれるから、それが平和で嬉しかった。

何もメッセージを添えずにPayPayのリンクだけ送ってくるところ。律儀なんだか知らないけれど、私が奢るって決めて誘ってるんだからさ、ご馳走様って言ってそれだけでいいじゃん。

飲みすぎて体調崩しちゃうところ。フラッと外に出て行ったまま帰ってこないから、初恋の悪魔みたいな演出だなあって思ってた。そうそう、1回飲み会終わりに行った立川のバー覚えてる?あそこに久しぶりに行って来たんだけど、マスターもちゃんとあなたのこと覚えていたよ。ピートモンスターっていう空を飛びそうなふざけた名前のウイスキーをサービスしてくれた。

嘘がつけないって嘘つくところもほんとに悪い。

2人で歩いて駅まで向かう道の途中、雪山みたいに音が消えた日があった。有給をとった平日の昼間だったから、車も動いてないし外で遊んでる子供たちもいない。ホワイトノイズが脳内で流れるくらいの静寂で、それを壊すのがもったいなくて2人とも喋るのを辞めていた。沈黙に耐えられなくて話し出すみたいな事ってよくあると思うんだけど、あの時は逆で静寂が崩れるのが嫌だったから内緒話みたいに「静かなお昼だね」って声を出す。こくりとあなたの顔がちょっと回る。

去年の夏に一緒に出た新宿ミックス。私たちのリーグは皆同じ苗字だったから、夫婦で大会出るもんなんだって驚いた。まだ小学校にも入ってないようなお子さんが、「がんばれーー」って言うのが相手サイドから聞こえてくるから、その応援はズルすぎるって笑っちゃう。あの時の私のプレー、神がかってなかった?思ったところに打てるし、後衛なのに調子乗って前でボレーもしちゃうし。抱きしめてあげたいって冗談に、試合が終わってからねって笑うくらいには2人とも輝いてたよね。対戦相手もみんないい人ばかりだった。
あの日に対戦した夫婦、1組だけまだ連絡とってるよ。たまに練習に誘われたりもする。コートがちょっと遠いから、一日練の日とかがあったらそのうちあなたも連れていきたいなと思ってたんだ。
ほんっっとうに理想を言うなら、10年後のあの大会に、あなたとまた出れたらなんて素敵なんだって思ったりした。いや、この妄想はバカすぎるか。

あなたの好きなところ、まだまだ見つけたかった。

「通っていた幼稚園の名前教えて」
「冬の消防車の音が嫌い」
「花の名前覚えようかな。食虫植物好きだったし」
「この電車見逃そ。今日はダラダラがテーマだから」

あなたと一緒に過去を振り返るのも、未来を想像するのも楽しかったけれど、1番は今に集中させてくれるところ。その今は全部平和がキーワードだった。平和だねって多分人生で1番言ったし言われた1年だった。

あの日の次の日、ひとりで映画を見に行ったら、冒頭で、松たか子が餃子を焦がして絶望していた。コミカルには描かれていたけれど、そのやるせなさが凄く分かる。知ってると思うけれど、私は事務手続きが全然できなくて、小さいことで何回も怒られてきた。経費の申請は毎回差し戻されるし、勤務時間の表にはエラーばかりが並んでいる。確定拠出年金の申請も、書類を全部なくしたから諦めた。こんな生活も、あなたに話したら全部ケタケタ笑い飛ばしてくれるから、絶望とはいちばん遠いエピソードになっていたんだって気が付かされた。餃子を焼く前に戻りたいって、これからは思わなくちゃいけないんだ。餃子が焦げたらもう絶望するしかないんだ。

「こんなやつのどこがいいの?笑」って言われた時に、「私の話をケタケタ笑ってくれるとこ」って何も考えずに答えたけれど、あれ、やっぱり正しかったんだな。


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