羊宮妃那さんの声グラインタビューが奥深かったよって話
声優グランプリ創刊30周年記念号の表紙を飾った羊宮妃那さん。
巻頭特集では10,000字インタビューがあり、彼女の声優としての生き様や覚悟、その深淵にあるモノが垣間見える内容でした。
声優「羊宮妃那」の声が、演技が、生き様が大好きな私に深く響いてきたので、ここにその感想を書き連ねていこうと思います。
1.インタビュー内容について
インタビュー記事を順に追っていって、それぞれに感想を書いていく感じにします。
内容的にあっちいったりこっちいったりで、まとまりは無くなってしまいますが、インタビュー内容が濃かったのでこの方式でやっていきます。
基本的にはお手元に声グラが無いとよく分からん感じで書いてくので、そのつもりでお願いします。
①.30周年記念号の表紙・巻頭について
まずは30周年記念号の表紙・巻頭を務めたことについてのインタビュー部分。
羊宮さんは30周年記念号の表紙・巻頭を任せてもらえたことに対し「形にして」臨むという表現をしていたところに羊宮さんらしさを感じます。
声グラは30年もの歴史があり、名だたる声優たちが表紙を飾ってきたわけで。
だからこそ、ただ気持ちで向き合うだけではなく、結果として出さなければならないという責任感なのかもしれません。
自分が選ばれたということの理由、どんな期待が向けられているのか。
そういった部分を考えて、求められる役割を果たそうという意識の顕れとも言えそうです。
語られてはいませんが、撮影に臨むにあたって様々な努力を裏で重ねていたのだと思います。
ホープで話していた「チョコレートを控えた」というのも、その中の一つの努力であったという事でしょう。
②.声優を目指し始めるまで、子供時代
声優という職業を意識し始めるまでの時期についてのインタビュー部分。
ラジオなどで度々お話されていますが、羊宮さんは中学生までは非常に活発な子であったようです。
ずっとお友達と一緒にいたいと思うほどだったとか。
もしかしたら、世界とつながること、色んな人の感情や心の動きに触れることが楽しかったのかもしれませんね。
今でも興味を持ったモノはとりあえずやってみたりしてるようで、昔から好奇心も旺盛なのだと思います。
自分ではない存在に触れて、自分にはない世界を知れる、そんなところに魅力を感じて、心が動いて共鳴し合う瞬間を求めていたのかなと与太話をしてみます。
高校生になってからは色々と変わったようで、そこについては後ほど。
そして声優に出会ったのも中学生の頃で、目指し始めたのも中学生の終わりの頃です。
キッカケについては各所で語られてる通りですが、後押しになった羊宮ママのひと言が本当にすんなりとしていてすごいなと改めて感じました。
面と向かって進路とか話している時に「声優になりたい」とポロっと言ったのかと思っていたんですが、車でお出かけしている最中のことだったんですね。
そんな状況でも、娘のやりたいと思ったことを尊重して、すんなりと背中を押せる器の大きさに感服してしまいます。本当に素敵なお母様です。
この頃はまだ具体的な何かがあったわけではなく、単純にお芝居に惹かれて目指そうと思っていたそうですが、羊宮ママの後押しがあってすぐに声優についていろいろと調べ始めたというのは凄い行動力です。
この行動力は今でも変わらずあるような気がしています。
羊宮さんは何かをしたいと思ったり、どうすればよいのかと悩んだ時は、ひとつひとつ突き詰めて整理して考えていらっしゃると感じていて。
何かに挑戦するにあたっての下地というか、アプローチの仕方が羊宮さんの中で確立できているのか、思い切りも良いしそこで得たモノを次に活かすのも上手いんです。
きっと、昔からずっとそうして積み上げてきたからこそ、今のしっかりした土台が形作られていったのでしょう。
③.声優を目指し、デビューに至る努力
声優を目指し始めてから、デビューしたあたりについてのインタビュー部分。
最初は独学でお芝居を勉強していったそうです。
自分は出遅れていると感じて焦りながら、調べたり考えたことを片っ端から試して必死に試していたとのこと。
正しいのか正しくないのか分からない努力を続けるのは相当難しいことですが、どうしても声優になりたいという気持ちと、お芝居が楽しいという気持ちで続けられていたのかなと思います。
その中でも色々な壁にぶつかってきたようで、勉強としてやってきた「ほかの声優さんのお芝居のまね」から自分のお芝居を見つけること、そして息が多すぎることに向き合ってきたそうです。
特に息については一番向き合った部分らしく、何度も喉を壊しながら自分にあった声色を探していたとか。
文字通り血のにじむような努力に胸を打たれる思いですし、この努力こそが今の羊宮さんのお芝居の魅力に繋がっているのではないかと思っています。
羊宮さんのお芝居はいわゆる「羊宮節」と呼ばれたりする、独特な節回しがあるんですが、その大きな要素として息づかいがあります。
演技の緩急や抑揚の付け方を、息で表現している部分が多いと感じる演技をなさるんです。
台詞に対する息の量、息による言葉の区切り方、息の入り抜きでの音の強弱とか、そういったところで機微を出してるなぁと感じます。
ある意味ストレートじゃない表現をしているとも言えますね。
それ故か台詞に込められた感情というか、行間のような情報量を多く感じて魅力的だと思ってます。
このような繊細な息の使い方でお芝居が出来るのも、お芝居の勉強を始めた最初の頃に向き合ってきた部分だったからではないかなと感じました。
上手く息を使うことに加え、どう使うとどう聴こえるのかという部分も研究してきたはずなので、的確かつ効果的な使い分けが出来るわけです。
羊宮さんのお芝居の礎みたいになっているのだと思います。
プロの声優としてやっていくことを見据えて努力を積み重ね、それが今に生きているのかなと思うと本当に素敵ですね。
ちゃんと頑張りが未来に繋がって、羊宮妃那の独自のお芝居として実っているんです。
本当によかったねって、おめでとうって気持ちでいっぱいです。
だいぶ話は飛んでしまいましたが、「自分らしさ」がないと役を任せてもらえるようにならないと、課題たちに向き合い続けていたようです。
サクガンのオーディションの時も、事務所所属オーディションの時も1番手になることが出来ず、何かが足りていないから1番に成れないのではないかと悩んでいたそう。
そして受かるまでの数ヶ月間は毎晩のように泣いたり叫んだりを繰り返していたという話には心がキュッとなりました。
もちろん羊宮さんに限った話ではなく、声優を目指している人たちは数多く経験していることだとは思います。
ただ、改めて言葉として見るとハッとさせられました。
声優になるために人生丸ごとかけているような話を聞いていると、どれだけの苦しみであったかは想像に及びません。
今でも涙することはあるというのですから、声優として生きていくことにかける想いの強さを感じさせられます。
そんな中でも笑顔とあたたかさを届けてくれている羊宮さんの頑張りには、感謝してもしきれないです。
当時も感情ノートを書いていて、そこには誰にも必要とされていないという気持ちが綴られていたそうで、色々な苦しい気持ちに苛まれていたのでしょう。
そんな痛みに直面しながらも、頑張るしかないと頑張り続け、時には自分の想いを歌に変えながら進んでいける強さがとてつもないです。
苦しい時って耐えるだけでも大変なはずのに、ひとつひとつ見つめて受け止めて、どう対処していくかを考え抜いているんです
止まらずに歩んでいける強さも、ただ歩くだけではなく何が必要なのかを考え抜ける思慮深さも、実際に行動に落とし込める決断力も、並大抵ではないと感じさせられます。
このように「役に向き合う事」の裏側にあるもの、痛みの話をしてくれることが本当に嬉しいです。
苦難に向き合いながら前に進み続け、報われて、夢を叶え続けていっている姿が、何よりの勇気になります。
苦しさとの付き合い方、その先にある光を信じて、自分も頑張ろうって思えるんです。
素晴らしい演技を見せてくれることも、素敵な物語を見せてくれることも、感謝でいっぱいです。
④.声優デビュー、役と生きる覚悟(声編)
デビュー後、色々な役に受かり始めたころのインタビュー部分。
羊宮さんがオーディションで最初に選ばれたのが着せ恋で、次がセレプロというのは前からあった話ですが、オーディション自体はセレプロの方が先だったようです。
セレプロはまず事務所オーディションがあって、そこで選ばれた人が1次審査に進み、そこからスタジオ審査に進む流れだったそうで、青二的には新人をプッシュする枠としていたみたいですね。
私の入り口はセレプロだったので、この審査を潜り抜けて野土香ちゃんに選ばれていたのだと思うと、どこか感慨深いものがあります。
羊宮さんにとっての、役に選ばれるという事の意味が好きだなぁと感じています。
ひとつの「命」であると捉え、その子になるもの全てを演じて表現していこうと大切にしてくれていて、作り手やキャラクターへのリスペクトの深さに心があたたかくなります。
そうして大切に想いを注いでくれるからこそ、こちらも真っすぐにキャラクターを愛せるし、物語に心を委ねて入り込むことが出来るんだと思います。
声優としてキャラクターを背負うことへの責任感が好きです。
そんな羊宮さんだからこそ、羊宮さんの声や性格の転機ともなった作品についてのお話がありました。
それぞれMyGO!!!!!と僕ヤバなわけですが、今回のインタビューで聞けた内容と表現は非常に鮮烈で印象に残りました。
まず、MyGO!!!!!の燈役として歌っていくにあたって、もともと持っていた声を壊す・捨てる必要があったというのです。
拡張するでも、鍛えるでもなく、「壊す、捨てる」なのです。
というのも羊宮さんの声は息の成分が多く、そのまま歌ってしまうとバンドサウンドに埋もれてしまうが故に、地声成分を多くしていったそうですが、それにより元々の声が出せなくなってしまうとのこと。
感覚としては、地声を使って歌えるようになる=出来ることが増えるというように感じますが、実際には両立できないというわけです。
地声成分を増やすのは喉の筋力を鍛えることで、筋力が鍛えられてしまうからどうしても出せない声が出てきてしまう。
この事には羊宮さんが非常にわかりやすい例えを言ってくれていて、“腹筋を1年間して積み上げてきた筋力を、今だけなくしてくださいと言われてもできない”。
言われてみれば確かに腑に落ちますね、上手い表現だと思いました。
声の改造みたいな話はまあ聞く話ではありますが、羊宮さんの場合、MyGO!!!!!の燈役に受かり練習をする期間がだいたいオーディションに受かり始めた時期だったんです。
前節で書いた通り、なかなかオーディションに受からず泣き叫びながらも向き合い続けて、たくさん頑張り続けてきたわけです。
ようやくその努力が報われて、評価をして貰えて、やっと掴んだと思った自分の個性かもしれない声。
そこには自信というか、これが求められてるんだという気持ちも出てきていたでしょうし、それこそ中学生の頃からずっと積み上げてきた大切で思い入れの深い声だったはずです。
それを自ら壊すことになる選択を迫られたことになります。
目の前には演じるうえで乗り越えねばならない壁があって、でも乗り越えるには大切に背負ってきたモノを捨てなければならなくて。
どれだけ苦しかったことでしょうか、どれだけ怖かったことでしょうか。
もしかしたら、「この声だからこそ羊宮妃那には価値があるんだ」という気持ちすらあったかもしれません。
その声を捨てることによって、今後役がもらえなくなってしまうことすら考えていたかもしれません。
その気持ちをも捨てる覚悟でなければならなかったのでしょう。
しかも一度覚悟を決めたからといってそこで終わるわけではなく、ずっと痛み続けるモノです。
新しい事への挑戦をしながら、少しずつなくなっていくモノを実感し続けることになります。
自分はお芝居で生きていくんだと志し続けてきたであろう羊宮さんにとって、それがどんな意味を持っていたか、想像もつきません。
それでも、羊宮さんは声も気持ちも捨てる覚悟を持って、燈ちゃんに自分の声を預けて挑み続けていったのです。
そこまでしてでも、役に添い遂げることを選んだのです。
どれだけの信念であるか、どれだけの愛であるか、もはや言葉など意味をなさないほどに物語っているでしょう。
自らの人生をもってしてキャラクターに向き合い、共に歩まんとする。
なんと美しいのでしょうか。
キャラクターに寄り添い、キャラクターを演じ、キャラクターと共に生きようとする在り方、その生き様に深く胸を打たれました。
そんな羊宮さんの在り方が、凄まじいほどの覚悟が、本当に本当に大好きです。
もちろん、それだけではなく今後の活動も踏まえた総合的な判断も含まれていたとは思います。
時期的にも落ち目ではあった気はしますが、それでもブシロードのコンテンツですからね、バンドリは。
結果として、羊宮さんは昔の声はもう出すことができないのだそうです。
デビュー最初期の頃の声とは変わっているなと感じるところは実際ありますね。
発声の根っこの部分がハッキリするようになったというか、不安定な揺らぎ方が少し落ち着いたというか。
とはいえ、それで終わりということを羊宮さんがするわけもないでしょうし、捨てた先でちゃんと確立できているモノがあるからこそ、今があるんじゃないかなと思います。
筋力に依存している部分はどうしようもないとしても、積み上げてきた演技の技術が丸ごとなくなるわけではないはずです。
声の研究にはかなり注力したのではないでしょうか。
歌声に関してもMyGO!!!!!活動中でも変わったなと感じるタイミングもあったので、この方向性で行こうと固められた時期があったのかなと感じます。
お芝居において勉強してきた息の使い方も、歌にも適用できないか色々探ったりもしていたようです。
ただ息成分を減らすだけではなく、上手く活用できる方法を追求できているのが素晴らしいですね。
そういったアプローチがあるからこそ、燈ならではの歌に繋がってるのでしょう。
これらの苦しみと覚悟のおかげ、というのもめちゃくちゃ失礼な話ですが、この一連の話が少なからず燈の歌、ひいては感情の演技の重みに寄与しているだろうなとは思います。
言い表せないような感情の重たさがあるんですよね。
そのお芝居がたまらなく大好きです。
声を捨てた話をふまえると、キャスト非公開のまま活動していたプロローグの1年間はある意味しんどい部分はあったのかなと思います。
自分すら捨てる程の覚悟で向き合って作り上げていった歌や声が、自分のものだと言えないことは結構苦しかったのではないでしょうか。
今にして思えば、セレプロのSplasoda°トークイベントで零れた想いにはここら辺の話も関係していたかもしれませんね。
何でもかんでも関連付けようとするのオタクの悪い癖ですけど。
MyGO!!!!!も今や大きな存在になっているので、燈役としてやっていくための覚悟が形になっているのは本当によかったですね。
私としても、こういった覚悟を持ちながら、真っすぐに臨む人こそ報われて欲しい想いもあるので嬉しいです。
⑤.声優デビュー、役と生きる覚悟(性格編)
羊宮さんの性格の転機となった作品についてのインタビュー部分。
羊宮さんが初めの頃に受かったキャラクターたちは内気でまったりとした子が多く、自分の内側にあるものをお芝居に活かしてもよくて、明るくない声でも使ってもらえるのだと感じて、普段のしゃべり方にも反映させていたそうです。
これ自体はポジティブな感じだったようですが、過去の経験と合わさったことで逆に枷となってしまっていたようです。
あんまり触れるべきところじゃないと思いますが、高校時代のトラウマで周りの目線や声を怖く感じてしまって、明るく振舞ったり声を大きく出して喋るのも怖かったそうで。
これに関してはまあそうなんだろうなと感じているところではありました。
どこか気遣いというには腰が引けているような、行動の起点に恐れがあるみたいな話を何度かtwitterに書いた気がします。
なので、その意識も相まって「そうでないといけない」みたくなってたんだと思います。
それを破るキッカケとなったのが僕ヤバの山田杏奈ちゃんです。
山田はそれまで羊宮さんが演じることが多かったキャラとはうって変わって明るいキャラで、そのお芝居を褒めてもらえたことが転機になったそうです。
市川役の堀江さんなどもおっしゃっていましたが、イベントや収録の現場で僕ヤバの話を振られて褒めていただくことが多かったらしいです。
そもそも人気漫画だったこともあって、世間的な注目度があったのも大きいかもしれません。
そういった場で色んな人から褒めて認めてもらえたことで自信になったのか、こんな自分でもいいんだと思えるようになったそうです。
放送前は山田のキャスティングに色んな意見を目にしましたけど、話数が進むにつれてどんどん肯定的な意見が増えていってました。
実際私も演技的には相性抜群に思っていたものの、声色的には観てみないとわからんなとは思ってましたし。
職業体験回以降は爆発的に良さが伸びて、今はもう羊宮さん以外考えられないくらいになってます。
人気原作のヒロインに抜擢されたうえで下馬評を覆せたっていう面も、自分を受け入れられるようになった部分としては大きかったのかなと思います。(慣れとか脱落してとかの側面もあるでしょうし、一概に演技でねじ伏せたとは言い切れない気はしますけどね。)
枷は外せたものの、今でも怖さはなくなっていないそうですが、今まで演じてきたキャラクターがそばにいてくれるから自信を持っていられるというのが羊宮さんらしい考え方ですね。
お芝居は自分じゃないものになれて、普段感じているようなものを大きく表現することが許されるところに惹かれたという話をしていたことがありました。
そんな世界に生きるキャラクターたちと、演技を通して隣で一緒に生きられるからこそ、“自分”でいていいんだと思えて、自分を好きになれているのかなと思いました。
キャラクターに寄り添うだけではなく、キャラクターにも支えられているんです。
まさに二人三脚で、演じるとか背負うというより、隣で一緒に人生を歩んでいるみたいな感じですね。
その捉え方というか向き合い方は羊宮さんならではの魅力だと思いますし、声優としてそのように全霊で向き合ってくれるのは本当に嬉しくて心から惹かれます。
この考え方みたいなところは、羊宮さんのお芝居の魅力にも繋がってるんじゃないかなと感じています。
演技の組み立ての部分において、共演者の方が『役に感覚で接着して、ロジックを組み立てている』と評していたのですが、その感覚の部分に表れているのかなと。
役そのものの人生に向き合って感覚、感情的な理解から理論を組み立てていっているからこそ、理論の方向性に依らず「その役らしさ」が芯として通っている演技になっているのだと思います。
どうあってもそのキャラクターらしくて、台詞の裏にある想いがしっかり伝わってくるわけです。
以前私は羊宮さんのことを『キャラクターの存在レイヤをひとつ上げる声優』と称した事があるんですが、こういったところの話になります。
そのキャラクターの感情が声に乗って、まるで本物の、生の感情であるかのように伝わる瞬間。
心の深いところまで届いて共感が生まれるのは、羊宮さんの向き合い方があってこそだと感じていて。
そんなふうにキャラクターをより近い距離で、リアルな生として感じられることが『存在レイヤをひとつ上げる』ということです。
羊宮さんのお芝居の魅力だと思っていますし、私が大好きなところです。
だいぶ与太話が過ぎました。
話は変わって、これまでで印象的な役としてトラペジウムの大河くるみちゃんの話が出ました。
くるみちゃんが泣き叫んでしまうシーンのお芝居が、羊宮さんの中で体に染み込んでいるものだったそうなんです。
ちょっと前に出てきた、上京してからの話ですね。
そこについて、当時の感覚が活きた瞬間だったと語っていて、なかなかすごい感覚だなと。
かなり苦しい記憶だったとは思うんですが、それもお芝居に役立てる方向に捉えているんです。
お芝居にかける本気度が伝わってくるといいますか、苦しさすらも糧にして進んでいるのがすごいです。
きっと苦しさに耐えるだけではなく、その気持ちと付き合いながら向き合って、乗り越えていったからこそ糧として昇華できているのでしょう。
トラペジウムの話で、90分という尺感の中でどうくるみちゃんの人生を表現すればいいか考えたと言っていて、良い見方ができてるなぁと思いました。
作品ごとに作中での時間の流れというのは違っていて、そこで何があってどう変化して、そしてどこまで描かれるのかはまちまちです。
だからこそ、その時間の流れに対応した演技で起伏を表現しなくてはいけなくて、そこが声優の力量が試される部分でもあります。
なので、そこをちゃんと意識できていて、演技を組み立てていこうと出来ているのは今後にも期待できそうですね。
その意識の起点が、「キャラクターの人生」を汲み取れる演技をしなければいけないという所のようなので、ブレずに居てくれるだろうなと思えます。
キャラクターの生き様を演じようとしてくれる羊宮さんは、本当にいい声優さんだなって思います。
⑥.“役”に対する、“羊宮妃那”の在り方
羊宮さんのお芝居以外の仕事についてのインタビュー部分。
歌についてはMyGO!!!!!の始動あたりの話で、別のインタビューやMyGO!!!!!のしおりで話されていた内容が主ですね。
ただ、色んなものを捨てながら燈の歌に向き合っていたことを知ると、さらに重みが増してきます。
もう嫌だと、歌は自分にとって嫌いなものだという意識になりかけていたと聞いて衝撃を受けた記憶がありますが、あれだけの覚悟で臨んでいても上手くいかないとなると、それこそ逃げ場のない無力感に苛まれていたでしょうし、そう思ってしまうのも想像に難くないです。
そこまで追い詰められていても、自ら再起できたことだけでも相当すごいんですが、キッカケとなった思考が羊宮妃那を象徴していると言わざるを得ませんでした。
燈ちゃんにとって歌は居場所、逃げたいと思った時に行ける居場所なのに、自分の中では逃げたいと思うものが歌になっていて、燈を演じるうえで一番抱いてはいけない感情だったと気が付いたというのです。
すさまじいです。
ずっと一貫しているんですよね、声を捨てる覚悟を決めた時も、再起できた時も。
役を演じることを一番に考えているんです。
いろいろなものを捨てながら挑み続けボロボロになりながらも、役を演じるという軸はブレず失うこともなく、役がいてくれるからこそ、己が信念を杖と出来るんです。
覚悟や信念という言葉は羊宮さんのためにあるんじゃないかと思ってしまうくらいの揺るぎなさです。
尊敬という言葉では足りぬほどの想いになりました。
その後のキャラクターソングについての羊宮さんの解釈には、思わず唸らされました。
インタビュアーの方も言っているように、キャラクターソングと聞くと「キャラクターらしさ」に意識が向きます。
キャラクターが歌わなそうな曲の時はカラオケで歌っているのかなとか、そういう設定を考えがちです。
キャラクターの設定に沿うような都合の良さを求めてしまうのは、結構な人が経験ある事だと思います。
ですが、羊宮さんは「歌わなそう」とか「この子らしくない」というイメージを持たないようにしていると言うのです。
現実世界でも意外な一面だと思う瞬間はいっぱいあって、イメチェンしようと思えばいくらでもできるし、機嫌の良し悪しで変わることもあると。
「これはしなさそう」という固定観念でキャラクターの可能性を壊さないようにしているのだそうです。
これを見た瞬間はリアルに舌を巻きました。そりゃそうだわと。
声の両立の時もそうでしたけど、羊宮さんの例えが上手くて納得感がありますね。
現実を生きていても、イメージと違うなとか、外から見たら腑に落ちない行動とかってありますもんね。
合理的でない事なんていくらでもありますし、だからこそ意外性という価値が生まれるわけでもあって。
無意識のうちに、実在しないからと「設定」に固執してしまい、そのキャラクターの人生を尊重する意識が薄れていたのかもしれません。
ここでの羊宮さんの『その子の可能性を壊さないためにも』という言葉は本当に胸に響いてきて、だからこそ“羊宮妃那”を信じたいと思ったんだよなと、改めて感じさせられました。
羊宮さんは、キャラクターも生きている1人の人間として捉えて、尊重してくれているんです。
その子はちゃんと生きていて、その子なりの人生を歩んでいるのだと、本気で向き合ってくれているんです。
そのうえで、キャラクターと共に生きたいと、隣で一緒に人生を歩み続けているのです。
声優という存在に何を求めるのかは人それぞれですが、私にとってはこの在り方が理想に近い美しさで、一番大好きなんです。
キャラクターたちが見せてくれる物語が好きで、その命にたくさんのモノを貰ってきたから、それを愛して新たな命をもたらしてくれる声優が好きで。
だからこそ、羊宮さんがお芝居を通じてキャラクターと綴る軌跡を見届けたいと思ったんです。
そんなにも愛してくれてありがとうって、命を届けてくれてありがとうって、お返ししたいし、全力で受け止めたいです。
⑦.場面による羊宮妃那のロール
ラジオについてのインタビュー部分。
全体通して、羊宮さんが仕事をやるうえでスイッチを切り替えてるみたいな話だったんですが、ここ最近は特に感じている部分でしたね。
元から需要に対して応えようとするところがあるなぁとは思っていたんですが、番組やイベントに出演する姿を見ているとその時々で取るべき行動を取ろうとしているのが伝わってきていたんです。
テンション感もそうですし、キャラ付けみたいなのも場面によって使い分けていて、見る場所によっては違う印象を持たれそうだなと感じるくらいの違いがある時もあります。
もちろんこれは全然悪いことではないし、私個人としても微塵も悪い意味では言ってないです。というか世の中みんなそうでしょ。
むしろ、状況に応じて求められるモノを判断して動けるって良いことだと思います。
そういう、場面場面で自分のロールというものを意識しているなと思ってたので納得できたお話でした。
とは言ったものの、だからといって全部打算だと言いたいわけではないです。
そういう側面もあるし、そうじゃない側面もあるって話です。
根源的なところで言えば、マイナスを生まないためという感覚が強そうなので、あえてやっている部分はポジティブな意味合いを持っていると思います。
そのあたりはホープをどう捉えているかの話から読み取れますね。
羊宮さんとしては、幸せと優しさでいっぱい包んで、明日誰かに優しくなれるきっかけになって欲しいという想いで番組をやっているそうです。
感情の積み重ねは繋がっていくという考えのもと、優しさとあたたかさを繋げていきたいという想いの顕れのようです。
ここに至った根本というのが、生きていくうえで受けた理不尽が積もり積もって、自分が理不尽を与える存在になってしまうかもしれないと考えているからみたいです。
実際そうだろうと思いますし、ここらへんの思想は過去の経験から生まれたものなんだろうと思います。
想像力も配慮も素晴らしいですね。
羊宮さんが素敵なところって、こういういわば「きれいごと」をきれいごとで終わらせず、実際に行動で示しているところです。
ホープではリスナーからのメールひとつひとつ、それを書いた背景のところにまで想いを馳せて言葉を尽くしてくれています。
目の前にある言葉はもちろん、込められた想いを汲み取って真っすぐに向き合ってくださるので、非常に心に響いてくるんです。
多角的な角度から見つつ、羊宮さんならではの感性によるお話には色々な気付きを得られます。
そういうふうに考え方だったり想いを話すのって、結構勇気がいることだと思うので、たくさんお話してくれる事には感謝を忘れずにいたいです。
そんなラジオの仕事が楽しいかという質問の答えはなかなか興味深かったです。
客観的な物事の見方が出来ているというか、物事は捉え方次第で色んな意味を持てることに気が付いているんですよね。
それだけ分析しながら生きているということですし、漫然とした意識で生きていないことが伝わってきます。
その分析はイベントでの振る舞い方にも影響しているようです。
ちょっと前にも書きましたが、初期の頃のイベントでの羊宮さんは常に気を張りっぱなしで配慮しまくりでした。
本人的にも発言したことが何かの火種となってしまうかもしれない事が怖く、キャラクターを背負っている身でもある責任で委縮していたみたいです。
そこから、イベントにはチケ代も時間も、参加者のリソースが割かれていることを意識するようになって変わっていったそうです。
自分に向いていた視点がお客の方に向いて、お客にとっての意味を考えるようになったわけです。
最近の役割を意識した立ち回りはここから来ています。
つまるところ、自分に求められている役割は何であるのかを意識しながら、受け手の需要を満たして、少しでもプラスに思ってもらえるように立ち回っているんです。
そういう意味で羊宮さんは、羊宮妃那というロールを演じているのだと思います。
とても美しい在り方です。
で、そこに付随して番組内で見せる印象の悪さについて話を、というか釘を刺してきました。
ひと言でいえば、現場のノリと台本だよって内容でした。
ここに関してはわりとハッキリと刺してきたなぁと思いました、私を。
でも、こうして言葉にしてくれるのはありがたいことで、私としても嬉しいです。
羊宮さんがわざわざこう言うくらいですし、かなり思うところがあったということだと思います。
そこんところに関しては、まあ言い過ぎだったのは間違いないんで、私が悪いですね。
ごめんなさい。
ちょっと内容に触れると、番組では皆がプロとして自分の役割をまっとうして発言しているという話をしていて、これはその通りだと私も思ってます。
一般人がテレビのコーナーに出演した時、生意気な発言してると揶揄されてたんですが、台本通りの台詞を言ってただけだったという話を聞いたことがありますし。
ここで他の側面から見た世界の話をしようかなと思ったんですが、いいファンの日記念で削除しました。
別に悪いこと書いてるわけじゃないですけど、無い方が流れとしては綺麗かなと。
削除した部分はこれとは別の記事に移植したので、どうしても気になるならそっち見てください。おすすめはしませんが。
⑧.羊宮妃那の変わらないもの
今後どんなせいゆうになっていきたいかについてのインタビュー部分。
今回の10,000字インタビューの中で、ここでの羊宮さんの話の内容が一番グッときました。
変わらないものは、お芝居を軸にしていく声優でありたいということ
この言葉が何より嬉しかったです。
羊宮さんの虜になった瞬間が、セレプロのリリイベで聴いたセクシー魔女の演技だった私にとって、これ以上の言葉は無いです。
羊宮さんのお芝居を見れることが何よりの幸せです。
本当にありがとうって気持ちと、大好きだよって気持ちと、お芝居を軸とする声優でいてくれる限り応援してるよって気持ちに溢れました。
羊宮さんのスキル的にもマインド的にも、次世代の声優として前線に立つ素質も風格も十分にあると感じていますし、そうなって欲しいと思っているので、本人の意思がお芝居の道に向いているというのは良いことですね。
一応補足ですが、この言葉はお芝居を放り出して別の何かに専念したくないという話で、それ以外の活動にもかなり意欲的なようです。
歌って踊ることにも興味があって、羊宮ママもその姿を見たいと言っているそうなので、その方面でのアプローチはあると思います。
羊宮さんのダンスは私も見たいとは思ってるので、そこらへんも楽しみにしてます。
それでもやっぱり、お芝居という軸はぶらさないでいきたいと言ってくれることが嬉しいんです。
2.まとめ
率直な感想として、声優のインタビューとして申し分なかったですね。
羊宮さんのインタビューは大体しっかりした内容なんですが、今回は今までになかった掘り下げもあって非常に興味深い内容で素晴らしかったと思います。
羊宮さんの話す内容からは、演技の技術的な部分をしっかり捉えつつ、そこに対するアプローチも深く出来ていることが伝わってきました。
課題に対して、とことん向き合って突き詰めて考えていけるってのは明確に強みだと思います。
声の使い方もそうですし、キャラを演じることに対するマインド的な部分からも、今後の飛躍が期待できそうでワクワクしてます。
そういったところも含めて、“羊宮妃那”という物語を感じさせるインタビューでした。
言葉だけなら何とでも言えるんです。
それでも、その言葉は偽りなんかじゃない、そこにある想いは本物なんだと信じさせてくれる。
それだけの熱量を、信念を、覚悟を宿した生き様がありました。
あたたかい存在であろうと頑張り続けて、羊宮妃那として美しく在ってくれる。
そんな羊宮妃那さんが、大好きです。