優しい生活
かつては「おいしい生活」
『おいしい生活』という当時売れっ子のコピーライターが西武百貨店向けに作ったコピーが発表されたのは1982年のこと。
衣食住に限らず、文化的、精神的にも充実した生活を提案するという、当時故堤清二氏が率いたセゾングループの「生活総合産業」という方向性を体現した言葉として、社会現象になり、日本はそのあたりからバブル経済へと走っていくことになります。
今や『おいしい生活』と言ってしまったら、適当に流しながら仕事して、濡れ手に泡的生活をすることだったり、不労所得を得て酒池肉林(この言葉も古いような気がするが)のような生活をすることを意味してしまい、決して当初目論見んだようには捉えられないでしょうね。
時代背景というのは面白いもので同じ言葉でさえ、背景や文脈によって意味が異なってしまいます。セゾングループ、国土計画グループも同じ。飛ぶ鳥を落とす勢いであった、長野冬季五輪を催した頃1998年はバブルは弾けてはいたものの、長野へ新幹線を通し、様々な施設を作り使わせた意味において、これらのグループの力は侮れなかったけれど、今や綺麗さっぱりと、かつての競争相手との合従連合になってしまった訳で、昭和、平成、令和の三時代だけで考えても栄枯盛衰は様々なところで起きています。
という言葉を今回テーマにしたのは、私がnoteを始めたきっかけと同期しています。コロナパンデミック前から感じていたことは、時代が地球規模でどうやら大きく変わっていく変節点に私たちは、いるということです。日本だけの問題ではなく、本当に次世代に何を残していくのか考えなくてはならない時代に入ったと思います。でも、このnoteには大上段に構えて、何かを語るよりも、より身近に起こったことを書いていくことで、その変化や、考え方を見直すきっかけになれば良いかなと思っています。
禅語から学ぶ
優しい生活とは、人々に共感しながら、一日一日を大切に暮しながら、自然と協調できる生活を、今の私は定義付けています。日々刻々と変わる中で定義も変わっていいと思っています。
また、とても興味があるのは禅語です。コロナパンデミックになってから余計にこの切り口の鋭い禅語に惹かれるようになりました。この写真にある言葉は「歩歩清風起こる」つまり一日一日を大切に生き、歩くことで清らかな風を感じることができる、まずは前に進まなければいけないということです。そして一人一人が清らかな風を起こせれば、世の中はきっと良くなるはずです。
終わりに
この#優しい生活 で、noteを始めます。「優しい」とは何か?色々な面から考えていくきっかけができるといいかなと思います。どうぞよろしくお願いいたします。