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妖艶で可憐、大胆で繊細
今日、初めてモンティのチャルダッシュを生演奏で聴いた。
ヴァイオリンの先生が演奏会にお出になられたのだけど、今回先生はヴィオラ担当だった。
15人の女性で編成されるストリングスコンサートだったのだ。
いつでもどこでも私の先生はカッコいい(女性)
先生がプロとして演奏されているお姿を初めて観たのだけれど、何というか、両手を広げて「さあ、私のヴィオラに合わせて歌う様にお弾きなさい」そんな感じだ。
知っている曲もいくつかあったがストリングスだけでそれらの曲が演奏されるのを聴くのは今日が初めてだった。
そして。
妙に最近気になって聴いていたのがチャルダッシュだった。演目を知らなかったのでチャルダッシュがリストに載っているのを見て、少し自分の「引きの強さ」みたいな物を実感した。
その上、チャルダッシュのソリストのヴァイオリン奏者がまた凄かったのだ。
妖艶で可憐、大胆で繊細。
私はこの4つの言葉のセットが大好きだ。
一つ一つではなく、全てセットが良いのだ。
今日のソリストの演奏はまさにこれが体現されていた。
目が離せない、とはまさに…
釘付けとは、この事だ…
それほど引き込まれた。
先生には申し訳ないが、もうこのソリストの方に引き込まれて他の演奏者が全く目に入らなかった。
このソリストが奏でる音を聞き流すまいと耳も奪われてしまった。
ソリストの方はある程度年齢を積んでいらっしゃる様にお見受けしたのだが、「だからこそ」の妖艶さだった。
誘う様な表現は文字通り妖しくも煌めいている感じだった。けれども、女性ならではの可愛らしさは可憐で、ずいっと出る大胆さ、そして沢山の経験から醸し出される繊細さ。
今、このnoteを書いていて気付いた。
今までは妖艶、可憐、大胆、繊細に憧れていたけれど、そうか。私は自分でも体現したかったのだ。
けれども私にはそれを表現する術が無い。
ならばその様な人間になるしか、無いな。
おわり。