教室から消えた沖縄の歴史・仲原善忠原著『琉球の歴史』(上・下)を読む~第10章 羽地朝秀と蔡温⑥
6、都市の活性化と農村の衰退
【解説】
蔡温の改革の一つのポイントが、「農奴化」であることを仲原は鋭く指摘する。これは、識者が「王国時代の農民は奴隷だった」と表現するゆえんだ。実際、江戸時代の農民が社会的なパワーを持っていた(近年、貧農史観は否定されている)のに対し、同じ時代の琉球の農民は、欧州中世の農奴と同じ状態だった。ところが、それを薩摩の支配のせいにしたり、あるいは、琉球処分以前の時代を美化したりするために、これを隠蔽しようとする傾向がみられる。歴史を直視しないで都合よく解釈するのは、反日特亜の愚かなやり方だが、そんなことをまねていても、沖縄は決して良くならない。フィクション史観はマルクスが始めたものだが、そのウイルスが、いまだに変異し続けて沖縄を冒している。沖縄県に蔓延防止措置が必要なのは、もはやインフルエンザ以下になった武漢肺炎ではなく。こっちの害毒の方だろう。
【本文】
蔡温による農民の統制強化と都市住民への保護政策の結果、二つの重要な変化が琉球の社会に起こりました。
ひとつは、士族が服装などの社会的特権を持ったまま、農工商その他の職業に参入してきたことです。そのため商業の上では有利な地位を占めるようになりました。日本の本土では、明治以降に士族がビジネスに参入した時に「士族の商法」ということばが生まれましたが、これは失敗を意味することばです。しかし沖縄では町人(商人)が成長していない時点で、士族の商人が成長してしまったのです。はじめは体面を慮って女性が商売を始めました。男性は役人になるための勉強をして、生活の安定した役人を目指すので、大阪や江戸に生まれたような、豪商は誕生しませんでした。
もうひとつは、農村の変化です。首里、那覇が営利的になり、活気をおびて来たのに対し、農民は移動を禁じられ、職業の自由もなく、手工業もなくなり、農村は停滞を続けました。しかも租税はすべて農民にかかっていたのです。これは、ヨーロッパの農奴と同じ状態です。
【原文】
右のような農民への禁止と都会人への保護・しょうれいの結果はどうなりましょうか。二つの重要なへんかがおこります。一つは士族が社会的の特権(服装その他)をもったまま農工商その他の職業に入りこみます。そのため商業の上では有利な地位をしめます。日本では「士族の商法」といって失敗の別語ですがこゝでは平民の町人(商人)がまだ大きくならない内に士族の商人が成長します、これが目立った変化です。はじめは体面上婦人が商売をやり出し、男は役人目的の勉強をして生活の安定した役人になりますから、大阪その他のような男の大町人には成長していません。
次ぎは農村のことです。都会が営利的になり活気をおびて来たのに対し農民は移転も出来ず職業の自由もなく手工業もなくなり活気のない足ぶみをつゞけます。しかも租税はすべて農民にかかっています。