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小学校教科書が歪めた国史⑧ 江戸時代~時代遅れの「貧農史観」にいまだに固執する罪

 江戸時代における貧農史観の見直しが学界では10年以上までに行われていますが、教科書にはなかなか反映されません。マルクス主義の陳腐な歴史観に洗脳されている執筆者は、それを否定するような史実が許せないのでしょう。近現代史に顕著なその傾向は、江戸時代の記述でも、子供たちをミスリードしています。
 そもそも、武士は農民の収穫に頼っていました。だから農民を死ぬまで追いつめるはずなどありません。だから農民は、それなりに豊かでないと社会が成り立つはずがないのです。
 元和8(1622)年の小倉藩の統計によれば、農民87.3%に対して、武士は53%、町人、その他が7.4%です。つまり、米をすべて武士や町人が消費しつくすことなど不可能であって、農民が米を食べていなかったとなどというのは、そうあってほしいと考える執筆者による空想の産物なのです。
 貧農史観を象徴する史料に「慶安の御触書」があります。幕府が農民に勤労を勧め、贅沢をすることを禁じたものですが、よく考えると、食うや食わずの農民が奢侈に走ったり、酒色におぼれたりすることなどありえません。この命令は、そういう農民もいたという証拠なのです。
 さて教科書は、「苦しんでいる農民」が「集団でおしかけ」(教育出版)たことを喜々として書いています。執筆者が大好きな「一揆」と「打ちこわし」です。仮に生活苦であっても、秩序を乱すことを称賛する教科書には疑問を禁じ得ません。これもまた黴臭い革命思想へのノスタルジーなのでしょう。また、農民が一揆をおこせば、大名は責任を取らされて改易になることもありました。だから大名は領内の農民を暴発させないように気を配ることも必要でした。そんな事実を教科書執筆者はまるで無視しています。
 東京書籍は、「一揆や打ちこわしは、幕府や藩をたおすほどの勢いにはなりませんでしたが、人々は、幕府や藩に解決の力がなくなってきたことに気づくようになりました」と「民衆」にあたかも政治的な意識が芽生えたかのように書いています。しかし一揆や打ちこわしは、生活苦による場当たり的なものにすぎません。それが何か大きな運動になったというような事実はどこを探してもありません。
 さて、学習指導要領が指示している「鎖国」についてはどうでしょうか。
 教科書は禁教政策について詳しく書いていますが、海禁政策については書いていません。それはともかく、「日本人が外国に行くことを禁止し、貿易を制限する鎖国の状態が、200年以上も続きました」(大阪書籍)とだけ書いても、いかなる影響を我が国に与えたのかさっぱりわかりません。教科書ではおおむね鎖国を否定的にとらえています。わが国が西洋より劣っていると思っている執筆者は、外国との交渉を断つことによって、「西欧文明に取り残された」とだけ教えたいのです。しかし、鎖国には評価すべき側面もあります。
 たとえばその間、関孝和は「和算」を確立し、西洋数学の影響を受けすにそれと同じレベルに達していました。また精密な多色刷り版画である浮世絵はわが国独自の芸術ですが、これとて、外国に門戸を閉ざしていたからこそ発達したとも考えられます。そして何よりも、西欧列強の侵略から、わが国の存立を守ることができたのは、特筆すべきことです。
 マルクス主義的歴史観で見れば、江戸時代は暗黒時代そのものです。しかし、厳しい身分制度の中でも、農民たちは娯楽を楽しみ、禁を破って商品作物を栽培し、検田の役人が知らない隠し田からの収穫を得て、したたかに生きていたのです。200年以上も戦乱がなく、外国の侵略を受けなかった江戸時代は、実はとても明るい時代だったのです。
 旧態依然とした貧農史観の切り口を打破することが教科書には求められます。かつて人気があったテレビ時代劇の主人公である徳川吉宗(『暴れん坊将将軍』)、大岡忠相(「大岡越前」)、長谷川平蔵(『鬼平犯科帳』)、遠山景元(『遠山の金さん』)はそれぞれ、享保、寛政、天保という、いわゆる三大改革(ちなみに、田沼意次の「改革」を否定的に見て改革の列に食わないのも、教科書にみられる陳腐な傾向です)の時代に活躍した実在の人物です。彼らを軸にストーリーを展開するような教科書も面白いのではないでしょうか。

※各社教科書の記述は、平成12(2000)年度版によります。
連載第100回/平成12年5月3日掲載

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