「ニューオーリンズ紀行2007」の巻(その1)
「到着地が近づいたので、シートベルトを締め、シートのリクライニングを元に戻せ」と放送があった。
LCCの元祖、サウスウエスト航空のボーイング737。私の席のリクライニング装置は壊れていて、背中に体重をかけると倒れてしまう。いやいや上体を起こして、窓の外を見ると、見事な湿地帯が広がっていた。
ここをハリケーン「カトリーナ」が通過し、ノアの洪水の時のように、一面水で覆ってしまったのだ。アムトラックの列車が、湿地帯を貫くように引かれた高架を走っていた。その光景が、まどろみから覚めた直後だったからなのか、脳に突き刺さるような印象を受け、一気に目が覚めた。
2007年4月29日、目的地はニューオーリンズ。この町がルイジアナ州にあり、フランスの強い香りを残していることは知っていたのだが、恥ずかしながら、「New Orleans」が「新オルレアン」だったと気づいたのは、アメリカに引っ越してからだった。
24年ぶりの訪問は仕事、ではあるのだが、自分が行かなくても、たぶん誰も困らないという任務であった。しかし、ハリケーン「カトリーナ」が過ぎ去った後の「欲望という名の電車」や、ミシシッピ川とバーボンストリートをもう一度見たかったので、のこのこやってきた。朝6時の飛行機に間に合うために、家を3時に出た。久しぶりの徹夜だ。2時間という中途半端な時差がつらい。
湿地帯を眺めていると、まもなく懐かしのルイ・アームストロング空港到着。今回の目的であるコンベンションの協賛会社から、亜熱帯投げ出された乗客へ冷えた水のサービスがあった。蒸し暑さは覚悟していた程ではなかったが、有難い心遣いだ。
白タクの誘いをさりげなく無視して、正規のタクシーに乗り込んだのは、遅い午後のことだった。
(この項続く)
拙ブログ『無闇にアメリカに来てはいけない』より「新奥爾良紀行(その1)」(2007年05月12日 12:15付)に加筆修正した。