教室から消えた沖縄の歴史・仲原善忠原著『琉球の歴史』(上・下)を読む~第9章 島津の進入と大島・沖繩⑥
6.明清の属国となった弊害
【解説】
仲原は「形式的だった」と言い訳をしていますが、この形式が重要だったのです。日本がこの形式的ではあっても、屈辱的で、将来に禍根を残す冊封制度から抜け出したのは、聖徳太子の時代でした。貿易の利や文化輸入といった側面はあっても、国家としての独自性がなくなることを本土では古代にもう察知していたのでしょう。
誰も忘れているでしょうが、上皇陛下が平成4年に訪中された際に、中国共産党政府からのハンコのプレゼントを謝絶されたことがありました。支那からのハンコのプレゼントは、象徴的ではあっても、支配権の認可という意味があるからだと思われます。こういうことは、形式的ではあっても、非常に重要なことなのです。それを、沖縄に住んでいた日本人の子孫は、軽んじてしまったのです。
形式的だという儀礼の中には、仮にも国王と呼ばれる人間が、皇帝からの冊封使を「三跪九叩頭」で迎えるのような、屈辱的なものも含まれていました。「三跪九叩頭」とは、「跪(ひざまずけ)!」の号令でひざまずいた後、号令に合わせて3回、手を地面につけ、額を地面に打ち付けるのです。ごつんと音が聞こえ、額から血がにじむようにしなければなりません。この、世界で最も屈辱的だという拝礼を、あろうことが沖縄県は、首里城で行われていた「首里城祭り」で再現させているのです。米軍には重箱の隅をつつくような文句を言いながら、領海侵犯にはだんまりの県知事をはじめ、主催者側の心根がわかるというものです。
もちろん、琉球にとって朝貢貿易にはサバイバルという意味もあったでしょう。しかし、陸続きの朝鮮や越南(ヴェトナム)と違って、仮に朝貢をやめても、島国である以上侵略される可能性は低かったはずです。この条件は本土と同じです。だから、貿易に頼らず、産業の振興に努めるという方図もあったと思います。実際日本の本土では、894年に遣唐使を廃止した後は、独自の文化を発展させています。琉球もそういう道があったのではないでしょうか。
たとえ、朝貢は形式的で、金もうけのためだと言っても、属国に身を落としたことが、その後の沖縄の運命を変えてしまったとは言いすぎでしょうか。筆者にはそうは思えません。日本と、琉球や他の東アジア諸国と日本とのその後の歴史の根本的な大きな違いは、実はそこにあったと思うのです。
仲原もこれがまずかったと指摘はしています。だから前半の言い訳が少し矛盾しているように読めるので、少し厳しい目に加筆しました。
【本文】
しかしその特権には大きな犠牲が払われました。それは、形式的にとはいえ、支那の臣下となったということです。諸外国は、琉球を明清の属国だと思うでしょう。実際、皇帝の側はそのように扱い、そのように思っていました。沖縄の人の中にも、明からの移民の子孫を中心に、琉球は属国だと考えていた人が少くありませんでした。だから明治のはじめに、日本が国際法を守って所属をはっきりさせたときに紛争がありました。
実際には臣下という仮面をかぶって、有利な貿易を行ったというだけのことで、皇帝から何かの命令を受けることもかく、租税を取られたこともなく、ただ儀礼だけは守って、皇帝の使いに土下座をして即位の儀式をやってもらい、服属のしるしとして年号と暦を使っていたということです。
朝鮮や東南アジア諸国との貿易は、対等にやっていたから、朝貢貿易のような利益はなかったと思います。すべて貿易の為、経済的な利益の為だったのです。
島津は琉球を征服した後、この貿易システムを利用しようとしました。国王を許し、王国の名を残して従来通りの貿易をさせました。輸入品については島津が命じて品目を指定し、長崎などでこれを売り、大きな利益をあげたのです。
琉球国王がプライドを捨てたこと、そして、琉球も薩摩も経済的利益だけを考えたことが、今日に至るまで、悪い影響を残すことになってしまったのです。
しかしその特権は大きなぎせいを払ってえたものです。何かというと向うの臣下のような風をしていることです。それで中国のほんとの属国であったかのように外の国から考えられたり、中国でも又そういうことを考え、明治のはじめにはごたごたをおこし、沖繩人の中にもそう考えた人が少くありませんでした。
臣下という仮面をかぶって、有利な貿易をやったということです。
中国との関係は右のとおりで、向うから何かの命令を受けることもかく租税を取られたこともなく、たゞ、王の儀式をやってもらい、年号と暦をつかっていただけのことです。
外の国、たとえば朝鮮や南方諸国との貿易は対等にやっているから中国のような利益はなかったでしょう。
島津はこれを利用する目的もあるので、王国の名をのこしておいて貿易をやらし、品物はすべて島津の命令どおりのものを買わせ、長崎方面で有利にこれを売り利益をあげたのです。