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教室から消えた沖縄の歴史・仲原善忠原著『琉球の歴史』(上・下)を読む~プロローグ

 部屋の整理をしていた現任校の事務局長が「これは貴重なんじゃないですか」と渡してくれた本書。古い本だが状態は良い。古本市場にも流通はしているようだ。価値があるかどうかは別にして、その内容には興味をそそられた。もともと筆者は高校の歴史の教師だし、歴史教育内容を研究してきた。沖縄の「本当の郷土史」には興味があった。あっという間に読み終えた。
 仲原善忠という人物を知らなかったので、まぁ、例によって被害者意識満載のものなのかと思っていたのだが、意外にもそうではなかった。
 所有者であった人の名前が書かれてあり、実在する中学校の校名と学年も書き添えられている。昭和40年代後半に公立中学校で副読本として使われていたもののようだ。奥付によると初版が1952(昭和27)年で、1973(昭和48)年に第22版として発刊されたもの。まぁ、ベストセラーかどうかは別にして、ロングセラーであることは間違いない。長年にわたって、教室で使われてきたものなのだろう。
 今でも版を改めて使っているのかと思い、現在の教え子(最近高校を卒業した専門学生)に聞いたのだが、本書は知らないし、郷土史は習ったことがないというのだ。筆者は沖縄に来て1年間だけ、中学校に勤めたこともあるのだが、そういえば社会の授業で、郷土史の副読本はないようだった。
 これは、筆者にとっては意外なことだった。
 筆者は大阪市出身で、府下の公立学校に通ったが、郷土史をちゃんと習った記憶はやはりない。でも沖縄は別だろうと思っていたのだが、今はそうでもないようだ。少なくとも、米軍統治時代から復帰直後の昭和40年代までは、このような本を使ってしっかりと郷土史を教えていたのに、なぜ消えてしまったのだろうか。
 一般的に言って沖縄県民は、琉球が明治になるまでは同じ民族でも違う国だったから、郷土史にはそれなりに思い入れがあるのはもちろんで、ローカルテレビ局で王国時代の時代劇や、現代ものでも沖縄でしか知られていない偉人のドラマや映画を見かける。メディアもそのセンでしか制作したり、報じたりしないようだ。
 ところがそんな沖縄の学校では今日、郷土史が消えたということなのだ。
 いったいそれはなぜなのだろうか。
 筆者が邪推するのは、この本が正直すぎるからなのだと思う。
 被害者意識をほとんど表に出さず、公平で冷静に沖縄の歴史を語るこの本を使って正直に歴史を教えることが、沖教組や沖縄左翼メディアにとって都合が悪いということではなかろうか。これは、韓国人が、冷静に歴史的事実をぶつけられると、顔を真っ赤にして怒り出す構造とよく似ている。反日思想は理不尽な前提に立っているから真実には弱いのだ。
 「沖縄は王国として栄えていたのに、薩摩に蹂躙され、維新後は日本に強引に編入され、収奪された上に戦争の犠牲になり、戦後はアメリカに支配され、復帰後も基地に心を痛めている」という皮相的な被害者史観が崩れてしまうと、ビジネスにならないのだ。そして、被害者史観がなくなれば、それを土台にしている昨今の沖縄県政のあり方にも、疑問を抱かれてしまう。それを恐れているからではないだろうか。
 だからこの本のように、王国政治のダメだったところ、支那に頼る事大主義者が人々を苦しめたこと、そういった歴史の評価を公平に書いたものは使えない、ということになったのではないだろうか。実際、極左と批判される琉球新報社が発刊している「沖縄手帳」の歴史コラムには、仲原が酷評している人物を持ち上げて紹介している。
 本当はそういった負の歴史を直視して、沖縄の未来を語らねばならないはずだ。それが、歴史から学ぶということなのだ。

 原著者の仲原善忠(なかはら・ぜんちゅう、1890〜1964年)は、沖縄県立師範学校、広島高等師範学校を卒業した教育者だ。
 静岡師範学校、青島(チンタオ)中学校に勤務した後、私立成城第二中学校の教諭を経て、成城高等学校(現成城大学)教授となり、経営にも参画した。
 戦後は、沖縄人連盟会長、沖縄文化協会会長などを務めた沖縄の偉人とも言うべき人物だ。
 琉球大学には仲原のコレクション「仲原善忠文庫」がある。沖縄タイムス社からは『仲原善忠全集』全4巻(1978年)が刊行されている。もともと地歴の先生であった仲原が、晩年にこの郷土史の教科書を執筆したのは、まさに適任だった。しかし、現在の沖縄県民は、この偉人を忘却してしまっている。

 このブログの連載記事は、筆者が『琉球の歴史』上・下巻から文字を起こし、加筆修正した上で再編して、原文とともに紹介するものである。
 沖縄出身の歴史の大先生が書いたものだから、誤字脱字や事実誤認以外については、できるだけ手を入れないで復刻し、紹介したいと最初は思った。しかし、それだけでは教材としては不適切な部分が多かった。もしかしたら口述筆記だったからなのか、文の順序がおかしかったり、整理できていないところが多々あるのだ。そこで、筆者の知る限りの、その後の歴史研究の成果を反映させて、この作品のコンセプトを現代に活かしたいと思い、大幅に手を入れて編集に取り掛かった。筆者は教壇に立つ前、自分のキャリアを雑誌編集者として始めているし、手前味噌ながら、教育関連の書籍の共著もある。
 筆者は「編著者」として、原文ももちろんそのまま紹介するが、歴史教育内容を研究した成果を踏まえ、積極的に手を入れたたものをアップする。
 筆者は近現代史が専門なので、それ以前の個所の当否はあろうかと思う。読者からのご指摘をいただければ幸いである。
 その他の編集方針は、以下のとおりである。尚、元の文を「原文」、編集後のものを「本文」とする。

 ①原文に漢字その他、表記に揺らぎがある部分は、本文ではできるだけ統一する。
 ②原文の文の順序などを適宜入れ替えることで、本文は通読しやすくする。
 ③原文に一部混じる旧字や歴史的仮名遣いは、本文では改める。
 ④原文は縦書きなので、ブログ用に横書きにするに当たり、本文では漢数字をアラビア数字にする、繰り返し記号を変更するなど、横書きに適応させる。
 ⑤原文の明らかな誤字脱字については、本文では修正し、原文では(ママ)としてそのまま紹介する。
 ⑥各回に、当該箇所の解説を置く。

  以上である。

 さぁ、沖縄県人さえ教えられなくなった、沖縄県の郷土史を紐解き、学んでいこう。沖縄と日本の真の幸福のために。

 令和3年10月

龍泉寺 怪童


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