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「水道橋博士のメルマ旬報」第十五回

僕がお世話になっているパリの画廊から、「DDESSINPARISというアートフェアに参加します。」という連絡が来た。

そのイベントは、10年前から始まった展覧会で、今年は12の画廊が、それぞれ選出した様々な形態のドローイングのアーティストを紹介する。そのアーティストの一人に、僕が初めて展覧会をした画廊のオーナーのセシルが、僕を選んでくれたのだ。しかし、この展覧会には高額な出店料が発生するので、パリを中心としたイルドフランス地域圏における僕の絵の売買は必ず画廊を介して欲しいという条件を提示された。僕としては、契約書こそ結ばなくても、どこかの画廊で絵の販売が出来たらと思っていたので、お願いされるまでもなく、その条件を快諾した。そもそも、初めて展覧会をさせてもらった後も、売れ残った絵は画廊でストックしてもらい、継続して販売してくれていたので、なんとなくなことを言葉にして明確にしたという感じだ。

今から2年前のコロナ禍のロックダウン中に1000枚描くと決めて描き始めた僕は、まさかその2年後に、大きなアートフェアに自分が選ばれて参加出来るなんて、微塵も思っていなかった。思えるわけもない。「凄いだろう」って、僕は2年前の僕に自慢したい。そして、同時に2年前の僕に、「絵を描き始めてくれてありがとう」って感謝してる。

5月20日から22日の3日間で開催されるDDESSINPARIS。「オープニングパーティーを前日の夜に開催するので、来られる人は参加するように」とセシルに言われたので、お店のオーナーに言って、特別に夜の営業を休ませてもらった。

オープニングパーティー当日、散髪して、身なりを小綺麗にして会場に向かった僕は本当に夢見心地で、こんな経験はしたことがなかったので、興奮と期待が身体から溢れていたと思う。会場の入り口には、黒いスーツを着たセキュリティーの人が立っていて、事前にセシルからメールでもらっていたVIP用の招待状を見せた。「なんかアーティストっぽいぞ」って内心思いながら、しれっと涼しげな顔で会場に入った。会場には、笑ってしまうほど、いかにもアートフェアにいそうな装いの人が大勢いた。とにかく個性的な人が多い。僕が今まで経験して来た世界にはいなかった人たちがひしめき合っていた。オープニングパーティーには、画廊のオーナーや絵のコレクター、画家などが主にいたのだろうが、そういう人たちは心もお金も余裕があるように見える。まあ、実際、そうでなければ絵を見て買うという境地にならない気がする。

展覧会にある作品は、全部が全部素晴らしいかといえば、そうではなかった。それはもちろん、「僕にとっては」ということだけど、正直、僕の作品が場違いだとは思わなかった。
絵の大きさにもよるが、8000€もするような金額が付けられた絵もあり、それがもう売却済みになっていたり、本当に映画のような世界で、夢と現実がごちゃごちゃに混ざった空間に自分がいる感覚になった。その8000€の絵が展示されているすぐ近くに金額は雲泥の差だけど僕の絵が展示されている。僕の絵が、この会場に僕を連れて来てくれたのだと思ったら、僕の絵にありがとうと思えた。

オープニングパーティーには、僕の絵のファンと公言してくれていて、すでに絵を4枚買ってくれているフランス南西部に住んでるフランス人のマルチーヌが、なんと娘さんを連れて駆けつけてくれたのだ。今年の2月にパリの画廊での展覧会にも来てくれたので、それからあまり経っていないが、再会できたことは嬉しかった。娘さんといっても、33歳の大人だが、娘さんにも「あなたのお母さんが、絵を描き始めた時にすぐに絵を購入してくれて、僕に絵を描くモチベーションをくれた」と感謝の気持ちを話した。
それから、以前、展覧会が終わった後に、画廊で僕の絵を3枚買ってくれたアートコレクターであるフランス人男性と実際に会い話すことが出来た。彼は額なしで絵だけを購入したので、自分で額を選んで家に飾っていると言い、僕にその飾ってある部屋の壁の写真を見せてくれた。本当に面白い体験だ。さらにその場で、僕の絵を2枚、購入してくれた。直接、お礼を言えたのも良かった。

絵のコレクターという人と直接話したのも初めてだったのだが、彼のようにそのアーティストが有名無名に限らず、自分の価値観で良いと思えるものを選び、購入するという行為が、とても素敵に思えた。こういう人がどんどん増えたら、アーティストにとっては良いと思うのだけど、自分の価値観だけで行動するのは難しい。ただ、彼を見ていると、実際に何かで自分の好きな作品を探し、実際に足を運び、見て、購入して、部屋に飾るという一連の行動が、本当に楽しそうに思えた。

いずれ、僕がどこかの国の美術館で展覧会ができることになったら、彼にも連絡したい。彼の家にある僕の絵を借りられたら、それが彼に対しての僕の恩返しになるかなあ、などと夢見たいなことを思った。

絵が僕にもたらしてくれることには、本当に驚きの連続だ。

今年は、2月にパリで初めての展覧会を開催して、5月にDDESSINPARISに参加出来て、8月には東京の銀座で展覧会をすることになっているが、さらにそこに加えて、5月にアメリカのワシントンD,Cで展覧会をすることになった。

その経緯は、僕がこのメルマ旬報の連載を始めるきっかけと同様、水道橋博士とclubhouseで直接話したことに類似している。いつも通り、絵の宣伝のために、話せそうなclubhouseの部屋を探していたら、岐阜県民会という部屋があった。岐阜県には行ったことがないが、白川郷も含め、綺麗な風景があって、いつか訪れて見たいとは思っていたので、とりあえずなんとなくその部屋に入ってみた。

その部屋にはもちろん、岐阜県民、もしくは岐阜県出身の方しかいないので、さすがに絵の宣伝をするのは場違いだと思ったのだが、挙手したら発言できる場所にあげてもらえたので、岐阜県に興味がある旨を話し始めた。
その話の流れで、僕が何処で何をしているかの簡単な自己紹介をしてる中で、実は絵を描いていて、その絵をほぼ毎日Instagramに投稿していると言ったら、メリカのワシントンD.C在住のTomomiさん(宮島智美)という方が僕のの絵を見てくれて、「とても良いですね、きっと売れますね」と言ってくれたのだ。僕はお礼を言いつつ、「Tomomiさんは何をしてる人か」と聞いたら、「岐阜県の名産である美濃焼の陶器や着物を扱った、日本の伝統工芸や職人のしごとを紹介するお店(土岐や))のオーナーだ」と言い、「もしよければそのお店で絵の展覧会をしないか」と言ってくれたのだ。水道橋博士と同じように、10分も話さないうちに何処の馬の骨かわからない僕に、展覧会の打診をしてくれたのだ。

僕の絵の力に改めて驚かされるとともに、描き続けてきたからこその結果なのだと思った。
そこから、何度かメールや電話で、展覧会の内容や日時を決めて、5月に正式に展覧会をすることになった。しかも展覧会を終えた後も、継続して絵の販売をさせてもらえることになったのだ。

オープニングパーティーには、仕事もあり行くことはできないのだが、いずれTomomiさんのお店に行けたらと思う。アメリカ人が僕の絵をどう感じて、見てくれるのか、とても興味がある。そんな機会を与えてくれたTomomiさんには感謝しかない。僕としては、もちろん絵がたくさん売れることで、彼女に還元出来たらと思う。

そして、さらにさらに、僕がその昔在籍していた劇団のスタッフだったイイダクリコさんから絵の仕事の依頼がきた。彼女は今、吉祥寺にあるSREAMYという焼き菓子屋のオーナーで、そのお店で10年近く使っていたショップカードの在庫がなくなり、以前そのカードのデザインを担当していた人とも縁が切れていて、以前から気になっていた僕の絵で新しいショップカードを作りたいとうことだった。

僕は絵に関する仕事なら、「できないかもしれないけれど、なんでも挑戦したい」と常日頃思っているので、迷うことなくその依頼を受けることにした。人から依頼を受ける絵の仕事は、普段自分が描かない絵や、思いつかないアイデアに出会えるチャンスでもある。依頼者のニーズに応えるという制約ができることで、より自由に絵が描ける場合も多々あって、逆に何の制約もない自由なことが、人によってはとても不自由なことである場合がある。面白い。

そういうことも、色々描いてきてわかったし、やはり日々描くことで、発見したり、気付けたり、微妙な変化も感じることができる。

とにかく日々絵を描くだけだ。

それが、今後、僕を体験したことない世界に、また連れて行ってくれるのだから。

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