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「水道橋博士のメルマ旬報」第十九回

笠井誠一さんという画家がいる。その笠井誠一さんの娘さんの計らいで、笠井さんご本人のアトリエ兼ご自宅にお邪魔して、お話を伺う機会を設けてもらった。

そもそも、笠井さんの娘さんと僕はSNSで出逢い、僕の絵を気に入ってもらったことがきっかけで、知り合いになった。それからメッセージでやりとりしていく中で、銀座のギャラリーゴトウでの展覧会のお知らせをした時に、彼女のお父様が著名な画家であることを教えてもらった。僕は無知過ぎて、笠井誠一さんのことを存じ上げていなかったのだが、作品を含めて色々と調べて行ったら、とんでもない画家ということを知った。そんなすごい画家である笠井さんに、娘さんは僕のInstagramにある絵を見せたそうだ。その時の笠井さんの感想が「描けてるねえ。」だったと後から聞いた。

この一言をどう解釈するかは、人によると思うのだが、僕はとても嬉しかった。「良い絵だね」とか「上手いね」よりも、遥かによく褒めてもらえたと思った。そんなこともあり、笠井さんに直接会ってお話をさせてもらい、可能ならアトリエも見せてもらいたいと娘さんにお願いしてみた。正直、絵も学校で勉強していないし、絵を描き始めてまだ2年ぐらいの画家でもなんでもない見ず知らずの僕なんかに、わざわざ貴重な時間を割いてくれるだろうか?とも思ったが、ありがたいことに笠井さんは快諾してくれたのだ。

1932年生まれの笠井さんは今年で90歳。今も色々な画廊や絵の展覧会に足を運び、様々な作品を見て回っている。作品を見るということ、それがいかに重要か、きっと画家を志した時からずっと、普通にしてきた行動なのだろうが、笠井さんを見てると、本当にそれが心に突き刺さる。笠井さんの探究心は未だに尽きないのだろうし、少しでももっと良い絵が描きたいって、きっと思っているのだと思う。そんな笠井さんだからなのだろうが、僕と話をする前に僕の絵を直接見ておきたいという理由で、わざわざ僕の展覧会に足を運び、絵を見てくれたそうなのだ。自分の身に置き換えて考えてみる。僕が笠井さんと同じ年齢になった時、笠井さんと同じような行動や考えができるだろうか。きっと無理だ。

「絵を見てくれたそうなのだ」と書いたのは、せっかく画廊までいらしてくださった笠井さんに、僕は直接お目にかかることができなかったからだ。実は東京滞在中に、僕はコロナウィルスの濃厚接触者になってしまい、PCR検査の結果が出るまで、2日間画廊に行けなかった。その僕が不在の間に笠井さんは画廊にいらしてくれたので、僕は笠井さんとの面会のチャンスを逃してしまった。そんな予期せぬアクシデントもあったが、PCR検査結果は陰性。無事に画廊にも復帰できたし、展覧会終了後、約束の日に、予定通り笠井さんのご自宅にお邪魔することができた。

笠井さんのアトリエ兼ご自宅は、高尾山の近くにあった。閑静な住宅街で、道が広く、とても気持ちの良い地区だった。笠井さんは、僕との面会前に、「二人きりで話すから、部屋に入って来ないように」と娘さんにおっしゃっていたようで、僕は2時間ほど笠井さんと二人きりで、みっちり絵のことについて語らうことができた。

僕は笠井さんに色々なことを質問した。それに対して笠井さんは、誠実に、淡々と、丁寧に答えてくれた。とにかく博識で話が面白いし、何より考えが柔軟だ。なんて贅沢な時間を過ごしているのだろうかと思いながら、僕は笠井さんと話していた。

その中で、僕はこの2年間の絵を描くことで、色々な学びや気付きがあったことを話した。笠井さんは、それは当然で、そもそも、そういう学びのために、絵や音楽や詩があるのだとおっしゃっていた。僕が今までなんとなく思ったり感じていたことを、笠井さんはとても明快に言語化してくれた。それから、アドバイスというか、僕の絵に関して、「今の感じで絵を描き続けて行けば良いのでは」とおっしゃってくださった。「料理人として働き、できる時間で絵に取り組めば良いと思う」と言ってくれた。

楽しい時間はあっという間に終わってしまう。2時間なんてあっという間だ。最後に、屋根裏にあるアトリエを見せてもらった。画家のアトリエを訪れるのは生まれて初めてだった。そこにはあるのは、乱雑に置かれたたくさんの絵の道具、描きかけの絵がのせられたイーゼル、数々のスケッチ、絵の題材となる造花や置物。なんとも言えない空気が漂っていた。これが画家の仕事場だ。笠井さんが今までずっと絵と向き合ってきた場所。背筋がピンとなるような、張り詰めた空気がそこにはあった。好きなことは生業にしないほうが良いと聞いたことがある。しかし、好きなことを生業にしてる人はカッコ良い。覚悟が違うというか、笠井さんのアトリエを見て、そう思った。

帰り際に、笠井さんは「あなたは、きっと興味があると思うから、よかったら読んでみてください」と、ご自身の著書『フランス留学記』をくださった。帰り道の電車でも簡単に読めると言われたが、じっくりと集中して読みたかったので、フランスに戻る飛行機の中で読んだ。

そこに書かれていた内容は、本当にとても興味深い内容だった。本に登場するのは、今から63年前にフランス政府給費留学生として船で渡仏した笠井さん。その笠井さんご自身に、数日前に会って僕は話をした。そんなこともあり、笠井さんがどのような人生を歩み、今に至ったのかを、過去に戻って一緒に振り返っているような気持ちになった。青年の笠井さんに思いを馳せながら、震える心で本を読んだ。こんな不思議な感覚で本を読んだのは初めてだった。本の中に出てくる笠井さんが過ごしたパリや、旅行で訪れた近隣諸国は、偶然にも僕が行った場所ばかりで、時を経て僕は笠井さんと同じ場所に行き、同じ景色を見たのだと思ったら、とても嬉しかった。

僕らが想像もできないような過酷な状況でフランスに渡り、今のように簡単に情報を得ることができない環境で、様々な知恵を働かせて自ら行動して得た経験は、きっとその後の人生の財産になったことだろう。便利さという点では、今と比較して格段に劣っていたであろう青年の笠井さんが過ごした時代を、僕はとても羨ましく思った。何をするにせよ、ゴールまでの過程が今と昔では、何もかも違うのだ。今の笠井さんを形成している核となる部分、それは今の便利な時代では獲得できないものなのではないのだろうか。

今後、僕が絵でやっていけるかどうかなんて正直わからない。しかし、少なくとも絵を介して、笠井さんに出逢えたことは、もうそれだけで絵を描いていて良かったと思える。絵を描き続けて行く先には、これからもまた僕を驚かせてくれることが起きるかもしれない。起きないかもしれない。でも起きたらいい。そんなことに少し期待しつつ、日々過ごしていこうと思う。

この「メルマ旬報」は今月で幕を閉じることになった。編集長の水道橋博士さんも絵を介して出逢えた人の一人だ。最後に、この場を借りて、こんな僕にチャンスを与えてくれた水道橋博士と、そしていつも原稿のやりとりでお世話になった副編集長の原カントくんにお礼を申し上げたい。僕に楽しい時間をくださったお二人には、感謝の気持ちでいっぱいだ。本当にありがとうございました。
「僕らの住む この世界には旅に出る理由があり 誰も皆 手を降ってはしばし別れる」
A très bientôt !

★追伸
2024年12月16日〜25日 
銀座ギャラリーゴトウ
で個展をするのですが、その会期中に笠井誠一さんとトークイベントをすることになりました。
是非来て、笠井誠一さんの言葉を直接聴いて頂けたらと思います。(日時未定)

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