3.日常への復帰
弟がいなくなった世界での生活が再開しました。決してそう思いたくないですが、悲しみは少しずつ薄れていきます。葬儀を終え、日常に戻れば新しい職場。しかし、すぐにモチベーションを取り戻すことはできませんでした。僕は自分自身の人生についても、改めて考え直していました。弟を死なせた兄に、教師をする資格があるのだろうか、と。
陳腐な発想ですが、もう一度大学に戻って精神科医や心理カウンセラーになるという新たな道が、このときはひどく魅力的に見えました。親にも相談しましたが、とくにそれをとめる素ぶりはありませんでした。しかし、職場に相談すると今辞められるのは困るとのこと。当たり前です。結局教師を続ける選択をしました。根性のない兄だと思います。
最初の年はテニス部でしたが、翌年に女子バレーボール部の顧問となりました。前の学校でも指導はしていたし、それなりに自信もありました。これ以後、僕の情熱の少なくとも半分以上は、このバレーボールに費やすことになります。結果はなかなか出ませんでしたが、わがままな僕の指導に、生徒は一生懸命、素直についてくれました。選手たちは、県内でも一番真剣に毎日の練習に取り組んだと確信を持っています。
部員はいつも6人ギリギリです。それどころか6人足りないことも決して珍しくありません。練習試合には僕が混じったり、引退した3年生に出てもらったり、部員以外の高校生に頼んだり、あの手この手で人を集めます。3年生がいなくなればすぐ人手不足になり、5人で基礎的な練習をコツコツと繰り返しながら、春に新入生が入ってくれるのをひたすら待つ。それが基本でした。新入生が入ったら即スタメンです。練習や試合の準備は先輩の仕事で、新入生が一番のびのびと自分の持ち味を発揮して試合で活躍をする。うちのチームのルールです。そんな状態でも地区大会では半分くらい優勝しましたし、県大会でもベスト8に残りました。もちろんコートの半分は1年生です。組み合わせと監督次第ではもっと上に行ける力をもっていました。
選手は高校ではバレーと勉強漬けの生活です。練習自体は人数も少ないので強度がかなり高く、厳しい叱咤激励もします。それでも、高校卒業後に、大学でバレーを続けようという選手も多く、そんなにバレーボールのことは嫌いになっていないようです。これは僕にとって一番嬉しいことです。わずかな教え子の中からプロになる選手も出ました。いつもくじけず笑顔で困難に立ち向かう彼女たちは、皆が僕の誇りです。
保護者の方もみな熱心に部活動を支えてくれます。時には意見のすれ違いや僕自身の失敗もありますが、あたたかく見守ってくださるやさしさに、親になってようやく少しだけ共感できる気がします。選手に対する行き過ぎた言動もあったと思いますが、耐えてくださったことに本当に感謝です。
2014年の秋には結婚も経験しました。バレーボールの大好きな妻で、バレーについても色々と相談に乗ってくれます。残りものの私と結婚してくれ、妻にも感謝しかありません。しかしその1年後に僕はがんと診断されます。とんでもない貧乏くじを引かせてしまい、どう謝っていいかわかりません。
弟と別れても、バレーに熱中したこの期間は本当に充実した毎日でした。振り返ると、周囲の方達と過ごす当たり前の生活のありがたさに改めて気づきます。選手ともいろんな話をしましたし、保護者とも、そして自分の家族とも。自分が信じたことを貫こうと周りの人に我慢を強いたことも多かったと思います。ただただ感謝です。