12.2度目の復帰と再々発

 約半年の治療を終え、3月末に退院。残り時間がどれだけあるかわからない僕は焦っており、4月からの職場復帰を願い出ました。職場ではかなり悩まれたようです。僕はこの時点で左脚もなく身体障碍者になっていました。きっと特別な配慮が必要だったのだと思います。
   僕は担任は外れましたし、部活もなしとなりました。抗議はしましたが、覆りません。間違った選択でしょうが、学校に内緒で隠れて部活に通いました。1年前に自分が勧誘した生徒たちです。ほったらかしになどしません。ただ選手、新しい顧問との距離感には迷いました。部外者の自分にできることは限られていると感じていましたが、この迷いは裏目にでます。4月の時点ですでに、もともといた10人から6人に部員は減っていましたが、7月さらに2人がチームメイトとの喧嘩を理由に辞めていきました。もっと自分にできることがあったはず、と悔やみました。
 2学期からは部活の顧問に認められました。4人で練習しながら助っ人を探します。幸い入部して毎日練習に出るのは難しいが、たまに練習に来て試合に出るくらいなら、という生徒が4人見つかりました。いつも通りなんとか試合に出ながら、一生県懸命練習しました。相変わらず厳しい言葉もかけましたが、選手達は全く腐らずがんばります。確実に技も心も成長していました。本当に僕は選手に恵まれています。


 しかしここでまたもや問題発生です。10月の検査で再度再発が確認されました。結局半年少ししか、身体はもたなかったことになります。この時はまったく自覚症状はありませんでした。結果を聞いても、もはや再発のショックなどなく、全く鈍感になっていました。なるようになるだけだと諦めの境地です。ただ、家族と生徒にまた迷惑をかけることが申し訳ないという気持ちだけでした。
 主治医は再発に備えて、すでに治療法を用意してくれていました。イリノテカンとテモゾロミドという、また新しい抗がん剤の投与がすぐに決まりました。当初抗がん剤の治療を3回。3ヶ月弱の入院の予定でしたが、この薬は血液にダメージが少なく、1回目の治療でほとんど血液検査の結果が変わらなかったため、残りの2回は通院で構わないと決まりました。結局およそ1ヶ月の入院ですみました。その後は、治療の週になると午前中に授業をして午後は治療、5時には学校に帰って部活です。1週間治療したら2週間空けて次の治療が始まります。この生活を結局翌年の6月まで続けました。


 バレー部の選手にとって、さらに不運が続きます。2学期の終わりになると中国で新型コロナウイルスの感染拡大が始まりました。案の定ダイヤモンドプリンセス号内での感染拡大を皮切りに、2月末には日本国内でも市中感染が始まりました。そして、3月からは学校が休みになります。もちろん部活も中止です。4月には学校が再開し、2週間ほど練習できましたが、政府の緊急事態宣言の発表に伴い再び休校。結局学校と部活の再開は5月末となりました。高校生たちは大人たちの決定に一喜一憂しながらも本当に素直にその環境を受け入れます。今の習慣や生活を変えたくないと自分勝手な決定を下す大人たちの姿とは対照的に見えます。もちろんほとんどの大人はそうではないのですが。


 インターハイも中止になり、引退と最後の晴れ舞台がうやむやになることが決まりました。ただ、私達の地区は感染者がそれほど多くないため、6月半ばになって地区大会の開催が発表されました。ここが最後の大会となります。4人しかいないチームでしたが、新入生が6人入ってくれたので、試合に出ることもできます。準備の時間は非常に限られていましたが、3年生4人と1年生3人でチームを組んで、練習、練習試合を積み、なんとか地区で9チーム中の3位に入賞することができました。3年生たちは全員が成長を感じさせてくれる姿を見せてくれました。
   今は1年生6人。3人はバレー初心者ですが、先輩の魂をうけついで、頑張って練習をしています。


   僕自身は5月末頃から体調が悪くなることが増えていました。イリノテカンとテモゾロミドの効果が薄くなってきていたのだと思います。6月末には治療をヴォトリエントという経口の抗がん剤に切り替えます。この抗がん剤は毎日飲まなければならないのですが、それでも、しばらくは効き目があって、9月頃まで身体に痛みも全くなく、とくに副作用もなく非常に順調でした。しかし10月になるとこれも効き目が落ちてきました。腰に痛みが出始めたため、一旦ヴォトリエントをやめて、放射線治療を骨盤に対して行い始めました。しかし10月30日。放射線治療を始めて1週間が経ったとき。とうとう残された右脚が動かなくなってしまいました。脊椎で腫瘍が神経を圧迫していることが原因でした。当然義足も、松葉杖も使えず職場を離れることになります。以後半分寝たきりの入院生活が続いています。 痛みは痛み止めであるていど抑えられていますが、特に痛いところには放射線治療をしています。

   10月には、PET検査もありました。転移は進んでおり、肋骨、肺、胸椎、脊椎、骨盤、大腿骨などなど、たくさんの箇所に腫瘍が確認されました。もはや有効な抗がん剤もなく、そもそも身体機能が低下したため、リスクの高い抗がん剤治療はほとんど不可能となってしまいました。

   治療から緩和ケアに移るのが、時間の問題となっています。

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