6.手術と長い入院生活

 5月になり、手術前に一時退院。退院したら、何よりも好きなものを食べられるのが一番嬉しいことでした。PET検査の結果も良好で、腫瘍の反応はかなり小さくなって、わずかな反応が残るだけでした。大きな不安が一つ消えました。次はいよいよ手術です。


 手術は患部の左脚の脛骨(スネの太いほうの骨)を切除し、そこに右脚の腓骨(スネの細いほうの骨)を移植するものでした。説明の中で、腓骨は無くても大丈夫な骨だと初めて聞いたのは衝撃的でした。12時間の長い手術と説明がありましたが、どうせ全身麻酔、そもそも手術自体がはじめてだったし、大して不安は感じていませんでした。しかし手術が終わると、自分の考えが甘かったことを思い知らされます。
 手術を終えて、手術室からストレッチャーで運ばれながら目を覚ましました。左脚が熱い。これまで感じたことのない激痛でした。集中治療室のベッドに移り、手術の夜は一晩中痛みにひたすら耐えました。痛みで眠ることもできません。じっとしているのも痛くて定期的に足の位置を変えてもらいました。看護師さんが見ず知らずの人間に、一晩中付き添ってくれ、見守ってくれていました。仕事といえばそれまでですが、改めて大変な仕事だと思います。
 結局痛みは全くおさまらず、翌朝再手術となります。左脚の手術したところは真っ青でした。繋いだ血管の血流に異常があったようです。2日連続で丸1日手術です。この時の手術も10時間を超えていました。先生も大変だったでしょう。2度目の手術を終え、再び集中治療室に戻ると痛みはマシになっていました。相変わらず身体を動かすことはできませんが、この日は少し眠ることができました。手術は成功したのでしょう。


 手術の翌々日には集中治療室を出ることができました。もともといた整形外科病棟の個室の病室に移り、少しずつですが手や脚などを動かすことができたし、食事もできるようになってきました。最初の頃辛かったのは自分1人でトイレに行ったり、お風呂に入れないことです。看護師さんに手伝ってもらうのはやはり申し訳なく思いましたし、今まで当たり前のようにしていたことができなくなったことに、少し自尊心が傷つけられた気がします。
 つないだ部分の骨は当然すぐにはくっつかないので骨の固定のために、手術後しばらくはチタンの棒が膝の下に2本、足首に2本突き刺さっていました。この4本がさらに別の棒で箱状に組み合わされて、膝下から足首まで四角い箱に覆われているような姿でした。1週間ほどで棒は減って少し小さくなりましたが、この固定具は4ヶ月ほどずっと付けっ放しでした。下着やズボンもはきにくくて、妻にふんどしを買ってもらいました。
 痛み自体は1週間ほどでほぼ消えましたが、今までと全く違う脚を動かすのはなかなか難しいことでした。最初は脚を持ち上げるのもやたらと重く感じて、トイレやお風呂を片脚でこなすのは少し疲れました。それでも日々回復していく実感は嬉しくて、手術を終えてしばらくは前向きな気持ちだったと思います。1ヶ月ほど脚の回復を待って、6月には化学療法が再び始まりました。


 今度は全部で10回。2週間に1回ペースで進むので、順調ならば最短5ヶ月の予定です。手術も乗り越え、化学療法もすでに6回経験したので、退院までの生活がほぼイメージできるようになりました。しかし、ここからの方がむしろ精神的にはネガティブだったような気がします。
 繰り返しになりますが、抗がん剤は血液を作る骨髄にも少しずつダメージを与え、白血球などの数値を下げ、免疫力を低下させてしまいます。抗がん剤のない週も基本的には病院外には出れません。何よりも楽しみにしていたのは、たまにある週末の家への外泊でした。しかし、この血液検査の結果で白血球の数値などが低いままだと、危険なので外泊の許可が出ませんでした。そして、抗がん剤を繰り返すとダメージが蓄積されて白血球の数値の回復が遅くなってくるのです。
 さらに悪いのは、血液検査の結果が悪いままだと抗がん剤治療が開始できません。回復を待つために、治療が1週間延期になってしまいます。つまり2週間に1回のペースが3週間に1回のペースになって、単純に退院が1.5倍伸びてしまいます。これはかなりこたえました。11回のうち結果的に2回延期があり、その分退院が伸びてしまい、このときはかなりへこみました。11回に増えたのは前と同様、平気そうな僕を見ての主治医の判断でした。できるだけたくさんやってしまおうと。さらに入院が伸びたことに、この時は少しはぶててしまったかもしれません。


 病気になって困るのは仕事ができず、当然収入もほとんどないということでした。だから1日も早く退院して職場に復帰したいと思っていました。退院後の生活も少しずつイメージできるようになり、通信教育で新しい教員免許も取得させてもらいました。病院で寝ているだけでしたが、傷病手当金などはもらっていたので、なんとなく申し訳無い気がして、少し勉強しようと思ったのです。
 ほぼ1年間の入院には当然入院費がかかるわけで、家計のことで妻には大きな苦労をかけました。入院中は毎日の様に、洗濯物をもって見舞いに来てくれました。駐車場代がもったいないからと自転車で片道30分かけて来てくれました。妻もバレーボールをしていたため、僕がいない間の高校の部活にも顔を覗かせて、選手にアドバイスもしてくれました。本当に頭が上がらないことばかりです。


 退院は11月末になりました。今まで通り歩くことはできず、しばらくは右側に松葉杖を突いて、左脚を踏み出した時に一緒に右側の杖で体重を支えて、負荷がなるべく左脚にかからないようにして歩きました。手術した脚のためにPTB装具を作っていて、しばらくそれをつけるよう指示が出ていましたが、なんとなく窮屈であったし、左脚に多少体重をかけても痛みはなかったので、ほとんどつけていません。PTB装具は手術した左脚の膝下部分への負荷を軽くする装具で、骨をつないだ手術の後に作ってもらったものです。この判断は大失敗でした。すぐに装具屋さんに装具を調整してもらい、きちんと装具を使うべきでした。結局そのせいで半年後にまた手術をすることになります。

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