9.商店街での文化祭
協力をこころよく受け入れてくれた商店街に早速相談に行きました。この商店街は全長300mほどのアーケードつきの商店街で、いわゆるシャッター通りとなっています。80年代、90年代前半頃までは賑わっていて、夕方や休日にはかなりの人が訪れていたようです。バブル後に郊外のショッピングセンター、ショッピングモールに客を奪われて、現在では多くの店舗が常時シャッターを下ろしています。
商店街には組合があり、商店街の店舗が組合費を出し合って商店街の管理をしていました。この組合の理事長にまず会いに行きました。最初のコンタクトは先生だけ、もう一人、先輩の先生についてきてもらいました。組合長は、もともとはるか遠い他県から婿養子で来られた仏壇屋さんの店長でした。商店街の現状にはかなり危機感を持っておられ、アーケード内でいろんなイベントを主催していました。ただ手応えは薄く、商店街を歩く人が減っていく現状は止められませんでした。学校側からまず試しに提案したのは文化祭の日に学校に出店していただけないかということ。おそらく厳しいと即答でした。どこも店員を雇う余裕がなく、店を離れることができないというお話でした。反対に商店街からの提案は、商店街内を使って欲しいということでした。アーケードの中でのお祭りは年に数回あり、問題ないだろうとのことでした。
早速学校に持ち帰り生徒、先生に報告しアイデアを練りました。この段階で僕の頭に、生徒が商店街のアーケードの中に出店するというアイデアが浮かんでいました。生徒から出てきたアイデアは、商店街にあって廃業、放置されているお化け屋敷の再生、商店街のお店のお手伝い、商店街の清掃、飾り付けなどでした。
再度、今度は生徒と一緒に商店街の理事長に会いに行きます。一日商店街を借りるという組合の同意はすぐに取り付けていただけました。生徒がアイデアを切り出します。まず、お化け屋敷の再生ですが、難しいとこれも即答。閉めてしまってそのまま何処かへ行ってしまい、持ち主と連絡をとることができない状態でした。商店街のお手伝いはいいアイデアだと思ったのですが、これも理事長からの全体への投げかけは難しいとのこと。こちらは個別にお店に交渉して、翌年にはいくつかのお店で実現しました。清掃と当日の飾り付けは問題ないとのこと。
学校で生徒と再考。結局2日間の文化祭の1日目に、商店街で文化祭を開催しようと考えました。商店街のアーケードの下で文化部を中心に生徒に出店してもらい、参加者が商店街を見て歩きながら道の真ん中で活動している文化部のブースを楽しんでもらうというものです。そこに地元のお菓子屋さんや、市役所の方、大学を巻き込んでいけば、それなりのコンテンツになるのでは、と。生徒と企画書にまとめ、文化祭の実行委員会に提出しました。
並行して協力してくれそうなお店を探し、市役所、大学等へ協力の打診をして待ちました。また、商店街のすべてのお店に挨拶にまわり、お祭りの広告を作成、文化部の先生と生徒に出店の相談をするなど、リーダーたちと手分けをして作業を進めました。企画が通ったのはGWの開けた頃だったと思います。とりあえず1日目に商店街で文化祭を開催することがここで決まりました。ここから細かいところを一気に詰めて、実施要領にまとめて、教員に内容の説明をしなければなりません。文化祭の3週間前、5月末を期限にしました。協力してくれるお店、団体と細かい打ち合わせに入ります。もちろん校内の文化部とも連絡を取らなければなりません。文化部にとってはただでさえ忙しい文化祭が、さらに忙しくなるのですから申し訳ないことです。
この後、地元のサッカーチームや、某有名アパレル店も協力に応じてくれ、コンテンツは揃い始めました。漫画研究会が古書市をしたり、バトン部が来店者にバトンの体験をさせてくれたり、軽音楽部がストリートライブをしてくれたり、ステージで合唱部が歌ったり、茶道部がお茶の接待をしてくれたり。また、近くのケーキ屋さんやパン屋さんも多数出店してくれました。他にも古着の回収、リサイクルをアパレル店の店長さんと一緒に企画したり、地元の名産品を市役所の方と一緒に売ったり。姉妹校の短大の芸術科も絵画の展示会をしてくれました。生徒会の男子メンバーは、美術部と一緒に商店街に天井から吊るす、七夕飾りを準備しました。最初はあまり乗り気でなかった生徒会長も、商店街と学校を自転車で行ったり来たり、積極的に仲間と一緒に走り回ってくれました。
準備の途中で商店街の古いアルバムを見つけました。生徒と一緒に開けてみると、30年以上前、最盛期の商店街のお祭りの日の様子が写真におさめられていました。商店街は人で埋め尽くされていて、小さな子からお年寄りまで、ルーレットやビンゴ、将棋などに参加し、祭りの賑わいを楽しんでいる笑顔をとても温かく感じました。僕たちの中で、自然とその温かい雰囲気の再現が目標になったような気がします。
実は、学校の大先輩の80歳を超えるおばあさんもこの商店街で元気にお茶屋さんをされていました。孫よりも年の離れた後輩達を、いつも優しく迎えてくれ、コーヒーやジュースなどをご馳走してくれます。翌年からお店のアルバイトなども進んで引き受けてくださり、何にでもパワフルに協力してくれるのでずっとお世話になっています。生徒会のメンバーが変わっても、イベントのたびに、必ず生徒と行って昔話を聞かせてもらいます。2020年初めからコロナウイルスの騒動でますます商店街の人が減ってしまったようで、先日お会いした時は少し元気がないように感じました。心配しています。
話をお祭りに戻しますが、市役所を通じて報道発表もしてもらい、生徒がテレビ、ラジオに出演して外部への発信も行いました。ただ、一番大切なのは校内の雰囲気作りだと思っていました。生徒にとっては初めての経験で半分以上の生徒はおそらく億劫にかんじるだろうし、行って何するん?というネガティヴな意見はそもそも企画の最初の段階から生徒会や教員の間にもありました。
ここでリーダーが頑張ります。商店街に行く前日の全校集会で、彼女は900人の生徒と教員の前でステージに立ってスピーチをしました。どういう思いで企画をはじめたのか、準備中に、商店街でどんな出会いがあって、どんな経験をして、どんな気持ちで今、当日を待っているのか、ゆっくりと語りかけました。語るうちに聞く人たちの雰囲気が少しずつ変わっていくのを感じました。今思い出してもゾクゾクする光景です。副リーダーの後輩が続いて「〇〇町の楽しみ方」とお祭りの中で、気をつけて欲しいことを混じえながら説明しました。お店の人と会話を楽しんでください。飲食も買い物も自由。食べ歩きも当日OK。でもごみは所定の場所に。などなど。
前日、そのスピーチ原稿が書けないと僕のところに相談に来ました。副リーダーと一緒に3人で夜遅くまで、生徒会室で原稿を作りました。準備の中で自分が経験したこと、感じたこと、今の思いを丁寧に語り、商店街の人たちがどんな人で、どんな思いで待っているかを中心に語りかけることに決まりました。一度少ししんみりした空気を作ろう。連絡事項は副リーダーに交代してから、テンション高めで伝えて少し盛り上げよう、と。作戦は成功しました。彼女達の最高の仕事でした。
そもそも文化祭への来場者を極端に制限していた学校でしたし、学校の上層部は安全面について最後まで心配していたでしょう。勇気を持って決断していただいたのだと思います。当日は900人の生徒が商店街に集まりました。地元の一般の方も予想外に多く、なかなか活況だったと思います。商店街のラーメン屋さんや洋食屋さんには行列もできていました。何より久しぶりにこんなに商店街に人が集まったと、お店の方達がかなり喜んでくれていたようです。後日生徒に配布したアンケートでも、ほとんどが肯定的な意見で、それなりに「ハレの日」を楽しんでくれたようです。もちろん当日スーパーマーケットでお菓子を買ってスマホをいじって時間を潰す人たちもいたし、日頃利用するお客さんの邪魔になってしまったり反省することが多かったのも事実です。コンテンツ不足も明らかでした。当日の小さな失敗などあまりに数が多すぎて、覚えていません。
時間がなかったこともあり、また初めてのことでもあったので、僕が口を出しすぎたことも反省です。もっと生徒会に自由に企画から練らせてあげたいという思いはずっとありました。前日のスピーチ以外は最後まで裏方に徹して地道な作業を続けたリーダーは本当に頑張ったと思います。彼女自身の成長と学校が少し変化するきっかけの一つにはなったのではないかと思っています。
文化祭の話が長くなってしまいました。他にも、もともとあったボランティア部の活動の中で地元のNPO法人と協力してみたり、会社訪問や職場体験を積極的に行う学生サークルを作ったり、そのサークルで近くの紅茶屋さんとコーヒー屋さんと協力してタピオカドリンクを開発して販売したり、そうした活動が校内でも広がった結果、授業の時間を利用して職場体験を実施できるようになったり。今は生徒たちがNPO法人をつくって学校の枠を越えて、地域で職場体験を斡旋したり、イベントの企画をしたり、学習スペースを経営したりする仕組みをつくりたいねと計画中です。
地域での活動の中では、たくさんの素敵な出会いがありました。スーパーマーケットやコンビニなどを利用するのは簡単なのですが、少し探せば田舎にもたくさんこだわりを持ってものづくりをしている人がいました。そういうところで店長さんのお話を聞いたりするのは、サラリーマンしかしたことのない自分にとってとても魅力的な体験で、どんどん知り合いの輪が広がっていきました。そして、そういう地方の魅力に気づいてくれる生徒が増えてきたことが何より嬉しいことでした。