8.学校の外へ
同じころ僕は、ライフワークとして地域社会の活性化に協力したいと感じていました。そのことについても、少しお話ししたいと思います。
僕が務めていたのは田舎の私立高校ですが、学校はあまり積極的に地元の企業と協力をしたり、地域社会での活動に参加していないと僕は感じていました。実際に周辺地域からの生徒数は減っていて、より遠方からの通学生が増えている傾向にありました。そのことに漠然と危機感を持っていましたので、入院中から本を読んで勉強を始めていました。もっとも共感できたのは木下斉さんの著書です。アマゾンで買いあさり、勝手に師匠と思っています。
職場復帰直後から、地域でどんな活動をするか企画書をまとめ始め、いろんな先輩に見ていただいて意見をいただきました。たまたま進学指導部に所属していたので、キャリア教育の一環として地域の方と連携して、職業教育を充実させようと考えました。最初は現在の学校のカリキュラムにあてはまるようにと全体の構想を考えましたが、すぐに方向転換します。もともと上に立って指示を出せる立場にもないわけで、学校行事の中で地域と協力していく要素を増やしてみることから始めました。
退院から3ヶ月が過ぎた3月のことでした。生徒会の会長たち2年生と、たまたま話す機会がありました。3ヶ月後の6月の文化祭で、何か新しい企画をしたいと言っていると聞き、担任の先生が紹介してくれたのです。従来の文化祭には厳しい入場制限があり、生徒、保護者、卒業生と高校生以下の学生に参加者は限定されていました。また、中身もだいたいいつも同じで、生徒会の中に漠然と新しいことにチャレンジしたいと思っている生徒がいました。僕もこの時は全くアイデアをもっていませんでしたが、とりあえずいろいろなところに電話をかけてみて、協力してくれる人を探してみようと話しました。
ただ、この時点では生徒会の中も、大半は新しい企画に否定的で、例年通りを望んでおり、生徒会長もどちらかと言えばそういう態度でした。新しいことにチャレンジしたいという少数の生徒がみなを頑張って説得し、生徒会内の意見をまとめました。教員側にも否定的な意見もたくさんありましたが、まずは教員側の文化祭の実行委員会に、委員長に頼んで入れてもらい、少しずつ企画をねりながら、説明を重ねて理解していただけました。地元との連携が足りていないのではという危機意識は多くの人が持っていましたし、委員長が理解して後押ししてくれたため、一応の環境は整いました。
意思の統一と並行して企画自体も考えなければなりません。生徒会の意思がまとまった段階で、まず一番やる気だと感じた生徒をリーダーに指名しました。この段階で、すでに何回か生徒会の幹部数名とミーティングをしていました。生徒の協議でリーダーを決める手段もありましたが、この時点で2ヶ月ちょっとしかありません。期間が限られた中でたくさん外部と連絡をとることになるため、時間にルーズであることは許されないと考え、一番計画的に実行できそうな2年生の生徒をリーダーに指名し、彼女に後輩を1人選んでもらいました。選ばれた後輩は次期生徒会長候補でした。勝手な評価ですが、先輩は裏方でコツコツと一つ一つの仕事のスケジュールを決め、全体を俯瞰しながら調整し指示を出せるタイプ。後輩は情報発信力があり、みなの意見を誘導していくのが得意なタイプで、なかなかいいコンビだったと思います。もちろん2人ともやる気は充分。この2人が中心となって企画を進めていきます。
例年通りでは、生徒だけで企画運営、出演、会場作りの全てを行い、教員の実行委員会がそれを協議、許可していました。この実行委員会での協議で新しい企画が取り下げになることも多く、ここがネックだと僕は感じていました。採決があるわけでもなく、なんとなく全会一致でないと許可が出ず、田舎の学校らしく、過度に根回しが必要なシステムです。そして、入場は保護者、小学生、中学生、高校生しか認められていませんでした。お世辞にもオープンな文化祭とは言えません。
とにかくまずは、生徒たちと近くの大学、地元の企業、商店街等、一緒にお祭りをしたい、そして向こうもしたいと思ってくれる人たちを探しました。この段階でネックになったのはやはり時間です。打診がそもそも遅すぎたため、やはり協力してくれる団体は少数でした。そんな中で企画の中心になりそうな協力団体が見つかりました。学校から徒歩15分ほどにある商店街です。