7.復帰

 約10ヶ月の入院生活でした。待ちに待った職場復帰は2017年の1月。3学期からでした。年度途中なので授業はさせてもらえず、他の先生の補助的な仕事だけでしたが、ただ部活には行けました。

   先輩に憧れてうちのバレー部でバレーがしたい、と入学してくれた生徒もいます。本当に彼女たちには迷惑をかけました。私が帰ってきたせいで、余計に苦労するのも事実なのですが。この段階で選手は5人。そのうち一人は前十字靭帯を1年生の時に切ってしまい、まだ完全復帰はできていませんでした。みな2年生で、翌年6月のインターハイ県予選で引退の予定です。つまり残された時間は5ヶ月でした。人数がいないので練習試合もろくにできず、たった4人で厳しい練習をしながら、近くの中学生たちと合同練習をさせてもらって4対6で試合をしました。よく不平をもらさず頑張ってくれたと思います。たまに、はぶてる選手もいましたが当然でしょう。


 4月になっても結局1人しか新入部員はいませんでした。6人ギリギリで練習試合を組みながら、大会に備えました。しかし、つくづく悲しい宿命を背負ったものです。5月の練習中に、別の選手が前十字靭帯を切ってしまいました。最後の大会まであと1ヶ月でした。彼女は大会には何としても出たいといいます。当然止めなければならない場面です。ただ私は止めませんでした。監督失格だと思います。大会直前まで練習にはほとんど参加させませんでした。本人は、毎日のように整体師に施術を受けて、なんとか動けると思うと言っていました。僕が大会直前まで練習に参加させなかったので不安に感じたのでしょう。自分は大会に出してもらえるのか、と泣きながら直訴がありました。コミュニケーションが足りていませんでした。不安な気持ちにさせて申し訳ないと今でも反省しています。
 最後の大会は、校内の他の部活の生徒で、中学校の時にバレーをしていた子に助っ人を頼むことができました。全く準備などできていないし、大会に出られるようなチームの状況ではありませんでした。それでも大会に出るという選択をしました。当然賛否の分かれるところだと思います。高校生にとっては最後のチャンスであったし、人数は少なくても本当に一生懸命練習していました。5人だからと練習の強度を落とすことはしませんでした。ほぼ優しい言葉をかけない監督で、頑張っても報われず、ケガで満身創痍でした。もともと僕は高校の部活動は通過点だと思っていますし、選手が足りていればコンディションの悪い選手はなるべく試合に出しません。試合よりも練習を大切にしてほしいということも必ず伝えています。それでも練習を頑張れば頑張るほど試合に出たいと思う選手がほとんどでしょう。また、保護者の方も別の意見をお持ちだったと思います。
 本人の希望、チームメイトの希望、保護者の希望、全てを掬うことはできなかったと思います。そしてコミュニケーション不足のまま大会に臨みました。不安な気持ちの生徒が多かったと思います。僕自身は努めて平静を装いましたが。


 最後の大会は1回戦で敗退します。試合中に別の選手が前十字靭帯を切ってしまいました。

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