5.はじめての入院生活
2016年2月、入院と治療が始まりました。VDC−IE療法という、ユーイング肉腫に対して広く用いられる化学療法です。V、D、C、I、Eは5種類の抗がん剤の頭文字で、5種類を組み合わせた抗がん剤による化学療法が始まりました。僕の場合は2週間に1回抗がん剤が投与されました。抗がん剤を投与する週は、一週間ずっと点滴をつないで抗がん剤を投与します。はじめて見た抗がん剤はオレンジ色の液体でした。抗がん剤は直接皮膚に触れてはいけないもので、看護師さんたちは必ず手袋をして、点滴袋を扱います。オレンジ色の液体が身体に入ってくる時はさすがに少し気持ち悪さを感じました。しかも手で触れたらいけない危険なものを体の中に入れるなんて。
抗がん剤の副作用については、漫画などの知識で、かなり吐き気が強いものだと覚悟していましたが、僕の場合は倦怠感はありましたが、吐き気は大したものではありませんでした。このあとも色々な薬を使いましたが、嘔吐は一度もありません。そういう体質なのかもしれません。ただお腹にものを入れすぎると気持ち悪い感じはするので、点滴中は食事の量を減らすなど、色々と工夫はしていました。点滴で便秘気味の時は吐き気が強くなりがちなので、下剤をもらってお通じが一度あれば、あとはわりとすんなり乗り切れました。楽に乗り切るために色々考えるのは結構楽しいことでした。
髪の毛は1ヶ月ほどで全て抜けました。抜けはじめたらすぐに一番短く髪の毛を刈って、まばらになったら全て剃りました。もともとハゲてきたら坊主にしようと思っていたのでそれほど抵抗はありませんでした。お風呂はボディソープだけで済みます。ツルツル頭も悪くありません。眉毛も無くなるので人相はかなり悪いですが。もみろん僕は平気でしたが、女性であれば、やはりショックでしょう。
約1年間の長い長い入院生活です。抗がん剤の週は体が火照ったりぼーっとしたりするのでなるべく寝ていました。ただ問題はむしろ点滴のない週でした。点滴のない週は、体調はいたって正常ですが、抗がん剤によって白血球など血液成分がダメージを受けて免疫力が落ちます。風邪などが重症化してしまうので家には帰れず、ずっと病院でした。妻は漫画をたくさん持ってきてくれ、見舞いに来てくれた時はスマホでゲームなどをして時間を潰しました。学生時代から漫画はたくさん集めており、自分の実家からも母に見舞いのたびに持ってきてもらいました。
井上雄彦さんの車椅子バスケをテーマにした『リアル』という漫画に、骨肉腫に苦しむ少年が登場します。彼が骨肉腫の痛みに苦しむ姿が、自分の経験したものとそっくりだということに、入院して読んでいる時はじめて気づきました。それもそのはず、骨肉腫とユーイング肉腫は同種の病気で、幼少期にかかりやすい悪性腫瘍です。何度も読んだ漫画でしたし、僕ももう少し早く病院に行けば良かったのでは、と少し後悔しました。
入院中、つくづく良かったと思うのは、一人でいるのが苦痛でないこと。高校から寮に入り、大学も下宿、一人で過ごすことには慣れていましたし、入院生活が長くなってからは読書やアマゾンプライムビデオ、YouTubeなどなど、一人で割と楽しく過ごしていました。ただ会話に飢えているのも事実で、教え子やバレー仲間、職場の同僚が見舞いに来てくれるのは一番の楽しみでした。中には他県からわざわざ見舞いに来てくれるバレー部の先生もいて、バレーボールがいかに僕にとって大切かを実感しました。
1ヶ月が経って入院生活にも慣れた頃、3月1日を迎えました。3月1日といえば卒業式。間の悪いことに3年の担任をしていたため、生徒には受験の前にいらぬ心配をかけました。治療のない週だったのでみなに一言詫びたいと思い、主治医に外出の許可を得て、少しだけ卒業式を覗かせてもらいました。抗がん剤治療は先述のとおり免疫力を落とすため、風邪やインフルエンザが重症化することもあり、気をつけなければなりません。それこそ、たくさんの人に会うことは基本的にはタブーです。先生の特別な配慮だったのだと思います。
がんになった自分の姿を見て欲しかったという気持ちも少しあったかもしれません。自分がいなくなっても世界は変わらず動いていく。それは当然のことですが、やはり少し悔しいと感じていました。ニット帽をかぶり、マスクをして、妻の車で会場に遅れて到着し、クラスのホームルームで、少しだけ生徒に会わせてもらいました。お詫びをした後は何を喋ったか全く覚えていません。久しぶりに会ってお互い何を喋っていいかわからなかったような気がします。元気そうなみんなの姿を見てひどく安心しました。力をもらった気がしました。ホームルームが終わって、足早に立ち去る僕に、あるお母さんが、このクラスで良かったと丁寧に感謝の言葉をかけてくれました。もちろんありがたく思ったのですが、同時に小さな罪悪感が湧きました。この言葉をかけて欲しくて自分はここに来たのだと。
抗がん剤治療はいたって順調で、なんの合併症もなく2ヶ月半、5コースを終えました。あまりに平気そうな僕の姿を見て主治医は1コース増やすことを決めます。僕自身も抗がん剤治療に慣れてきて、このころはそれほど苦痛にも感じませんでした。足の痛みは1度目の化学療法で早速消えてくれて、この頃は身体のどこにも全く痛みを感じませんでした。ただ薬の効果の実感はあっても、次のPET検査まで不安は消えませんでした。
身体の回復は、毎日ほぼベッドの上で過ごしていたおかげでもあると思います。収入がなくなったのは当然辛いのですが、身体にとって必要な休息だったのかもしれません。運動不足が気になりましたが、1日に20分ほどリハビリ室で筋トレをさせてもらえました。この時からずっと理学療法士さんは同じ方が担当してくれていて、もう4年以上も面倒を見てくれています。リハビリ室でもバレーをさせてくれたり、卓球をさせてくれたり、筋トレメニューを好きにさせてくれたり。たくさんわがままを聞いてくれます。いつも笑顔で優しく、素敵な理学療法士さんです。