10.2度目の手術、出産、再発
2017年夏、復帰して半年が経過しました。文化祭が終わり、バレー部の選手も引退した頃です。腫瘍は落ち着いていましたが、左脚の骨をつないだところでトラブルが発生します。骨がうまく繋がっておらず接合部で骨折を起こしていたのです。ロッキングプレートという金属を、骨折した骨の補強のためにすねの骨に添えることになりました。夏休みに一週間の手術となります。
この頃バレー部には選手がいなくなっていましたが、初心者の生徒でバレーがしたいという子が数名見つかって週に2、3回練習をしていました。僕は体調に不安がある中、バレー部復活のために、来年度に向けて近くの中学生に声をかけて選手を集めようか迷っていました。結局、学校経営のためという大義名分で中学生の勧誘を始めます。もちろん僕自身まだまだ現役でがんばって、いいチームを作りたいという思いはありました。中学生の大会に杖をついて現れては、中学校と名前を覚えます。もともと近隣の中学校の先生たちは顔見知りばかりで、中には積極的に協力してくれる先生、応援してくれる先生もいました。もともと中学校との合同練習や練習試合も積極的にしていたので、中学生もほとんど知り合いのようなものでした。
問題は6人集めなければならないこと。実質的に選手がゼロのチームに勧誘するのは至難の業でした。まして勧誘するのにバレー部は特待生の枠も失っていました。特待生もなく、選手もいない私立高校のチームに人は集まるのだろうか。受験の段階で6人の目処が立たなければ必ず連絡するという条件でなんとか受験をしてもらい、受験ぎりぎりで6人の目処が立ちました。そして幸運なことに高校生の中にも2人、バレー部に入部してくれる生徒が見つかりました。
結局翌年の4月には部員10人でバレー部をスタートすることができました。そしてその前の月に双子の女の子が我が家に誕生していました。良い予感は漂っていました。
出産にあたっては、やはり再発を不安に思っていました。妻はもともと子供が大好きで、友達の子供も自分の子のように嬉しそうに面倒を見ていました。自分の子を望んでいるのも明らかでしたし、僕も同じ気持ちでした。がんが見つかってからも、2人とも子供を望む気持ちに変化は無かったと思います。妊娠に際し、妻にはきっと一人で育てる覚悟が必要でしたし、今もその覚悟を背負わせ続けています。覚悟は決めたとはいえ、それでも迷っているような、そんな気がすることもあります。今もずっとつらい思いをさせています。
妊娠後しばらくして双子と判明します。妻は2人いっぺんにすんでむしろ好都合と口では言っていましたが、妻にとっては初めての妊娠で、しかも2人分のお腹でつらそうでした。仕事の合間を縫っての、産婦人科への通院も苦痛だったでしょう。産休が始まってからは義母も仕事の合間を縫って、できる限り妻と一緒にいてくれました。頭の上がらないこと、頭の上がらない人ばかりです。
出産してしばらくは妻の実家にお世話になりました。毎日決まった時間にミルクをあげたり、お風呂に入れたり、寝かせたり、義母や義父、義兄にも手伝ってもらいながら新しい生活がスタートしました。双子だからといって一緒に泣くかというとそうでもないので不思議です。二卵性双生児なので見た目はかなり違って、体格も顔もはっきり違うし、何より性格も生まれた時から違うことが不思議でした。妹の方が変化に敏感で、人見知りも強く、泣き出すことも多いような気がしました。日に日に成長する娘達と過ごせる時間は間違いなく人生最良の時でした。思いもよらない反応や行動をとるので、目が離せず楽しい日々が続いていました。
生後4ヶ月が過ぎたころ、実家を離れて2人で暮らしていたマンションに戻ることになりました。妻と2人でお風呂、食事のお世話をするのは正直不安でした。僕は育休を取るつもりもなく、帰宅は大体夜8時頃。義母や妻の友達が手伝いにきてくれる日もあるとはいえ、妻は日中はずっと一人で二人の相手をしなければならないので、当たり前ですが大変だろうと思いました。案の定、僕が帰りの時間をきちんと伝えていなかったことがあり、妻と喧嘩にもなりました。我が家の喧嘩は回数は少ないのですが、溜め込むせいかけっこう尾を引きます。その後2、3週間くらい気まずい日が続きました。そして夏休みになり8月を迎えたある日、僕は定期的なPET検査を受けました。
結果は再発。脊椎や肺などに転移が見つかってしまいました。このときの感想は「やっぱり」。実は自分の身体に少し異変を感じていました。最初は広島でバレーの大会があったときのこと。試合前の練習で高校生にボールを打っていたときに、打った拍子にパキパキパキと背骨全体に大きな音。折れたというより指や首の関節を鳴らしたときのあの音ですが、その衝撃で呼吸がしづらくなりこの時は一旦休憩しました。背中を強く叩かれて呼吸困難になるあの感じです。しばらくすると、もとに戻ったのでしばらく放っていました。しかし、そこから日に日に腰の痛みが強くなっていきました。また同時に咳も出始めて、咳をするたびに腰に響くのが辛かったです。そして何より、またなかなか眠れない夜が現れはじめました。3年前に経験したあの嫌な感じ。
結局兆候はあったわけで、検査の結果も出てみれば納得でした。すぐに治療計画が立てられて、入院と再度の抗がん剤治療が決定します。先がどうなるかわからない状況に、引っ越したばかりのマンションは引き払い、妻は実家で義母らに助けてもらいながらの子育てとなりました。私にとってはまた長い入院生活が始まりです。
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