見出し画像

20240915学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第32章-3 第3インタナショナル結成

20240915
[大会の綱領]

 新しい世界組織は、古い第1インタナショナルの継続である。規約の第2条は次のようなものであった。
「新しい国際労働者協会は、『共産主義インタナショナル』と称する。」
 モスクワ大会は、2つの主要な政治的文書を生み出した。1つは主にレーニンの筆によるものだった。これは、1928年の第6回大会まで、コミンテルンの綱領として用いられた。もうひとつは、プロレタリア独裁の問題に関するレーニンの一般的テーゼである。
 綱領として決議されたものは、マルクス・エンゲルスの基本的前提に基づき、過去15年間のレーニンの著作、『資本主義の最高段階としての帝国主義』と『国家と革命』に沿ったものであった。
 宣言は以下のようなものであった。
「新しい時代が始まった! 資本主義の没落——その内部からの解体——の時代、プロレタリア共産主義革命の時代が始まった。他の国々では革命的空気が発展し、植民地では反乱が増大し、支配階級はもはや民族の運命を握る能力がない——これが今日の世界情勢の姿である」
 綱領は、プロレタリアによる政治権力の獲得、ブルジョアジーの収奪と生産の社会化、階級のない共産主義社会への前進の道がひらけていることを見通している。
「革命の時代には、プロレタリアートはどうしても、その全精力を集中するような闘争手段すなわち大衆行動を活用し、その論理的帰結として政府機構と直接ぶつかって、公然たる戦いに入らざるを得ない。ブルジョア議会主義を革命的に利用するというような、そのほか全ての方法は、第二義的な意味しか持たないであろう。……万国のプロレタリア諸国! 帝国主義の野蛮さに反対し、君主制に反対し、特権階級に反対し、ブルジョア国家とブルジョア所有に反対し、あらゆる形の社会的民族的抑圧に反対するこの戦いの中で、“団結せよ!”」
 ブルジョア分子や社会民主主義者は、資本主義的民主主義こそ本当の民主主義だと主張していた。しかしそれはソヴェトの真の民主主義ではないと、レーニンは彼らをどこまでも批判した。そしてレーニンは言った。「歴史は教えている。いまだどんな被圧迫階級も、独裁の時期すなわち政治権力を戦いとる時期を経験することなしには、決して支配に到達しなかったし、また到達できるはずもなかった」

 第1インタナショナルの労働運動の主要国はイギリスとフランスあった。第2インタナショナルはドイツである。そして第3インタナショナルを指導するのはロシアになった。モスクワ大会でレーニンが特に注目した問題は、ロシアのような後進国が世界の労働運動を指導できるのかということであった。ロシアではブルジョア革命の力が大きく、これがのちにプロレタリア革命となったからである。これは、エンゲルスとカウツキーも予見していた。しかし今日では、ソ同盟は大工業社会主義国となり、偉大な協力者である人民中国と並んで世界の民主主義的な、平和を愛する社会主義陣営の指導者の地位についている。

[第3インタナショナルの結成]

 新しいインタナショナルの組織を確立するために大会を進めるには、旧左翼ツィンメルワルド運動を解散することだった。決議では、ツィンメルワルド同盟はもはやその目的に適さなくなり、革命的要素は共産主義インタナショナルに引き継がれることとされ、ツィンメルワルド同盟は正式に解散された。
 ただちに共産主義インタナショナルの結成に進むべきかどうかについては、多少の議論があった。延期すべきと言ったのは、ドイツ共産党の代表であるエーベルラインであった。ドイツでは、修正主義者が世界戦争に賛成したことや、ロシア革命を公然と敵視したことにより世界の労働運動が分裂した事実などについて、特に左翼による不信感がまだ消えていないことが理由であった。しかしレーニンがインタナショナルを結成するよう強く視聴したので、この大会で実現された。
 新しいインタナショナルの組織機構については、暫定的な措置だけが採られた。構成の決定は次の大会まで延ばされた。暫定措置としては、各党から1名の委員による執行委員の選出、その互選で5名からなるビューローが作られた。メンバーは、ラコヴスキ、レーニン、ジノヴィエフ、トロツキー、プラッテン。執行部は、ロシア、ドイツ系オーストリア、スイス、スウェーデン、バルカン同盟の諸党の代表で構成された。グレゴリ、ジノヴィエフが議長に選出された。書記は、アンジェリカ、バラバノフである。
 共産主義インタナショナルはこうして誕生し、その後荒れ狂う世界の中で巨大な役割を演じていくこととなる。

いいなと思ったら応援しよう!