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20250104『三つのインタナショナルの歴史』第34章-1 コミンテルンと植民地の世界①

20250104
第34章 コミンテルンと植民地の世界

 共産主義インタナショナル第2回大会の最も重要な政治的問題は、民族・植民地問題に関するレーニンの決議案だった。この決議案は、資本主義を支える重要なものの一つである植民地制度を痛烈に攻撃した。そして、世界の労働者はこのとき初めて、植民地諸民族の無数の大衆の運命に大きな注意を払うことになったのである。

 レーニンは、演説と決議案の中で次のように指摘した。
「民族には抑圧する民族と抑圧される民族がある。地球の総人口の約70%は被抑圧民族に属しており、……ヨーロッパ資本主義の主たる力の主要源泉の一つは、植民地的な属領と従属国の中にある。植民地での広範囲にわたる搾取を握っていなかったら、ヨーロッパの資本主義列強は片時でさえ存在を続けることができない。……イギリスの資本主義機構は、その余剰生産物の販路として、また絶えず拡大する工業のための原料供給地として、獲得した広大な植民地所有がもしもなかったとしたら、ずっと以前に自分自身の重みのために崩れ去っていたに違いない。現在までイギリス帝国主義がイギリスのプロレタリアートをブルジョアジーの支配下に置いておくことができたのは、何億というアジア、アフリカの住民を奴隷の状態に陥れてきたおかげなのである。……植民地で得られる過剰利潤が、現代資本主義の支えになっているのだ。」
 この超過利潤の一部が労働貴族を買収し、彼らを帝国支持の政策に縛り付けることに利用されている。そして、帝国主義列強は、従属諸民族の抵抗を弱め混乱させるために、見せかけだけの独立を認めようとする。このイカサマを最初に始めたのはイギリスで、アメリカもそれを真似た。アメリカは、形式だけの政治的独立国からなる全世界的帝国をつくりあげた。ラテン・アメリカの傀儡諸国家がその典型的な例である。
 決議案は、「本国のプロレタリア革命とともに、植民地帝国の解体は、ヨーロッパの資本主義体制を覆すであろう」と述べるとおり、抑圧する国々の労働者階級は、帝国主義を覆すことこそ資本主義を完全に廃止するための条件だと考えていた。ここから、帝国主義諸国の労働者階級と植民地・半植民地諸国の被抑圧民族とが一致して働くことが絶対に必要となる。そしてこれこそが、コミンテルンが達成すべき重大な任務なのである。

 コミンテルン第2回大会の綱領によると、植民地の運動には修正主義の運動と民族革命の運動の二つの流れがある。植民地と本国の共産党は、従属民族の真の民族的民主的解放運動を積極的に支持すべきである。こうした解放運動は共産主義運動の始まりとは違うものではあるが、物事は柔軟に考えなければならない。現在のようにヨーロッパで革命的危機が熟しているときには、後進諸国の大衆が資本主義の発展を通してではなく、先進資本主義諸国の階級意識を持つプロレタリアの指導によって共産主義に達しうるのである。また、先進諸国のプロレタリアートの援助によって、後進諸国は資本主義的発展段階を素通りしてソヴェト制度に移行し、一定の発展段階を経て共産主義へ移行することができるのである。

[社会民主主義と帝国主義]

 第1インタナショナルの時、マルクスとエンゲルスは多くの偉大な革命的原則を労働者階級に伝えた。しかし、第2インタナショナルは、それらの原則を葬り去ってしまった。第1インタナショナルが解散してから第一次世界大戦が始まるまでの38年間は、第2インタナショナルが発展し繁栄した時期であるが、同時にそれは世界帝国主義の発展と拡大の時期でもあった。第2インタナショナルの全盛期は資本主義が世界の隅々まで急速に広がり、主要な資本主義諸国で巨大な独占資本が確立した時期である。そして、指導的大国が世界を植民地として分割し、極東では膨大な従属諸民族の偉大な民族解放闘争が進展した。第2インタナショナルの大会では、被抑圧民族に対して同情的な支持の決議を採択しようとしたこともあったが、ほとんどの国は大した問題とせず、それぞれの国の資本家階級の帝国主義帝政策を支持していた。
 レーニンはこう述べている。
「第2インタナショナルにおいても、植民地問題は討議された。バーゼル宣言もまた、それについて全く明瞭に述べていた。第2インタナショナルの諸党は、革命的に行動することを約束した。しかし、我々は、第2インタナショナルの諸党が、現実の革命活動をやったのを見たことがないし、また搾取されていた従属民族が抑圧する民族に対して起こした反乱を現実に援助したことも見受けないのである。そして、これはまた、すでに第2インタナショナルを脱退し、現に第3インタナショナルに加盟することを希望している諸党の大多数が、同様だと思う。」

 レーニンは、ヨーロッパの被抑圧民族や大植民地地域の被抑圧民族が、分離権を含む自決権を持つという方針を第2インタナショナルに認めさせようとして苦心した。しかし、第一次世界大戦以前には、アイルランド、ポーランド、チェコその他の発展した民族に対してすら、第2インタナショナルの指導者たちは自決権を支持しなかった。特に社会民主主義者は、自国の植民地民族の援助を何もしなかった。それどころか、帝国主義的抑圧と搾取を正当化した。「社会主義的植民地主義」という理論さえ出し、帝国主義に対する献身ぶりをとことん示したのである。


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