子熊猫と恋愛Ⅱ
恋は下心、愛はまごころとはよくいったもので。子熊猫は恋愛をしています。本日はその進捗について皆様と共有してまいります。
恋愛をしていると、ありとあらゆるSNSのおすすめに恋愛関連のものがみられるようになる。子熊猫だけでしょうか。そしてそれは、ポジティブなものからネガティブなものまで幅広い。ヒトは大変ですね、「LINEの共有の〇番目はあなたが好き!」などという文言に惑わされて。まんまと引っ掛かっては一喜一憂する、そんな生きざまが愛おしい。そして愚か。
そのようなSNSに目を向けるより、ただあなたが恋しているその人に愛を伝えようぜ。あなたの恋の行方は、LINEに左右されるほど薄く、儚く、軽いものではないはずだから。あなたが一生のうちに打つことができ、話すことができる愛の言葉や表せる態度の時間は有限なのだからそのどれもを惜しまず放とう。吸い込んだ酸素すべて愛の言葉で吐き出すくらいに。
子熊猫にそれができているかということは聞いてはいけない。できていないから。
お相手は遠くにいて、あまり会うことはできないのだが、そんな時に「実際の(物理的な)距離は心の距離」なんてSNSの投稿を見てグサッときて落ち込んでいる。紙飛行機マークを押した先のLINEの共有にあのひとがいないことに、ちいさなかすり傷を負っている。信じてしまうよね。こころが揺れているときは特に。この地球の中で自分と同じ感情下にいる生物は一体どのくらいいるのだろう。子熊猫だけじゃないよね、こんな気持ちになっているのは。どうですかお隣さん、なんて突撃取材しに行こうかしら。
こんな感情になるなんて、なんて愚か!なんて小者!なんて青く、愛おしいのでしょうか!でもこれこそが恋の醍醐味ですそう思いませんか。そう思わなければやってられませんコノヤロウ。子熊猫は恋愛マスターになるために恋愛のイロハを学習している途中なのだ。皆、恋をして成長する。返事が遅くたって、周囲の生物が春だと浮かれてパートナーとやれどこに行っただの何をしただの発信していたって、子熊猫はただ自分の人生を歩むしかない。これをうらやましむわけではない域にまで、自分を昇華できるのはいつだろうか。そうやってもがいて、ひとりで生きていくことに慣れ、成ることに怖さと憧れを感じている。
本当にひとりでいいのかな。
ひとりでいいよ、そうじゃないと誰かを巻き込んで倒れてしまうから。
Twitterで刺さった言葉がある。
「あなたをさみしさのとまり木にしてごめんなさい。勝手にとまってしまって、感情を抱いてしまってごめんなさい。」
この文章を読んだとき、こころがちぎれそうだった。子熊猫もアプリを通じてさまよい、見ず知らずの他人を自分勝手にとまり木にしているのだから。孤独が厄介なのは寂しさを併せ持っている点であると思う。「いまこの寂しさを紛らわせるために、あなたちょっと付き合ってよ」このセリフはいまの子熊猫には到底たどり着けない世界の登場人物が、満月の夜に口にするのがふさわしい。この言葉を放った一瞬だけ、誰かをとまり木にするんだろうな。太陽が出ているときは、ひとり力強く土を踏みしめているにちがいない。そうであってほしい。
「愛の反対は無関心」マザー・テレサの言葉だ。傍観者であることはある意味でヒトを成長させ、一部のとまり木の鳥たちは罪悪感なく羽を休める。子熊猫は傍観者にも鳥にもなりたくない。なにかを与えるとまり木になりたい。
でもいまのままではなれないんだろうな。
今日はここまで。今日もお疲れさまでした。
2023/03/24
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