『猫になりたい』=「スピッツ」説。

関ジャムでスピッツの『猫になりたい』が紹介されていました。

いやー最高ですね。
小岩井の土になってしまいそうだ。

個人的にこの曲は「スピッツ」というバンドの名刺代わりになる曲だと思っています。
ってことでちょっと語ります。


☆「ストーカー」?「猫」?

この曲はファン人気も相当高い曲ということでいろいろな解釈がなされていますが、代表的なのは「”僕”=ストーカー」説
まぁ確かに「猫になってずっと君のそばにいたい」というのはなかなかにハードな願いではあります。

この説を有力にしているのは、冒頭の歌詞の解釈によるところが大きいと思われます。

灯りを消したまま 話を続けたら
ガラスの向こう側で 星がひとつ消えた

この「”星”が君の部屋の電灯を表している」というのが「”僕”=ストーカー説」を支える大きな根拠となっています。
つまり、”僕”は家の外側から懐中電灯を消した状態で”君”の部屋を見上げながら電話をかけていて、そこで彼女の部屋の電気が消されるのを見たという状況なわけですね。

ただ僕はこの説に少し疑問を感じていて…


ストーカーとそんな長い時間電話するかね?


普通なら怪しがったり怖がったりして、そもそも電話に出ないと思うのですが。
まぁ電話をかけてもおかしくはない間柄だとか、あるいは電話している気になっているというもっと恐ろしい状態なのかもしれませんが。


それよりも僕は、この曲は純粋な恋愛の曲として受け取りたいのです。

そして、その気持ちをより際立たせるために、部屋の中でずっと”君”と一緒にいられる猫になりたい…と想いを馳せているのではないかな、と解釈しているわけです。

その点においては、関ジャムでマカロニえんぴつのはっとりさんが提唱していた「猫目線で歌われている説」はごもっともだと思います。
ただ、もちろん”僕”=”猫”ではないですよね。あくまでも架空の猫か、あるいは”君”の家で飼っている猫なのかもしれませんが、その猫に自分を投影しているだけだと思います。


ただ、この「純粋な愛」に対するスピッツの、というより草野さんの世界観がまた面白いのです。
必ずしも「純粋な愛」=「清廉潔白」ではない、という考えがこの曲によく表れているように感じます。


☆”君”との関係性と”僕”の危うさ

まずは先ほどの冒頭の歌詞を個人的な解釈で読み解いておきます。

ここはそのままのイメージでいいのではないかなと思っています。
夜中に部屋の電気もつけずずっと長電話をしていたら、そのうち空がだんだん明るくなってきて、夜空に見えていた星もひとつ、またひとつと見えなくなり始めている…といった状況でしょうか。

あと、ついでにですが2番の最初のフレーズ、

目を閉じて浮かべた密やかな逃げ場所

というのは、これもストレートに眠りについた状況を表しているものだと思われます。

夢の中の景色はシチリアの浜辺の絵葉書のように綺麗で、そこの街は季節を嫌っている。
「季節」を移り変わるものの象徴だととらえると、”僕”の中で”君”との関係性を変化させたくないという思いが渦巻いているのではないか、という考察ができます。

個人的なイメージとしては遠距離恋愛の曲なのですが、”僕”は恋人に会えない寂しさや”君”に心変わりされてしまうことへの不安を抱えながら日々過ごしているのではないでしょうか。
だとすればなおさら、ずっと”君”のそばにいられる猫になりたいという願望も理解できるものになります。


ただ、どうもこの遠距離恋愛はそろそろ終わりそうな気がします。
だからこそ”僕”は変化を望まないわけですが。

そして、この恋愛が終わりを迎えたら”僕”も終わりを選ぶことでしょう。

これが1つ目のポイント。
”僕”は「終わり」、さらに言うと「死」と隣り合わせの状態にあるのです。


”僕”のアパートは「広すぎる霊園のそば」にあります。しかも日当たりも悪い
普通ならこんな物件は選ばないでしょうが、とにかく”僕”が住んでいるこのアパートが既に死を予感させるものであることは間違いないはずです。

その窓から見える星が消えるというのも不吉なイメージですし、「砕ける」というフレーズも終わりを連想させるものです。

遠距離とはいえ恋愛関係にあるというと幸せそうなイメージを持ちますが、実はその幸せ、もっと広く言うと「生」と「死」は常に隣り合わせの状態で存在するものなのだ、というのが草野さんの世界観の1つになっています。


☆これは「純粋な愛」か?

草野さんの世界観でもう1つ重要なキーワードになってくるのが「性」、言い換えると「セックス」です。
特にアルバム『三日月ロック』以前の楽曲に関して、「死」と「セックス」はスピッツの世界観を表すキーワードとして重要な要素になっています。


この曲で言うと「セックス」を表しているのはサビのフレーズ、

消えないようにキズつけてあげるよ

になってくるでしょう。

女性に「キズをつける」というのはあまりいい言い方ではありませんが、要は猫が引っ掻くイメージと重ね合わせているわけです。


で、なぜわざわざこんな言い方をするのかというと、もちろんそういう欲の表れであることに間違いはないのですが、もう1つ。

”君”の中から”僕”の存在を消されないようにするためです。
たとえ死を選んだとしても一生”君”の中に自分の存在が残り続けるように、ってことですね。


傍から見るとかなり歪んだ愛情の形なのかもしれませんが、これは”僕”からすると”君”に捧げる純粋な愛の形なわけです。

というよりも、「セックス」って結局愛情の形としては純粋なものではなくて、それはみんなそうでしょう?というメッセージのようにも受け取れる気がします。あくまでも個人的には。

ただ、それが場合によっては新たな「生」を生み出すということを考えれば、これがまた「死」にも繋がってきて面白いんですけどね。あくまでも個人的には、ですが。


☆『猫になりたい』はなぜ名曲なのか?

ここまでのところで触れた通り、この時期のスピッツの楽曲を読み解くにあたって重要なキーワードは「死」「セックス」です。

ただ、必ずしもすべての楽曲にこの2つのエッセンスが含まれているわけではなくて、どちらか一方のメッセージ性が強く盛り込まれているとか、まったく違う角度の楽曲の方が大多数だと思います。

そんな中『猫になりたい』は、この2つのエッセンスを短い歌詞の中にふんだんに盛り込んだうえで、真っすぐにしろ歪んでいるにしろ「純粋な愛」のイメージをはっきりと映し出しているという点で、とんでもなく高次元な楽曲なわけです。

この曲はまさに「スピッツ」というバンドの真骨頂だと思います。


せっかく長々とお読みいただいたので、よければ最後に聴いていってください。


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