エド・マクベイン『麻薬密売人』

引き続き87分署シリーズを読んでいた。


今回のテーマは「麻薬」
クリスマスシーズンの最中、殺人事件に関わっていると思しき麻薬密売人をスティーブ・キャレラたちが追う。

「まるで爆弾を抱えたアナーキストのように」冬が襲いかかる中、アパートの地下室でパトロール警官が少年の死体を発見する。現場の状況から、当初は首吊り自殺とも思われたが、現場には注射器が落ちており、さらに解剖の結果、死因はヘロインの過量注射によるものと判明した。何者かが被害者にヘロインを打った後に、首吊りのように偽装したのである。

『警官嫌い』では夏、『通り魔』では秋だったが、今回は冬である。次作は春だったりするのか?

パトロール警官の死体発見後、現場を検分する87分署の刑事は、スティーブ・キャレラとバート・クリングの二人。
キャレラは前作『通り魔』では新婚旅行中だったので休み。一方のクリングは、その作品の中で刑事に昇進している。この二人は『警官嫌い』でも二人で行動していたが、当時のクリングは制服警官だった。刑事二人のコンビとして登場するのは今回が初めてなわけで、冒頭の捜査がこの二人なあたり、さすがシリーズ物の勘所を押さえている。もっともクリングは途中で目立たなくなり、本編の捜査は主にキャレラが行う。
このキャレラと、上司のピーター・バーンズ警部が今回の主人公ポジション。
バーンズは87分署の捜査主任だが、息子のラリイが麻薬を常習しているという密告が寄せられるのである。
バーンズの息子の話と、キャレラの捜査を軸にストーリーが進行する。
他の刑事のエピソードもあるが、だいたい無駄話してたりデートしてたりで、まあ背景と言って良い。


『警官嫌い』はクリスティのプロットの再利用、『通り魔』はマクベインの別名記、カート・キャノンの短編の再利用だったが、今回は謎解き的な要素はなく、いわゆる「警察小説」に専心している感じ。なんてったって、今回の犯人は逮捕される直前まで読者に名前が明かされないからね。


相変わらず小説冒頭には、

この小説に現われる都会は架空のものである。登場人物も場所もすべて虚構である。ただし警察活動は実際の捜査方法に基づいている。


というエピグラフが掲げられており、死体発見時の警察組織の対応や指紋の種類を箇条書きにして列挙するなど、ジャーナリズム的な興味を満たそうとしているとは思うが、どうしても時代的限界は感じる。


(キャレラは)ゆだんのない動きで煙草のパッケージをヒョイと人さし指で押しのけた。煙草が何本か入っていてその下に小さな包みがそっと隠されている。キャレラはその包みをとって、開けてから掌に白い粉をこぼして舌の先で味をみた。若者たちは黙りこくって彼を見つめていた。 「ヘロインだな」キャレラがいった。



ま、麻薬を舐めてんじゃねー!

往年の刑事ドラマでよくある、刑事が白い粉を舐めて「シャブだな」とかやる懐かしのアレである。というか影響関係を考えるとこっちが元祖か。こういうのをみると嬉しくなりますね。なんというか、昔の友人にひょっこり再会したときのような懐かしさ。とはいえ流石に現在では真面目に読めるシーンではない。それとも当時のニューヨークの刑事は本当に舐めて麻薬を判定していたのか?

ピーター・バーンズの話の方もそこまで大ごとにならないというか、息子が麻薬をやっていたわりに捜査主任の地位を追われたりということはない。警察官である自分の息子が麻薬を!というサブプロットは、今野敏の『隠蔽捜査』なんかでもあったけど、あの話では主人公は最終的に左遷させられているのだった。あちらも正式な処分というわけではないみたい(主人公が、息子が麻薬をやっていただけでは処分対象にはならないと確認するシーンがある)だが、バーンズの地位に何の影響もないのは、現実にこういう時の対処にお国柄の違いがあるのか、単に作風の(リアリティの)程度が違うのか?

ストーリー展開についても、この後ラリイの指紋が被害者の注射器から発見されたりして、警察官の身内が麻薬をやっていたからどうこうというより、殺人容疑の方に重点を置かれている感じ。

あとは麻薬の禁断症状の怖さ。殺人の容疑を晴らせるかということと、麻薬中毒から抜け出せるかという2点が、バーンズのストーリーの中心かな。

ラリイが麻薬の中毒症状に苦しむ様はよく描かれており、好意的に言えば、警察官の身内の不祥事ではなく、あくまで「家庭の問題」として描かれていると言える。

「スラム街の子どもたちならこんなことになってもおかしくないのよ。みだれた家庭の子どもたち、愛情を知らない子どもたちならね。でも、どうしてラリイがこんなことになったのかしら?」



と作中バーンズの妻が語る通り、「どのような家庭にも入り込こむ麻薬」「誘惑多きニューヨーク(アイソラ)と家庭」というものに焦点を置いている感じ。この辺りはマクベインが非行少年物を書いていたことも関係してるのかな。

もっとも短い作品だと言うのもあって、麻薬の禁断症状とその克服も、やけにスピーディーに感じてしまう。母親が拳銃で息子を脅すようなショッキングなシーンを入れて盛り上げようとはしているのだが、全体的に拍子抜けの感がある。

「家庭」というなら冒頭で発見された少年、アニーバル・エルナンデスの家族の方がより印象的だ。この一家はプエルト・リコから移住してきたのだが、アイソラにやってくるまでの経歴が微に入り細を穿って語られ、作者の力が入っていることがわかる。
「プエルト・リコ」というと、『警官嫌い』でもプエルト・リコ人の話が出てきて、やたら話題になるなと思って少しだけ調べてみた。

インターネットで適当に検索した知識で恐縮だが、プエルト・リコはアメリカのコモンウェルスで、もとはスペインの植民地だったのが、米西戦争時に割譲され、その後独立運動などを経て1952年にコモンウェルスとして自治権を獲得した模様。『警官嫌い』から『麻薬密売人』までの作品の発表が1956年(らしい)ので、その頃のアクチュアルな話題だったと思われる。当時は独立運動が盛んな一方、職を求めてプエルト・リコからアメリカ都市部に移住する者も多かったようで、作中のプエルト・リコ人の存在は、そういった当時の世相への作家の関心を物語る。

きっと作中の家族も上記のような感じでアイソラにやって来たんでしょう。先述の通り、この一家の経歴は入念に語られている。

素晴らしいのは、この一家をとことんひどい目に合わせているところ。しかもハッピーエンド風に話を締めるためだと思うが、その後のフォローもなく物語からフェードアウトしてしまう。ひどい。

まあ、この登場人物への容赦のなさは物語作家としては適切で、作中の末路は哀しいが、クールな扱いはハードボイルド的な良さがあり、バーンズ視点で物語が「めでたしめでたし」で終わる中、モヤモヤしたものを後に残すのである(単にフェードアウトさせるよりもっと良い処理の仕方があったようにも思うが)。
今回、印象に残ったのはこの一家かもしれない。


全体的な印象としては可もなく不可もなくというか、まあまあ面白かったかな程度。
現代では違和感のある描写がある一方で当時の時事問題を背景にしたキャラクターもおり、そういう時代背景が一番楽しかった。

《追記》

またまたインターネットの知識だが、この作品の最後で、マクベインはキャレラを殉職させるつもりだったらしい。この場合だと、ラストシーンは、「みんながクリスマスに浮かれる中でそれに取り残される被害者遺族や警察官たち」という話になり、ハッピーエンドのために被害者の家族をフェードアウトさせるという形にもならなかったはずだ。87分署はこの後も書き継がれ50作以上ものシリーズになることを考えると改変は仕方がないのだが、作品単体としては当初のラストの方が綺麗ではあったかも。

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