アルバムの肥やしメシ総供養祭
赤色点字ブロック、またの名をmaitakeです。
この記事はとあるところのアドベントカレンダー用に書いたものです。
「外でご飯を食べたら写真を撮る」がもはや恒例の現代。私もそれに追随してパシャリと撮ってはいるものの、撮ってすぐSNSにアップするのは「私は先ほどこの食べ物たちを食らいましたよ!」とアピールしてるようで恥ずかしくて嫌だ、ある程度日が開いたら投稿しようとポケットで温めそのまま忘れてしまう。そのためその写真は一度も日の目を浴びることなく、消されることも見返されることもなくアルバムの肥やしとなりぬ。
実に、実に虚しいではないか。出来立てほやほやで食材としての盛りを迎えた彼らの鮮やかに艶やかな写真はさながら遺影のよう。「なんで写真を撮ったんだ」「その気にさせやがって!」「一世一代の晴れ舞台なのに……」「思い返しもしないなら早く殺してくれ!」怨嗟と憎悪の声がiPhoneのアルバム内に響き渡る。きっと彼らは報われない。あぁ虚しい、虚しい……
ということで。
ここで一切供養します。
(以下、美味しそうな写真やそうでもない写真が並びます。お腹が空いている人や犯罪者は閲覧を推奨しません。)
以上。
他にもいくつか写真はありましたが大体がラーメンで面白味にかけるので掲載しませんでした(その後アルバムから消去しました)。これで彼らも報われたことでしょう。
飯の写真を見返して、私は写真を撮るのが下手だなぁとつくづく実感した。ほとんどの食べ物が冷たそうで美味しくなさそうに思える。もっと人を引き付けるような、それこそSNSにあげるようなメシを撮るにはライティングや構図にこだわらなければならないのだろう。私にはその努力をする気が一切ないので、今後はメシ写真を撮るのは控えようと思います。私にはまだ早い。
あと、すでに食べ終わって皿だけになった写真がアルバム内にいくつか見られた。何?食べ終わった後に「やべ写真撮ってないや」と慌てて撮ったのだろうが、その写真にはまるで意味が無い。目的を見失い行為にだけ固執して現代人に追い付こうとしても無駄だ。お前にその資格はない。モンスター討伐記念に骨を持って帰るみたいな所業をするのはやめなさい。
メシ写真の大量葬送、やってみると意外に楽しいです。やはり感覚と結びついた出来事は記憶されやすいようで、写真を見返していると撮影時の思い出やエピソードがどんどん思い起こされます。グリコの走馬灯を見ているみたい。みなさんもアルバム内にご飯の写真の死骸があるのなら、埃を払うなり埃と一緒に捨てるなりしてみてください。