見出し画像

家族が欲しかった

こんばんは。明日にはやめるです。


noteを書こうとしたきっかけのひとつは
私自身の家庭環境です。

私は母と兄、そして時々父の4人家族。

なぜ父が『時々』なのかというと
父と母は私が16歳のときに別居しました。

何年もたった今も籍は入ってるので
いちようは今も私の父親ではあります。

そして私の記憶の中の父は
何もしない、いつも家にいない

お酒を飲んだら体を触ってくるひとでした。

家族旅行も1度もありません。

小学生の頃、夏休み明けに絵日記を
発表する時間、

みんなディズニーランドに行った、やら

家族でバーベキューをした、やら

思い出を発表してるなか、私は何も書けず
「空想の夏休み」を発表してました。

家族4人でプールに行った、とか
旅行に行った、とか。そんな感じ。

そんな父親でしたが嫌いではなかったです。

だっていつでも欲しいものを
買い与えてくれたから。

お金で解決してくれたから。

一方、母はというと
家事が嫌いで友達がいないひとでした。

私が中学生になる前までは父の母(義母)と
暮らしていましたが

義母と合わず母が鬱になったため
引越ししました。

私はそれまでずっとずっと母の愚痴聞き役でした。

祖母の愚痴。父の愚痴。
兄の愚痴。親戚の愚痴。

今思うと母は人付き合いが下手くそで
友達がいなかったから

身近にいた私を頼っていたんだと
わかりますが

当時は私自身も苦しかったのを覚えています。

義母と暮らしていた家を出て
家族4人で暮らしはじめて何年かしてから

仕事が主な原因で父が鬱になりました。

それから両親は毎晩毎晩怒鳴りあって
物投げ合ってぐちゃぐちゃの喧嘩をしてました。

その時私は自室がありましたがどうしても
怒鳴り声は聞こえてました。

そんな時はいつも兄が車を運転して
私を乗せてドライブをしてくれました。

あの記憶はきっといつまでたっても
大事な記憶です。

そんな日々も突然終わりがきました。

母は兄に家探しをお願いしていたんです。

昼間、父が外出してるあいだに
夜逃げ状態で引越ししました。

軽自動車に布団やら衣装ケースをつめて
母が運転席、兄が助手席、

私は布団やらに押されながらの後部座席に。

大きな家具や家電は兄の友達が軽トラックで
事前に運んでくれていました。

父はきっとすごくびっくりしたでしょうね。

家に帰ってきたら家族がいないんだから。

それから両親のあいだに話があったのか
わかりませんが今も籍を抜かずです。

とくに進展もなく何年も同じ状態です。

小さい時や学生の頃はこの家族の形態にも
不信感はなく疑問もありませんでしたが

ある程度大人になってくると
いろいろ思うことが増えました。

そして書類上は家族なのに私の記憶には
家族がなかったな、と。

なにをもって《家族》と定義するのかは
わかりません。

でも私が思う家族ではないのはたしかです。

私は今でも母との関係に悩むし家族という
しがらみにとらわれて苦しいです。

ただ愛してくれる場所がほしかった。

無条件に愛してほしかっただけなのに。

家族ってなんですか?家族の幸せって
どうしたら手に入りますか?

私は家族がほしいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?