歩幅合わせて
昼食後、散歩に出かけた。
今日はどこまでも行ける気がした。
歩いたことのない道を、ただひたすらに歩いた。
すべての道を歩もうとしても、誰一人として歩めないだろう。
今日は遠回りすることにした。
ただ歩くだけでも、世界は美しい。
人の移動に関わる仕事をしているという自覚は、バックオフィスで従事しているためあまりなかったが、間接的であれ人に感動を与える仕事だと改めて気付いた。
移ろい行く景色が美しい。
ただ歩いて目に入る景色は、まるで絵画のようだった。
それが嬉しくて、私は歩き続けた。
近くても、まだ歩いたことがない道があるというだけで、心に新鮮な空気が流れた。冒険のようだ。
一山越えた頃、肉体的な疲労が訪れた。
あんなに楽しかったはずなのに、今では辛くなっている。
目が霞み、もう前に進めそうにない。
立ち止まって一息ついた。
深呼吸と屈伸。
腕を上げて、背筋を伸ばした。
また、歩き始めた。
駅が見えた。
そうだ、電車で帰ろう。
「これまで歩んできた道のりは」、「歩幅を合わせる」などと喩えられるように、人生とはまさに歩くこと(散歩)なのだ。
中では、小走りすることも、ダッシュすることもあるだろう。
疲れた時は休まなければならない。
歩けばお腹が空く。
お腹が空いたら、食べよう。
疲れたら、お風呂に入って寝よう。
そうすれば、また次の一歩を踏み出すことが出来る。
当たり前であることのはずが、当たり前であるがゆえに認識出来ていないということが、驚くほどにある。
一度心を澄まして、散歩するのもいいだろう。
巡り合う人は、同じ時に休めて、歩幅を合わせられる人がいい。
時には負荷がかかり、這ってでも進まなければならないことがあるかもしれない。
立ち止まるか、這ってでも進むか。
その選択が人生なのだと、ふと考えた。
おわり