株式会社斉藤商店(代表取締役社長:斉藤孝治郎)
【会社のあゆみ】
斉藤さんの曾祖父・斉藤源次郎さんが青森から小樽に入り、北見・野付牛を拠点に1918年創業し、1954年に株式会社斉藤商店として法人化しました。現在は、主に製鋼原料等の回収・加工・販売及びリターナブル瓶の回収・販売事業、家電リサイクル法に基づく取引などを行っています。
「曾祖父の時代はおそらくリアカーで家を回って鍋や窯をもらって、という雑品屋だったと思います。祖父の代で法人化しました。1980年ころ、父(現会長:斉藤伸一郎さん)が北見に帰ってきたことも法人を強くするきっかけになりました。会長が北見に帰ってきた当時、仕事を教えてくれる人はいなかったため、一から作業を学んでいきました。祖父の代はスクラップ屋さんというよりは瓶屋さんで、取扱量は現在の20倍くらいでしたが、現在瓶の売り上げは全体の約1割。コロナになってからは特に瓶の取り扱いが減りました。ホテルや結婚式場・居酒屋での飲み会が減ったこと、自宅で飲むようになって缶が増えたことというのが影響していると思います。今は瓶はもちろん鉄も非鉄も扱います」とこれまでを振り返ります。
【会社の現在】
会社の現状について斉藤さんは「主力は鉄です。今考えると昭和後半までは手で積んでいて、僕が物心ついたときはまだ手で積んでました。雑品屋さんなので鉄スクラップに関する考え方がまちまちだったと思います。父が会社のかじ取りをするようになって鉄は鉄として相場に応じて買うようになり、強化するようになりました。ほかの会社ではゴミとして扱われていた鉄をお金にできることで、お客様もうれしかったと思います」と話してくれました。
会長の斉藤伸一郎さんは「常に斉藤商店は”信用が一番大切”と思ってきました。うちを離れてしまった取引先があったとしてもいずれは帰ってきてくれたらいいなと思いますし、とにかく信用と信頼を積み重ねるのが一番だと思っています」とこれまでを話してくれました。
また、会長の代から家電リサイクルを始めましたが、当時はあまり収支としては合いませんでした。しかし網走管内に斉藤商店があるということを知ってもらった広告効果はとても大きいものでした。「家電リサイクルのタイミングで経営が下火になっていた会社は息を吹き返したと思っている。現在も、同業他社は敵ではなく仲間。いろんな同業者に助けられながら経営してこれています」と話してくれました。
【会社としてこだわる瓶事業】
近年ペットボトルや缶が台頭していますが、斉藤商店としてこだわっているのが瓶(リターナブル瓶)事業です。昔ながらのいわゆる茶色い瓶ですが、現在流通している瓶の中では一部になってしまっています。
「世界的にはリユースが着目されていますが、(日本における)現状は厳しいです。このままだと絶対数が増えていく見込みはないので寂しく感じます。会社としては瓶の良さや瓶を流通させてきたという思いはあるので、瓶がなくなるまでは続けていきたい事業です。斉藤商店がいくら頑張っても、飲料メーカーが瓶に注力しないマーケティングになっているので、リユース・リターナブル瓶が少なくなっています。世界情勢のリサイクルで見直してくれたら追い風になるかなと思っています」と期待を込めます。
【環境系サークルの学生時代から会社員、斉藤商店入社】
斉藤さんは高校まで北見で過ごし、東京の大学に進学しました。学生時代は環境系サークルに入り、実家の家業の影響で、音楽ライブでリユースカップを導入する活動などをおこないました。就職活動を経て、産業振興株式会社に入社となります。
「入社当時は総務企画で、東日本大震災を経験しました。釜石などと取引があり、安否確認や支援物資の調達などをし、落ち着いてからは震災廃棄物の試行事業をやることになり、現場で人手が欲しいということで2011年7月に現地入りしました。パチンコ屋跡地が基礎だけだったりと衝撃を受けました。その後は姫路に赴任となり、製鉄所構内での経理や総務をやりました。ここから姫路で仕事を頑張ろうという2015年ころ、本社に戻り人事の配属になりました。その後2019年に北見に戻り斉藤商店に入社、という経歴です。大規模の会社から、実家である地元のスクラップ屋さんに戻ってきた時のギャップはすごくありました。大手企業の良い点を中小零細企業も取り入れて実行すると良いと思っていましたが、中小零細企業がやりにくい理由もわかってきました。杓子定規の理想論だけでは地方では難しいと思います。昨年社長に就任しました。斉藤商店は100年企業となりましたが、これほど長い間続けられているのは『信頼、至誠、誠実』だと思います」
【今後の展望】
「父である会長の考え方を見て聞いて育ってきたので、信頼が第一だと思っています。会長が家電リサイクルに出会って大きなターニングポイントになったように、自分の代でも会社が良く変わるきっかけを作っていきたい。瓶は減っていくだろうし、鉄もどうなるのかわからないので、うちの会社独自の強みを見つけていくことが生き残っていくすべかなと思っています」
【鉄リサイクル工業会に一言】
「せっかく皆さんで会費を払って集まっているので、直接鉄に関係なくてもタイムリーな話題の情報発信を気軽にできても良いかなと思います。例えばインボイス制度も含め、法律や制度が変わった時に業界に落とし込んだ情報発信なども良いなと思います」
【鉄リサイクル工業会北海道支部支部長後記】
大正7年創業の100年企業である北見の斉藤商店斉藤会長、斉藤社長にお話しを伺いました。
最初はビン、古紙、鉄などを扱う雑品屋として事業をスタートしました。
私の雑品のイメージは、”様々な金属やプラスチックで作られた電子製品などの荷物”と認識しておりますが、北海道においては”使い終わった様々な素材の物を回収する事業を行う者”を雑品屋と呼んでおりました。
北海道以外の地域ではそれぞれ品目ごとの専門会社がありますが、北海道は立地や気候の問題もあり、1つの企業が全て取扱いしなければ事業として成立させることが出来ませんでした。このような事情から北海道の企業は総合リサイクル企業になっていったのでしょう。
斉藤会長が斉藤商店に入社した頃のメイン事業はビンでした。ビンの扱い量は今の20倍あったそうです。ビンはビールメーカーが管理しておりリターナブル瓶と呼ばれております。しかし昨今は様々な素材の物や飲み方も多様化し生ビールや自宅用としてはメインがアルミ缶になり、ビンで飲まれる機会が少なくなってしまった事も影響して扱い量が減ってきました。
斉藤会長は鉄スクラップに注力しようと方向転換をしたが思うように事が進まなかったそうです。「土地はあるけどお金がなかった」と語ってくれました。その為、機械化が遅れてしまいました。
私たちの商売で使う設備や重機、車両には大変お金がかかります。この悩みは同じ事業を行う経営者としてよく理解しております。しかし時代の変化に対応し家電リサイクル事業への進出や金属リサイクルの増量に成功しました。
斉藤社長は高校まで北見で過ごし、大学から道外に出て卒業後は鉄スクラップ業では国内最大手の産業振興に入社、主に管理畑の仕事に従事しました。2019年に生まれ故郷の北見に戻り斉藤商店に入社し、2022年に社長に就任されました。
斉藤会長は、「家電リサイクルのように、変わるきっかけになるようなビジネスと出会いたい。そして地域の為に、なくてはならない企業へと成長していきたい」と力強く語って頂きました。
鉄リサイクル工業会の活動に関して、斉藤社長は2023年度から北海道支部の幹事と青年部会の会長に就任されました。
今後業界をリードしていく若き経営者は、タイムリーな話題や経営に関する事も業界に落とし込んでいきたいと語ってくれました。
青年部会長のお膝元で青年部会員が集まり、北見焼肉や今注目の目丼を食べながら業界の未来について語り合いたいと思いました。
今回は自分たちの事業のルーツを知る貴重なお話をたくさんお聞きする事が出来て大変勉強になりました。