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有限会社小川商店(店主:小川徹朗)

会社名:有限会社小川商店
住所:留萌市元町5丁目115-5
代表取締役:小川雅裕
創業:大正11年


【会社の歩み】

小川商店は留萌市で大正11年に創業した資源リサイクル会社。金属スクラップをはじめ、古紙や空缶といった雑品の買入れや、中古機械の売買なども行っています。老舗が多い留萌市でも、とりわけ創業100年以上の企業はそう多くなく、とても歴史のある会社です。

小川さんの先祖は青森県から北海道に入植し、小平町で「小川家番屋」として鰊番屋を築きました。
小川さんの曽祖父にあたる小川元晧さんが、「自分で商売を始めたい」と思ったことから留萌市で独立。炭酸飲料等を販売するソーダ屋として商いをはじめ、リヤカーを引いて街中で売り歩いていたそうです。そこでソーダを入れていた空き瓶を扱ったことがきっかけとなり、古物の商売も行うようになりました。

現在のような事業形態になったのはおよそ70年前。留萌の港から程近くに会社を構えていました。
平成元年には、当時の社長である祖父・小川幸晧さんが造船所として使用されていた倉庫付の土地を入手し、今の場所へと移転。広さも倍以上になったことから、物の受け入れ量が格段に増えたそうです。
2011年に幸晧さんが他界したことから、父・小川雅裕さんが社長に就任されました。当時小川さんはまだ大学生で、雅裕さんは弱みこそ見せなかったものの会社の経営が苦しいのは明らかだったそうです。
今では小川さんが会社を全面サポートし、この場所で父・雅裕さんと二世帯生活をおくっています。小川家にとっては仕事・生活の両面でかけがえのない場所となっているのが伺えました。


【小川さんの歩み】

幼少期の小川さんは根っからのスポーツ少年。中学校まで野球のリトルシニアチームに所属していました。その頃からアルペンスキーに夢中で、中体連では「回転」と「大回転」の2種目で優勝を果たしています。全道大会でも入賞し、スキーの名門である札幌第一高校に推薦入学しました。全国大会に出場し、オリンピックやプロを目指すものの、強者揃いの中トップになることは出来なかったそうです。

「一緒に練習しても勝てないから、その分やらないとと思っていました。先生も先輩も厳しいですし、体づくりもきつかった。下宿生活の中、頑張りましたよ。でも妹は国体で優勝、インターハイも準優勝しているので。妹の方がすごいから・・・ちょっと後ろめたいです。」と謙虚な一面も。

挫折を経験して、一時はスキーの道を離れることも考えたそうです。しかし「スキーのおかげでここまで来られた」という想いがあり、大学に進学した後もスキーを続け、主将も務め上げられました。

学業面では、大学で保健体育の教員免許を取得。「学費が無駄にならないように」と毎日真面目に学校に通い、卒業に必要な単位の1.5倍以上を取ったそうです。文武両道の学生生活の後、小川さんは札幌の資源リサイクル会社 鈴木商会に就職しました。

【下積み時代】

「鈴木商会ではかなり勉強させて頂きましたね。全部タメになると思っていたので。学んだことすべてが今に活かされています。」と語る小川さん。

鈴木商会では入社からおよそ5年の月日を過ごしました。最初は1年半程 現場で非鉄をメインに担当した後、2年半程 営業を担当することに。

「営業の頃の失敗はたくさんありますね。消費税が増税されたタイミングで計算を間違えてしまい、本来入札できたはずの案件がダメになってしまったり。そのときは目の前が真っ白になりましたよ。たくさん時間をかけてきましたけど、確認が足りなかった。それ以来確認は必ずしています。」と苦笑い。

「エンジンを60tくらいまとめて売るというお客さんがいて。価格交渉をして単価を決めた後、実は相場が下がっていることに気付いたということもありました。お客さんに再度交渉しましたがダメでしたね。私の勉強不足です。社内で売り先を探してもらうなど、周りにフォローしてもらいました。相場はシビアな世界。常にアンテナを張って情報取集する『相場観』の大切さを学びました。今は分からなかったら恥ずかしいと思わないで、とにかく聞くようにしています。『そんなことも知らねぇのか』と言われても、やっぱり聞いておいた方がいい。」

札幌での生活のさなか、父・雅裕さんが心筋梗塞で3週間入院してしまったことも。その時は1番大変だったと小川さんは語ります。

「会社を誰もまわせる人がいなくて。週末は手伝いに行っていました。電話で父とやり取りしたことを従業員に任せたりして。その間に倉庫から何十年も貯めていたものが大量に出てきたこともありましたね。退院後も父の体力がなくなってしまったので、土日は留萌に来ていました。」

入社4年目で深川事業所に異動した際は、主に事務作業に徹していました。
「数字に関することがかなり勉強になりました。小さな事業所で人が少なくて、何に経費がかかっているのか見やすくて。一人あたりの人件費だとか、費用対効果だとか。営業で立ち会ったりはしていましたけど、最後まで数字として見ることができたのは事務。時間や金額を見て、どれくらい利益が出るのかと考えるようになりましたね。今も本当に意識しています。」

その後、自身の中で5年を目途に家業を継ぐことを決めていたこともあり、父・雅裕さんから仕事を学ぶべく留萌に戻ったのでした。

【家業を継いでみて】

小川商店に戻ってからは、父・雅裕さんから仕事を頼まれるのではなく、自分でやるべきことを探したと言います。

「ヤードでやった方がいいことは何かなと考えてそれをやっていました。物が全然集められていないなと気付いたんです。今の半分くらいのときもあったと思います。最初は営業面で顔を売りまくりましたよ。我武者羅に行きましたね、飛び込みで。覚えてもらうために名刺に留萌市のキャラクターを入れて、ポップなデザインに作り替えたりもしました。現場のこともやっていたので毎日営業に出られるわけではありませんが、隙をみては名刺を配りに出ていたと思います。思った以上に会社が知られていないっことが分かったときは驚きました。100年以上もやっているのに、何をやっていたんだろうって。」

粘り強い営業活動の甲斐もあり、小川さんが入社した当初年間500トン程だった扱い量は、今では約1000トンと2倍になりました。下積み時代の成果が着実に現れてきているようです。

【祖父の背中】

「祖父はちょっと乱暴で頑固な人でしたけど、仕事熱心な人でした。日曜日も働いていたので、見習いたいと思います。」と小川さんは祖父・幸晧さんとの思い出も語ってくれました。小川さんは幼いころからその背中を見て育ったそうです。

「祖父は自分でなんでもやる人でした。重機も乗れますし、ガス切断もできます。仕分けも全部自分でやっていましたね。」

特に物の扱いに関しては、祖父・幸晧さんから自然と学んでいたそうで「雑品屋は何かを切ったり加工したり、物を集めることも大事ですけど、何より"分ける”ということが大事だなと思った。」と小川さんは言います。
幼い頃から見てきたことを自身が行うようになった今、祖父・幸晧さんが教えてくれたことの大切さを実感したそうです。

【今後の展望】

「根っからの雑品屋でありたいと思っています。買えるものは買って売る。『何かいい話ありませんか?』って商人みたいにまわって、売り先と買い先でマッチングする人を見つけていきたいと思います。いずれは中古屋みたいなこともやりたいですね。」

【鉄リサイクル工業会に一言!】

鉄リサイクル工業会に関しては「業界の外の話も聞けますし、横のつながりも広がっていきますよね。」と連携することの意義を感じているとのことでした。
また「来年の北海道大会に向けてはどうやったら皆さんが来てくれるか、北海道らしいものは何か練りに練っています。」と意気込みも。
さらに「今は運送問題もありますから、メンバーで連携して効率を上げたり問題解決できるといいですね。」と今後の課題も見据えているそうです。


【北海道支部支部長後記】

今回は、北海道留萌市で目覚ましい躍進を続ける小川商店の小川さんにお話をお聞きしました。

小川さんは元々私の会社(株式会社鈴木商会)に大学卒業後入社され、4年間勤務して頂きました。
一緒に働いていた時の小川さんの印象は、鉄の様に固いというものでした。この印象は今も変わっていませんが、良い意味でも悪い意味でも鉄の様に固い男です。
元々はスキーヤーでバリバリの体育会系のはずですが、それを感じさせない小川さんは独特の魅力を醸し出しており、社内でも先輩たちに可愛がられていました。
将来的には経営者となる人材だと思っていたので、特別扱いし、普通の社員より厳しい業務・役割を担って頂くようにしておりました。
そして現場・営業・事業所管理を一通り経験し、ご実家である小川商店に入社されたのが5年前です。

久しぶりに再会するとキャラクターが変わっていてビックリしました。
自分から前のめりにならないタイプだった男が、積極的に他所の会社の方とコミュニケーションを取っている姿に衝撃を受けました。
やはり立場が人を変え、危機感が人間を大きく成長させてくれるのです。
小川さんを見ていてそのように感じました。
鈴木商会の営業マンに最近の小川さんの話を聞くと、最近の小川さんは鈴木商会の中にいてもトップ営業マンになっていますという声が聞こえてくるくらい殻を破り脱皮しました。私は非常に嬉しいです。

常に「何か良い事はないですか?」と、飛び込みに行った先で必ず聞いているそうです。
前向きに、困りごとではなく、良い話を聞くのがポイントとの事。
色んなお話を聞く中で、自分も仕事で貢献出来る部分を見つける事が出来て、商売に繋がるとの事でした。

今や入社時より小川商店の取扱いを2倍に増やしたという小川さん。今後については「根っからの雑品屋でありたい」と語ってくれています。
これは仕入れて活かせる物は何でも売りつなぐ、それが雑品屋魂だと教えてくれました。

まだまだ年齢も若く、才覚にも恵まれた小川商店の小川さんに、これからも大注目です!



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