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冷静と情熱と牛の顔の間で

好きなことと、知っていることは違う。それこそ、雲泥の差がある。

で、その境目ってどのへんだろう、と考えてみた。知識として知ってるけどそれほど興味がない、あたりから、すごい好きでそれについて考えてるだけで1日終わる、あたりぐらいまでが範囲だ。きっと。たぶん。そうだったらいいなあ。

どんどん弱気になっていったのは、「好き」がわからなくなったからだ。

たしかに、今の自分にも「好き」なことはある。だけど、それが急に「ハイ、これ明日から君のまわりから無くなるから」と言われると、すごくショックを受ける自分を想像するのだけれど、それでも、それが原因で生きていられなくなったりすることはないだろうなあ、と思ってしまう。

お前の「好き」はその程度か?そう考えるとアレもコレも特別な情熱を持っているわけじゃないんじゃないか、と、どんどんどんどん弱気になっていく。

無くなったときにどのくらいショックを受ければ、「好き」だと宣言していいんだろう。世の中のことがすべからく「どちらかというと好き」か「どちらかというとそれほどでもない」かに分別できてしまう気がする。「赤いゴミ袋」と「青いゴミ袋」に分けて入れていくのと気分としてはそう大差ない。まとめて口を縛って、それぞれの収集日に出してしまえば終わりだ。からっぽの世の中の部屋の中でぼーっとしている自分まで見える。嗚呼。

あんまり弱気になりすぎて凹んで本気で涙ぐんでるので、ごはん食べてきます。あ、ごはんは好きですよ。なかったら死んじゃうし。

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