【性教育】誰も傷付けないし、誰にも傷つけられないように
人工妊娠中絶を外科的な処置をせずに薬で行う「経口中絶薬」について、イギリスの製薬会社が国内での使用を認めるよう22日、厚生労働省に承認を申請しました。
このニュースが出たのが今月22日。やっとそういう選択ができるようになったかと思いきや、
薬の処方にかかる費用について10万円程度かかる手術と同等の料金設定が望ましいとする考えを示しました。
ちなみに海外ではずーーーっと前から遥かに安い値段で買えるものである。
10万円。安易な中絶が増えるのではないかという意見もある。
では、なぜそもそも日本では性行同意年齢が13歳なのか。13歳って、子供じゃん。でも性行を認めている以上妊娠はする。その時13歳の女の子が、膣の中に掻爬器を入れて胎児を掻き出すという中世の拷問のような中絶方法より、身体に負担が少なくてより安全で簡単でそれでいて安価な経口中絶薬を使う事ができたら単純に良いと思うんだけど、何が何でも10万払わせたいその意図はどこに?
安易な中絶を懸念するなら、性教育の徹底と、妊娠なんて一人ではできないのだから男側にも無責任に逃げた場合は罰則をつけるべきである。それどころか現在男が養育費を払わなくてもトンズラこけるこのシステムを正すことを同時進行でやるべきだ。必要な対策を何一つしないで、一体どれだけ女に負担を強いれば気が済むのだろう。
「中絶なんてするような女は肉体的/精神的のみならず金銭的にも苦しむべき」というメッセージをひしひしと感じる。まるでそれが懲罰であるべきかのように。
心配しなくても私たちはちゃんと傷付いている。
方法が簡単になろうと安価になろうと、中絶という選択はとても心を抉る。それでもそうせざるを得ない背景があるのだ。
日本産婦人科医会会長木下勝之は、女の医学部受験生の点数を操作して女が医者にならないよう働きかけていた前科もある。
そんな人間が女の身体を扱う産婦人科医会長なんて草も生えない。
女の口を塞ぎ、女を男の後ろに置いて、女の身体について男が決定を下すという不思議が何の疑問もなく成り立ってきた日本という国に心底辟易する。
「ナプキンは生活必需品ではない」と切り捨てて課税したのも、ナプキンを一生使うことのない男だし、じゃあ私たちは毎月毎月1週間もの間絶えず股から血を流した場合、ナプキンタンポン以外にどう対処すれば人としての尊厳が守られるのだろう。もうなんか全てが謎である。
誰にも相談できずにトイレで一人出産し、赤ちゃんを死なせてしまう悲惨な事件はなくならない。なぜ彼女達は中絶をしなかったのか。相手の男の存在は?疑問は様々あるが、それを金銭的な問題で防げる例が一件でもあるのなら……と思わずにはいられない。なのに、10万円……。
同時に、そもそも中絶するのに10万という費用を払える女性はトイレで出産はしないのではないかと思う。なぜ女性が中絶という選択をするのかを考えてみるべきである。
望まない妊娠は、女である限り誰にだって起こりうる。それは誰にも責められるものではないし、女だけにその痛みと責任を伴わせるのもいい加減にしてほしい。
行き着く先は、やはり性教育の遅れ
誤解がないようにしたいのは、性教育だけを進めるのではなく性教育も中絶に悩む女性を救う事も、全部いっぺんにさっさとやるべきと思っているという事。
男女問わず、日本では性教育はタブー視されてきた。
以前友達がセフレに「安全日は中出ししても大丈夫」と言われたという話を聞いた。34歳で、医学部を卒業している男である。(医者ではない)
なのにこの程度の性知識しか持ち合わせていない事に日本の闇を感じる。もはや中学生のそれレベル。
この男性だけが悪いのではない。この男性の周りの環境や大人たちが、正しい性知識を34年間のどのタイミングでも与えられていなかったという事が問題なのだ。そしてそれは、何ら珍しい事ではないのだ。
また、日本では父親が娘をお風呂に入れる事も当たり前だが、これについてもそこはかとなく気持ちの悪さを感じる。
現実浴室が虐待の温床になっている事を知らないのだろうか。
知り合いのママが以前、小学生の娘と再婚相手の義父が一緒にお風呂に入っている、と話していた。それを微笑ましい父娘のエピソードとして話す彼女にとても違和感を感じた。
親子の絆を深めるのに入浴以外の方法が腐るほどある中で、何故あえて小学生の娘と入浴という方法を取らなければいけないのかを理論的に説明して欲しい。
周知の事実だがアメリカでは虐待案件であるし、トトロの親子入浴シーンもカットされている。「裸の付き合い」という日本古来の言葉によって誤魔化されている感あるが、大人同士なら問題ない。それが圧倒的弱者である子供相手だから問題なのである。本当は嫌なのに嫌と言えないパターンは沢山あるし、むしろ性的虐待のほとんどがそうではないか。
子供は、特に女の子はそういうことにとても敏感だし、実際私は小学生の時入浴中に兄が入ってきた時すらものすごく嫌だった。私の拒否に戸惑った兄に逆ギレされ、「嫌だと思う自分がおかしい(いやらしい)のかもしれない」と自己嫌悪にもなったが、今なら思う。あれは正常な心の成長だったと。(兄は天然で、何故この前まで一緒に入っていた私に拒否されたのか戸惑ったと思う。そこはむしろ親が管理するべきだったがうちの両親はそういう事に疎い)
また、うちの母は洋裁が好きでよく私の服を作っていた。
親戚の集まりで祖父母の家に集まった際、母が家から持ってきていた私のネグリジェは生地が半分透けたレースのものだった(母手作り)
それを親戚のおじさんに「スケスケやんか!」と揶揄われた時、物凄く恥ずかしくなったし、こんなネグリジェを親戚が沢山いる中で小学生の娘に抵抗なく着せる母に対しても嫌悪感を抱いた。
また兄が年頃になって一人でお風呂に入っている時、時間が長かったのを気にした母がニヤニヤしながら私に「お兄ちゃん見てきて」と言った。お風呂のドアを開けると兄にめちゃくちゃキレられた。その時何故兄がキレるのかうっすらと理解した。母の度を越したからかいに嫌悪感を抱いた。
悪気はなくともそういう性教育のせの字もない緩さが昔から私には気味悪かった。
こういう事を考え出すとやはり自分の子供の頃嫌だった事ばかりが思い返される。今親になった私からすれば両親はとても未熟で無知で悪い意味で鈍感だったなと。時代もあるかもしれないが。
息子はまだ2歳だが、2歳にも教えられる事はある。
おちんちんを始めとする身体は、ママパパお医者さん以外の人には見せたり触らせてはいけないし、他の人のを触ってもいけない。
自分が生理の時はそれを息子にも説明している。ママ今生理でしんどいとか、血がたくさん出てるなど簡単な言葉で。性のことや性差による身体の構造の事などを隠す事はしない。男だから生理の事は教えなくていいとは思わない。この先誰かと付き合ったり結婚するのなら、ちゃんと女性の身体の事も知識として知っていないといけないと思うから。
私ももちろん、息子が一人でお風呂に入れる年齢になれば一緒に入る事はしない。
私自身まだ、この先どうやって性教育を進めていこうか模索しているところだが、将来息子が誰のことも傷つけないように、そして誰からも傷付けられないよう、教育という手段で守っていきたいと思っている。