香港のバタークリームココナッツパン
「こんにちは、仁一です。ごはん、食べた?」
今では当たり前のように、パン屋さんの入り口近くに並んでいるトレーとトング。
誰もが無意識に手に取り、好きなパンを自分で選んでいくこのセルフスタイルの購買方式を、実はタカキベーカリーが最初に導入したのです。
このことを知ったのは、noteのクリエイター、「老婆の日常茶飯事」さんが書いた記事を読んだときでした。
読み進めるうちに、わたしは自然と昔の記憶に引き戻されていきました。
その記憶の中で蘇るのは、香港にあるパン屋「超羣西餅麵包」。
この店もまた、セルフスタイルの購買方式を取り入れた、香港の先駆けでした。
オーナーの李曾超羣氏は1929年、上海の裕福な家庭に生まれました。父親は郵政貯金送金局のCEOとして働き、彼女は恵まれた環境で育ちました。
やがてアメリカに留学し、20歳で香港に戻り結婚しました。
結婚相手は名門家族の一員で、その家族が所有する「龍圃」という建物は香港の文化遺産として知られ、1974年のジェームズ・ボンド映画『007 黄金銃を持つ男』や、ブルース・リー主演の映画『燃えよドラゴン』の撮影にも使われるほどでした。
上流階級に生まれ育ち、何不自由ない生活を送っていた李氏でしたが、彼女は家族の財産に頼らず、自らの力でケーキ屋を立ち上げました。
しかし、未経験で無計画なスタートは苦難の連続、最初のお店はすぐに潰れてしまいました。
それでも李氏は諦めず、独学で経営学を学び、再び立ち上がることを決意しました。
今回は成功を収め、60軒もの店舗を香港内外に展開しました。
彼女はテレビの料理番組にも出演し、70〜90年代にかけて超有名人となりました。
しかし、幸運は長くは続かず、スタッフの不正行為により事業は失敗し、莫大な負債を抱えることになりました。
それでも李氏は自己破産を選ばず、10年間かけて全ての負債を返済しました。
「自己破産は簡単だけれど、70年かけて築いた信用を失いたくなかった」と彼女は語りました。
70歳で莫大な負債を抱え、80歳で全てを返済し、現在95歳のスーパーウーマン。
波乱万丈の人生を歩み、数々の苦難を乗り越えてきた李曾超羣氏。
その堅忍不抜な姿勢と有言実行の精神は、まさに大物と呼ぶにふさわしい人物です。
……
わたしが小学生の頃、超羣西餅麵包店の「椰絲忌廉包」(イェー シー ゲイ リム バウ : バタークリームココナッツパン)が大好きでした。
フレッシュクリームよりもバタークリームの方が断然好きで、その濃厚な味わいがたまりませんでした。
このパンは、香港で70〜90年代にかけて愛された菓子パンの一つです。
ココナッツをまぶしたコッペパンに、たっぷりとバタークリームが挟まれており、その味わいはまるで九州のシロヤバターロールのココナッツバージョンのようでした。
No Butter, No Life!
カロリーやコレステロールを気にする方には向かないかもしれませんが、わたしにとっては至福の味です。
でも、最近流行しているマリトッツォを楽しめるなら、このくらいのバタークリームなんて全然大したことないでしょう?
香港のバタークリームにはイギリスのゴールデンシロップが使われ、その独特な植民地風の味がわたしの懐かしい記憶を呼び覚まします。
メルボルンに移住してからも、バタークリームケーキは外せませんでした。
母がよく買ってきてくれた「Paterson’s Cakes」の100%バタークリームにこだわったケーキは絶品でしたが、2010年に94年の歴史に幕を閉じました。
昭和の風情が漂う香港のココナッツバタークリームパンを、記憶を頼りにもう一度味わいたいものです。