くまの子どもは哲学者なのかもしれないーくまの子ウーフを読んで
今回、課題図書に知っている作品があったので久しぶりに実家の本棚から発掘した。
20年以上ぶりの対面である。
版を見たら第99刷!
今は何刷になっているのだろう。
それくらい、読み継がれている作品なんだろう。
くまの子ウーフ。確かに読んだ記憶はあるし、挿絵にも見覚えがある。何なら本棚に「続くまの子ウーフ」もあった。きっと気に入っていたのだろう。
ただ、内容が何も覚えていない。
新鮮な気持ちで読むことにした。
児童書とあって、一気に読むことができた。
読み終えて、最初に抱いた感想は「何て哲学的なんだ…!」であった。
イギリスの100エーカーの森に住んでいる某くまも、意図せず哲学的なことを言っていた気がするが、児童書界ではくまの子は哲学者なのだろうか、と思う程である。
ウーフの言葉は母国語で書かれているだけあって、よりすんなり伝わってきた。
印象深かったのは、意図せずちょうちょを殺してしまった話である。
世の中では命は平等だと教えているのに、どうして死んでも悲しくない生き物もいるし、ごちそうで出てくるビフテキには歓喜をあげるのだろう。もし、ツネタの鋭いこの質問を、今、自分が投げかけられたら、答えられる気はしない。
私は学生時代に、動物実験も行う学部にいたが、初めて自分の手で哺乳類を手にかけて、お腹を開いた時の記憶は「これが真理…!」(by鋼の錬金術師)という感じであった。自分のお腹の中に入っているものと同じものを見たからか「命」を感じて感謝を覚えたが、正直、夏場に私の周りをブンブンする虫については殺意しか覚えないし、何匹も仕留めてきた。
この章の最後で、口の中でもじょもじょしたありについて、ウーフはどのような気持ちの整理をつけるのだろう。
嫌いだから悲しくなくていいのか。綺麗なら、哺乳類なら、悲しまないといけないのか。無意識下で行っている命の優劣について本当に考えさせられた。
逆に今読んだから気づいたこともあった。ミミちゃんの耳の良さについての話である。聞こえているのに聞こえない、と言ったりする感情はそういう感情を経た今だからわかるのだろうな、と微笑ましくも感じた。
今回、改めてくまの子ウーフを読んで、懐かしく思うと同時に、子どもの持つ純粋な疑問が、純粋であるがゆえにいかに難しいか、そういう疑問を持たなくなった大人である私にとって、いかに新鮮なものか考える良い機会になった。
初めてのnoteを投稿するきっかけをくださったキナリ読書フェスにも感謝したい。
ポプラ社さんの作品だと、ズッコケ三人組シリーズがとても大好きなので、いつか取り上げていただきたいと、希望を込めて最後にアピールしたい。
#キナリ読書フェス #くまの子ウーフ
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