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イギリスと日本の建築事情/モデルニスモとムデハル様式、ガウディ/ロンドンを守れ!Hearts of Iron IVイギリス初見プレイに関する報告
この記事は、豆腐アドカレ老害版2024の4日目です。
感想は#豆腐老害アドカレ でお願いします。
急いで書いてるので、論拠が雑だったり、同じこと2回言ってたりするかもしれません。
なので先に言っておきますが、あんまり信用しないでください。参考文献も特に出しません。
こんにちは。にしやきいもです。
今回の話題はまぁタイトルを見ての通り、島国の二大巨頭たるイギリスと日本の住宅事情の対比がテーマになっていましたが、書いているうちに日本建築に対する超個人的見解になってしまっているので、読まれる方はご注意ください。
実は以前に英語の課題としてこのテーマについてのエッセイを書いたのですが、あいにくデータを紛失してしまいました。
そういうもののデータ、私は普通整理せずに残しておくのですが、つい先週Hearts of Iron IVを買った影響で、ストレージに空きを作らなければ!という使命感で全削除しちゃいました。どう考えてもほんの数百kBでなんも変わらないのに本当に馬鹿です。
と思っていたのに、概ね書き上げてからデータが見つかったので、別途投稿しておきます。
課題として提出したものなので、今回のアドカレより文章が論拠ちゃんとしていて読みやすいと思います。単なるエッセイ課題なので参考文献等がないのは同じですが。
あと今回のアドカレはこれの内容とそこそこ乖離してるので、もうどっちも読めばいいんじゃないでしょうか。
本当に申し訳ございませんでした。
ということで今回の第1部は、そのエッセイの内容を追っていき、第2部では日本からイギリス建築を駆逐したモダニズムと、スペインにおけるモデルニスモなんかのことを話したいと思います。
参考文献などは特に提示しませんが、英語の教材として、宇野 毅教授が執筆された「現代イギリスの社会と文化 ゆとりと思いやりの国 増補版」(彩流社2015)を用いています。
また、教授は先日、イギリスの有名バンド「Oasis」の再結成の際に、毎日新聞の取材でコメントをなされていますので、イギリス社会やイギリス音楽についての理解を増進したい方はどうぞ。
そして、データ喪失によりアドカレの内容が薄くなってしまうことをお詫びし、かつ本日が12月4日であることにちなみ、パラドックスインタラクティブ社の「Hearts of Iron IV」で、歴史あるイギリスの街並みを守るプレイをお届けします。←エッセイのデータは見つかりましたが、もうプレイしたのでそのまま出します。
イギリスの住宅事情
ヨーロッパの建築様式はレンガなどの石造が多いのですが、イギリスもまた、レンガ造りの建物が多いです。
そして何より、日本からすれば驚きなのは、レンガ造の住宅は築100年は当たり前だということですかね。200年300年経つ家も多いです。
16~17世紀に活躍したウィリアム・シェイクスピアの生家も現存しています。
まず単純に、建築材料の違いが原因です。日本の伝統的な建築構造は木造であり、最近はRC造(鉄筋コンクリート造)、高層ビルならSRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)。レンガ造・石造はほとんど存在しません。
木造やRC造は当然耐用年数も少ないのはなんとなくお分かりでしょう。(法隆寺とかは何度も改築した上での1400年の歴史です。ご容赦。)
しかし、日本は欧米化の過程でRC造を得たのですから、欧州で主流なレンガ造が広まってもよかったのではないでしょうか。
日本のレンガ建築
前述の疑問の答えは既に出ています。
実は文明開化の中で、倒幕派の最大の支援国でもあったイギリスからは多くの政府お雇い外国人が訪れており、当然建築分野にもそれは波及していました。
有名なところだとコンドルやウォートルスといった人達です。彼らを含め、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカなどの建築家がこぞってレンガ建築を広めました。その中には当然住宅も多くありました。
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レンガ・御影石・木で構造ができている。
濃尾地震の転機
そんな文明開化に浮かれる日本を、1891年10月28日に、マグニチュード8.0とも言われる巨大地震が襲います。
濃尾地震です。
日本史上最大規模の直下型地震が岐阜・愛知やその近隣県を襲い、死者7000人負傷者17000人という甚大な被害を出しました。
名古屋市では従来の木造建築はもちろん、欧米の技術で建てられたレンガ建築も甚大な被害を受けました。
ここで、レンガ建築の耐震化に焦点が集まり、東京などでも耐震化されたレンガ建築が少しづつ増えていきます。既存の建物の改修も同時に進められますが、いかんせんレンガ建築は長生きな建築。大規模な改修に至った建築はそれほど多くありません。
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建物自体は木構造でした。
ついでに日本の住宅建築の寿命が短い理由として、建築基準法も挙げられますね。あの法律はけっこうしょっちゅう変わって、それを境に住宅の価値が変動する場合もあります。寿命がウリのレンガ住宅には全く不向きです。
まぁお金をかければレンガを取り入れた家を建てることはできますので将来その気がある方は調べてみてください。
関東大震災
1923年9月1日、濃尾地震から(レンガ建築からすれば)わずか30年後。首都東京および関東一円をマグニチュード7.9の巨大な地震が襲いました。
関東地震と、それに伴う関東大震災です。
死者行方不明者は10万人以上、被害額は現代の価値に換算して18兆円ともなる震災により東京のレンガ建築は、耐震化されていないものは瓦礫の山と化し、耐震化されたものでも、ただのそびえ立つ煤けた壁となってしまいました。
政治家の自宅などもレンガ化が進んでいましたが、それらも多くが居住不可能となりました。
日本のレンガ建築、レンガ住宅への最後の一撃と言ってもいいでしょうか。
残されたレンガ建築とRC革命
とはいえ、全てのレンガの使用が止まったわけではありません。「レンガのみを構造体とした建築」が駆逐されただけで、中には鉄骨やRCを組み合わせたことで難を逃れた建築たちもあります。
特にピックアップされがちな2例を挙げます。
東京駅
日本の交通における最大のモニュメントと言ってもいいでしょう。前述のコンドルの教え子であった辰野金吾先生が中心となって設計しました。
構造はレンガですが、鉄筋を配すことにより耐震性を高めているため、関東大震災でも倒壊せずに姿を留めました。しかし、1945年の東京大空襲によってドーム屋根が焼けたためしばらくは仮の姿に。最近元の姿に復旧しました。
まぁ他にも残ったレンガ建築物は法務省やらニコライ堂やらあるわけですが、その辺は飛ばしてしまいましょう。
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東京駅の写真なんか出さなくてもいいでしょ
帝国ホテル ライト館
現在の帝国ホテルの建物(見たことないけど)とは別です。
モダニズムの三大巨匠がひとり、アメリカのフランク・ロイド・ライト先生の作品です。
他の2人はフランスのル・コルビュジエ先生(西洋美術館など)、ドイツのミース・ファン・デル・ローエ先生。いつか紹介したいと思います。
レンガが美しく、帝国を冠するにふさわしい堂々たる見た目のホテルですが、震災の丁度当日に開館を迎えたという不運に襲われます。しかし、構造は無傷。
RC造とレンガコンクリート造を組み合わせたホテルは、関東大震災を耐え抜き、被災者の救援にも奔走しました。
しかしこちらも、東京大空襲によって一部を損壊することとなります。
建築にとって本当に恐ろしいのは、地震よりも戦争なのかもしれません。
ともあれ、帝国ホテルが無事だったことから、コンクリートを構造に用いる建築手法への関心は一挙に高まり、公共施設や企業などは相次いでRC造を選択していきます。
ただし、レンガ地の綺麗さには心を奪われたままだった日本人。彼らが手を出した工法がタイルです。タイルとレンガの利用の変遷についてはまたいつか。
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調べたところSRC造なので、たぶんタイルです。
しかし、モダニズムへの移行がすぐに起こったわけではなく、戦前は日本の伝統的な建築様式と欧州の建築様式の折衷をRC造で表現する「帝冠様式」と呼ばれる様式が盛んでした。
基本はRC造の西洋建築に和風な屋根を取り付けるようなテンプレがありました。わかりやすいのは東京国立博物館の本館とかですかね?
現代建築先進国日本の形成
震災後も、しばらくほとんどの人は木造の街に暮らしていたましたが、少しずつ大きな住宅や集合住宅にRCが使われてきます。集合住宅の例として有名なものには関東大震災義捐金で結成された同潤会によるアパート群があります。(ちなみに日本初のRCマンションは軍艦島にありますが、特殊事例なので除外)このアパートは戦時の空襲も乗り切りましたが、流石に老朽化で建て替えが行われています。
とはいえそういったアパートもわずかな例でしたが、戦争を経て高度経済成長を迎えると一変します。
都市集中の加速です。
「金の卵」とも呼ばれた農村部の若者たちが、都市部・沿海部の工業振興のために大量に集中しました。日本において、都市というのは基本広い平野や盆地で展開されます。そして工業都市となると平野が多いです。そんな平野部でも短期間に百万人もの人口増加に耐えられる程のキャパシティはありません。
農村部にそんなに人が余っていたのか?と今でこそ思うかもしれませんが、当時は余っていました。鎌倉時代なんかを思い出してみれば分かりますが、一家の土地を継ぐのは基本一人にしなくては、あっという間に一族もろとも貧しくなります。なので、基本的には長男が家長を継ぎ、他の兄弟はその下に着くか、出稼ぎに出るか、あるいは身一つで独り立ちするかといったところでした。
長男の優遇は時代を超えて明治大正、昭和にまで続いていました。
明治時代の政局への見識があれば、一家の長男は徴兵されないことが定められていたことを覚えていると思います。それは昭和になっても同じで、次男以降は軍隊へ入るという道もありました。(なお、定数は平時で数十万人)
ところが、軍隊は1945年の敗戦で解体され、再軍備は大幅な制限がかけられました。
また、アメリカの元で農地改革が行われたこと、機械農業が奨励されたことも、農業の効率を上げる一方で農家での人手過密に拍車をかけます。
そこで、新たな人口収容先として工業が選ばれたのです。
かねてより「日本は軍隊のリソースを高度経済成長につぎ込んだ」という言説はありますが、人的資源もそのリソースの一部だったということですね。
さて、話が少し逸れましたが、ともあれ経済成長と人口増加に対応するために集合住宅が大量に建つようになりました。
住宅だけではありません。人が集まりすぎるので、繁華街や歓楽街も次々と階層化(と、そのためのRC構造化)していきます。
そしてそれは都市で成長するホワイトカラーにも飛び火します。
かつて関東大震災で崩れ去った「凌雲閣(十二階)」以降タブー視されていた高層ビルに着手したのが三井不動産が1965年着工、68年竣工した「霞が関ビルディング」です。
高層化を支える鉄骨(S)と、耐震を強固にするRCを組み合わせたSRC造に、レンガ造以前の木造高層建築物(五重塔など)の柔軟性(柔構造)を取り入れるなど、地震大国日本なりの工夫を取り入れ、ニューヨークなどの西洋都市とは異なる、新たな現代都市の構築が始まりました。
村野藤吾先生、前川國男先生、丹下健三先生ら日本モダニズムの旗手らもこの動きを促進し、モダニズム後も階層化・高層化の動きを加速させていくことに貢献します。
工業化と高層化は間違いなく日本経済をいっそう加速させ、国民の所得を激増させました。その中で一般住宅も少しずつ木造から、地震や火事に強いRC造へと置換されていきます。
そうして、日本はアメリカに次ぐ、あるいはアメリカを超える世界屈指の現代建築大国となりました。
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これからの「日本建築」
現在の日本は、失速段階に入っています。建物寿命の延長にも起因して建築の建て替えなども今後は少なくなるでしょうし、間もなく耐震技術も飽和点を迎え、コスパの観点からも建築基準法の発展は停滞するでしょう。そこが日本建築の最高到達点となるように私は感じます。
そして、その飽和を迎える街並みにカメラを向けるのは海外からの観光客ら。彼らにとっての「日本らしさ」は、単に和風の建築だけではないのです。
イギリスとの比較を挙げられた宇野教授は「日本は実用されている歴史的街並みに乏しい」と嘆かれていましたが、日本は「建築を現代化せざるをえなかった」からだと思います。
しかし、どこもかしこも先進的な現代建築に彩られながら、相反するように和風建築が立ち並ぶ静かな土地(ほとんどは観光のために恣意的に整備されていますが)にそう時間をかけずにたどり着き、あるいは折衷的な建築に突然巡り会うこともできます。確かに、「実用されている歴史的街並み」には貧しいですが、日本の「日本らしい」街並みは既にそこに存在しているに違いありません。
以下、ギャラリー
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高いビルに木質を感じる外装、そしてサブカル
個人的に日本建築のひとつの完成系にも思えますが、規模に対してのエスカレーターの不便さが難点。
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実は霞が関ビルができる前は日本一の高さの建築。
SRC造を白い御影石で覆った、「日本的な」石造です。
ガウディとイスラム建築
モダニズムと似た言葉にモデルニスモがありますが、ちょっとだけ時代が違います。
モダニズムは第一次世界大戦以降、一方モデルニスモは19世紀終わりから一次大戦前の芸術体系になります。
Wikipediaで調べると、どちらもフランス中心の「アール・ヌーヴォー」に結びつけられているので分かりにくいですが、モダニズムは世界的な運動で、モデルニスモは主にスペイン(カタルーニャ)のバルセロナをメインにして展開しました。
なんで時代が違うのにって思うかもしれませんが少し考えてみれば当たり前ですね。「現代」はそれぞれの人が「自分が生きている時代」として認知するのですから何千年前も何千年後も「モダン」は発生しうるのです。たった10年弱の時間差ですし。
ガウディとムデハール建築
で、その代表格の一人であるアントニ・ガウディの話をしたかったのですが、著作権フリーの画像を探して引用する時間がありませんので、検索窓片手に聞いていただけると幸いです。
さて、ガウディのことをご存じでしょうか?ご存じなくても彼の設計した建築のことはご存じのはずです。スペインでも最も有名な建築、サグラダ・ファミリアを設計した方です。
まぁサグラダ・ファミリアの建造において本人がかかわったのは本当に初期の部分だけで、ファサードのひとつである「生誕のファサード」と、地下にある「地下礼拝堂」だけが「アントニ・ガウディの作品群」の一部として登録されています。
サグラダファミリアもいろいろ面白い話があるのですが、それを書く時間がないのでダイレクトに。
・もうすぐ完成します。長かったですね。
・壁面には彫刻が装飾として並んでいるのですが、現在、彫刻作りを指揮しているのは日本人です。
・壁面を構成する多様な曲線にはちゃんと根拠があって、「カテナリー曲線」という曲線を描いています。数学界隈の人には「懸垂曲線」といったほうがいいでしょうか。ほかにも「カサ・ミラ」などはこの曲線を使って設計されています。←カサ・ミラは集合住宅として設計されて、今も人が住んでいます。
・現在トップのウルム大聖堂を抜いて、世界最大の教会になります。
ガウディも使ったイスラム様式
そんなスペインには、実はめちゃくちゃ興味深い芸術様式があるんですよね。
それが「ムデハル様式」です。スペイン語でmudéjarですが、この言葉の由来はなんとアラビア語。「ムダッジャン」=『残留者』という言葉です。
なんでこんなところにアラビア語が?と思う方もいるでしょうが、これはスペインの歴史が関係しています。
当然ローマ帝国の時代からスペインはキリスト教の勢力圏なのですが、ある時期だけ、ジブラルタル海峡の向こうモロッコからイスラム教勢力が侵攻してきたことによりスペインもイスラム化していました。
世界遺産のアルハンブラ宮殿は、スペインにおける最後のイスラム教国、グラナダ王国が建てた宮殿です。イスラム的な要素として主に
・噴水や水路など、水=砂漠世界での富の象徴をよく用いる。
・庭を中心とし、大きさなどに統一性の少ない建物が連結している。
・大量の柱が規則的に並んでいる。
・幾何学模様がよく見られる。
・タイルが貼られた壁面も多い。
などが挙がります。あと、山の上にあるので城下町のアルバラシンはけっこう高低差がありますね。日本的な山城とは違いますが、首里城は山の上の宮殿でしたね。
月日は流れ、「レコンキスタ」と呼ばれるキリスト教の反撃でイスラム教勢力はアフリカ大陸へと押し返されるわけですが、そのときにスペインに残った人々がいました。
彼らが、「ムダッジャン」と呼ばれる人々です。
カサ・ビセンス
ガウディが曲線とかをよく使う前の建築ですね。まず見てもらえばわかるように、めちゃくちゃカラフルです。そして幾何学模様もふんだんに使われています。カラフルなのはタイルの着色で、建物の中もとにかくタイルにタイル、そしてタイル。
個人的には喫煙室の青さが好きです。
ただ、純然なイスラム建築ではないので、全体の構造としては西欧的な要素が感じられますね。住むのはヨーロッパ人だし。
代表的なムデハル建築
超ざっくりいきます。疲れたので。
メスキータ(コルドバの大モスク)、あるいは聖マリア大聖堂
名前からわかりますね。モスクだったり教会だったりと忙しい子です。
中にはめっちゃ柱が立っている空間があって壮観です。この柱は古い建築物から流用していて、中にはローマ時代のものもあります。石造はそれだけ長持ちするんです。
セビリアのアルカサル
キリスト教時代に建てられた宮殿なのですが、イスラムの影響がすさまじいです。イスラム芸術はマジですごい。
ちなみにアルハンブラ宮殿の中にもカール5世宮という宮殿があります。
神聖ローマ帝国皇帝カール5世(スペイン国王としてはカルロス1世)が建てさせたのですが、彼の母方の祖父がグラナダ王国を滅ぼしたフェルナンド2世なんですよね。ちなみにスペインはフェルナンド2世がほぼ現在の大きさに拡大し、カルロス1世がそれを統一した「スペイン王国」を建国することで誕生しました。
セビリア大聖堂
モスクの跡地に作られたので、基礎はモスクを流用。なので建築様式はキリスト教から逸脱しています。そしてそびえ立つ「ヒラルダの塔」はモスクによくあるミナレットと呼ばれる塔(鐘が入っていて、街の人々に礼拝の時間を伝える)の上にポン付けする形で増築されています。
ってところですかね。なんでこの章を作ったのか、書き終わったときには忘れていました。本当になんででしょうね。
Hoi4イギリス初見プレイ
ということでゲームが始まります。シナリオは1936年、史実AIはONでやっていきます。初見なので至らないところもありますが、基本はイギリスも史実でいくつもりです。
DLCは。Man the GunsとLa Résistance(執筆開始日に買いました)を導入しています。
メイン目標はロンドンを空襲から守り抜くこと、サブ目標として枢軸降伏を狙っていこうと思います。
ロンドンと東京を比較するときには、この空襲というのも加味してもいいかもしれません。
アメリカが日本の住宅街に落とした爆弾は、焼夷弾と呼ばれるものが多かったです。(実際の割合は知りません)多分ご存知だと思いますが、簡単に言えば可燃性の物質を詰めた筒を、更に爆弾に詰めて投下し、空中で放出してばらまくという方式になっています。
これが使えたのは日本の建築が木造メインだったからですね。一方でイギリスの場合は、焼夷弾ではなく、爆風を発する普通の爆弾が必要になります。どちらの方が公立的な破壊ができたか、というのは簡単な話ですね。
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研究はとりあえず3種の神器と、今回はロンドン空襲を防ぐために戦闘機を研究しはじめます。
建築はとりあえず全州に軍事工場と、戦闘機生産に重要なアルミの出る州にインフラを建てます。ぶっちゃけ何が史実ルートなのか知らないので、初手は「限定的再軍備」から始めます。
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とりあえず将軍とか陸軍編成とかを整えます。イギリスは海軍が多くていいですね。どうせ私のプレイスキルでは日本海軍にボコされるので、基本は大西洋・インド洋で戦います。
陸軍はとりあえず本土防衛とジブラルタル、エジプト、エチオピアに張り付ければいいのかな?
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政治力バッファーを加えて「進路を保て」を取得します。皆さんの進路は保たれていますか?
さて、歩兵装備が充足されたのでさっそく戦闘機を作り始めます。1レベルでもないよりマシですから。
そんなこんなで1936年はおしまい。戦争の年へと入ります。
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さてさて、ここでミュンヘン会談すらしてないのにチェンバレンさんが引退してしまいます。まって、エジプト防衛間に合わない気がしてきた…
急いで徴兵を増やしますが果たして間に合うのか…!
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まぁそんな感じで少しずつ防衛を固めていたのですが…
戦争がはじまりました。
1939年9月1日の開戦より実に1年早いですね。
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いや本当にどうして?って思ったけど、そういえばチェンバレンもいないし、こうなる運命だったんだ…
ごめんなさい、イギリスプレイの様子をお伝えするはずが、普通にまじめに戦争してしまっているのでほとんど伝えられていません。
とりあえず今は空母まで動員して潜水艦狩りをしています。奴らを絶対許さない。
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マジノ線迂回がはじまりました。今までありがとう。
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ここまでの間、ほとんど実況がありませんでした。申し訳ありません。今頑張って上陸用の師団を作っていますが、アメリカさんは参戦してくれません。どこかで間違った選択をしたみたいです。
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アメリカが連合入りしました。もう勝ったも同然ですが、イギリス東洋艦隊はアフリカ方面の処理に追われているので手が出せません。まぁ史実でも東洋艦隊は戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』を開戦3日目に喪失し壊滅するので、いてもいなくてもあんま変わらない(このあとインド洋にいた東洋艦隊は日本海軍にボコされ、潜水艦艦隊になりました)がんばれアメリカ。
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なんか割とうまくいきそうですね。海軍は先ほどイタリア海軍をボコしてたし、陸軍もカイロはまだ耐え。
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このあと一時期北アフリカを完全に失陥します
日本の勢いもだいぶ押し殺せたし、もう勝ち目しか見えてません。←気のせいでした
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ソ連が強すぎます。こんなん冷戦勝てませんね。どうしようか。
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アメリカが第3の戦線を作りに行きました。←失敗
めちゃくちゃ夢中で戦争しててスクショも全く撮れてないので企画倒れです。
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スペイン参戦で地中海がふさがれましたが、ポルトガル参戦でなんとかなりそうです。←ドイツ軍に押し切られて敗北、ジブラルタルも2度上陸しましたが跳ね除けられました。
開戦早々にスペイン海軍を倒せたのもデカい。ちなみにエスパーニャ級は世界で最も小さい弩級戦艦として知られています。所詮は弩級なのでこの時代には向かなかったですね。(こっちも戦艦は改装してないけど)
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ソ連さん…?まぁ彼が殴られてくれるから西欧にドイツ軍がいないわけですがと思ったけどイベリア上陸もつぶされたし、ソ連も降伏したし、大東亜共栄圏はできてるしで今日は寝ます。(北アフリカ奪回はできました)
とりあえず、ロンドン空襲を回避するという目標は達成したのでよしとしましょう。
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プレイした感想なんですけど、ドイツ強すぎ。
アメリカ様も一切手が出せていませんでした。というか1回日本にハワイ取られてたし今回のアメリカはポンコツ?とか思ってたらフィリピンの回復始めたりと、もう何も信じられない。
あと対艦攻撃機がとにかく強い。天下のロイヤルネイビーが全力で護衛しても輸送船が死にまくって一時期輸送船ゼロで戦争してたのですが対艦攻撃機を飛ばし始めたら一気に千隻近くまで増えました。やっぱ航空機ゲーですね。
空母はトータルで10隻くらいになりました。そのうちの7隻はイギリス近海に投入しているのであんまり世界に恩恵はないけど。空母7+戦艦7とかいうエヴァンゲリオンもビックリな大艦隊でしたが、それでもアイルランドは2度上陸されてました。
上陸戦も難しいですね。勝てたのはアイスランドとグリーンランドくらい。ジブラルタルは前述の通り失敗と、あと1回ブルタン半島やサルディーニャに行ったのですが叩き出されました。
現在はノルウェーで膠着していますが、ソ連が落ちた以上厳しいと思います。
ということで今回のイギリスプレイはここまでです。
せっかくラ・レジスタンスを買ったので次はスペインプレイをしたいと思います。特に王党派ルートを目指したい。
このあと、北アフリカから枢軸をたたき出しましたが、まだ中東が向こう側なので気が緩みません。さらにドイツは核を持ったようです。
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追記:スペインカルリスタルートに3回くらい失敗したのでポルトガル王政ルートをやったらこうなった
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