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[雑記]死中に活を求める

「死中に活を求める」とは、死や破滅を待つ以外にない絶望的な状況を意味し、「活」は生きることを意味する。
助かる道のほとんどない状況から、なんとか生きる方法を見出そうとすること。
転じて、窮地の打開策として、あえて危険な道を選ぶことにもいう。

私にも心身共に徹底的に追い詰められ、「死」というものにあと半歩まで、手を伸ばしてしまうほどの辛い経験はある。
しかし、私はこうして生きている。
振り返れば、自ら更に地獄に突き進んで結果的に地獄を突き抜けたからだ。
事情を知る医師が判断しても、普通なら数ヶ月も保たずに壊れてしまう状況さえ何年も乗り切ってきた。

経験して理解したが、どんな地獄のような状況であれ、死を含めその場を逃げてしまえば、その苦痛からは永遠に逃げられない。生きて後悔出来るだけまだマシかも知れない。
しかし、心身を引き裂かれそうになりながらも死地に突っ込んでいくなら、必ず救いなり改善はするものだ。

「出口のないトンネルはない」
オリンピック目前に白血病に苦しんだ水泳選手の”池江璃花子”さんが子供たちに向けて上記メッセージを送ったそうだ。

どんな辛い状況も、それが永続する訳では無い。長短はあってもあくまで一過性のものだ。
人は必ず何処かに”甘え”を持ち、易きに流れそちらを向く。すると、渦中から抜けられず、辛い状況を自らが広げてしまう。
そして、自死より罪深いものは無い。

自ら退路を断ち、前に進まなければ何事も解決はしない。
全て捨て去り、自分の身一つになる覚悟で全力当たれば、乗り切れないものはほどほど無い。また、護るべきものがある者ほど強くなれる。

それが並々ならぬ覚悟である事も知っている。
だが、自死する瞬間の足を踏み出す心の強い意思よりは易しい。少なくとも私はそう感じている。

自身が傷つき苦しんだ者は、本当の意味で大切な存在を護り優しくなれる。
そして、苦しみを知るからこそ、同じように壁にぶつかった者の助けになれる。
人は独りでは生きられない生き物だ。
誰かを頼るのは弱いことではなく、勇気という。勇気持って差し出された手を拒む朋友はいない。

この世に意味の無い事は存在しない。
死中に活を求め、生きている事自体が、周りの誰かをきっと幸せにしている。

なんだかんだ私も、今こうして趣味を通じたコミュニケーションが取れてること自体が幸せだと思うよ。

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